Fujisawa Net Museum

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手前(てまえ)には、美男子(びだんし)であったと名高(なだか)八代目(はちだいめ)市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)(えん)じる松若丸(まつわかまる)画中(がちゅう)では松若(まつわか))が(えが)かれ、画題枠(がだいわく)には「戸塚藤沢宿間(とつかふじさわしゅくかん) 吉田橋(よしだばし)」と()かれていますが、背景(はいけい)には吉田橋(よしだばし)(えが)かれておりません。戸塚(とつか)吉田橋(よしだばし)柏尾川(かしおがわ)()かる(はし)で、東海道(とうかいどう)鎌倉(かまくら)へと()かう(みち)への分岐点(ぶんきてん)でもありました。吉田橋(よしだばし)松若丸(まつわかまる)(えが)かれた理由(りゆう)は、松若丸(まつわかまる)(きょう)公家(くげ)である「吉田家(よしだけ)」の子息(しそく)という設定(せってい)()るものです。松若丸(まつわかまる)謡曲(ようきょく)隅田川(すみだがわ)』をアレンジした「隅田川(すみだがわ)もの」歌舞伎(かぶき)において、悲劇(ひげき)()()げる少年(しょうねん)梅若丸(うめわかまる)」の双子(ふたご)(あに)として登場(とうじょう)します。

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 戸塚(とつか)藤沢(ふじさわ)(かん) 吉田橋(よしだばし) 松若(まつわか)

番付(ばんづけ)とは興行(こうぎょう)宣伝(せんでん)のために作成(さくせい)された印刷物(いんさつぶつ)です。その(うち)顔見世番付(かおみせばんづけ)」は毎年(まいとし)11(がつ)(おこな)われる顔見世興行(かおみせこうぎょう)(さい)して(つく)られ、市中(しちゅう)()()されました。顔見世興行(かおみせこうぎょう)とは興行主(こうぎょうぬし)()こう(いち)年間(ねんかん)所属契約(しょぞくけいやく)(むす)んだ役者(やくしゃ)狂言(きょうげん)作者(さくしゃ)歌舞伎(かぶき)劇作家(げきさっか))・囃子方(はやしがた)劇中(げきちゅう)音楽(おんがく)演奏(えんそう)する(ひと))などの出演者(しゅつえんしゃ)が、一座(いちざ)のメンバーを披露(ひろう)する公演(こうえん)(おこな)われ、その紹介(しょうかい)のために(つく)られました。
上段(じょうだん)には役者名(やくしゃめい)()()まれており、役者(やくしゃ)得意(とくい)とする役柄(やくがら)(しる)されています。下段(げだん)には鳥井派(とりいは)絵師(えし)により役者達(やくしゃたち)()役柄(やくがら)()わせて(えが)かれます。

市村座(いちむらざ)顔見世(かおみせ)番附(ばんづけ)



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