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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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制作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)6年(ねん)(1859)頃(ころ) 左手(ひだりて)の広重(ひろしげ)落款(らっかん)の上方(かみがた)に「相模(さがみ)江乃(えの)し満(ま)風景(ふうけい)」と画題(がだい)があります。片瀬(かたせ)東浜(ひがしはま)あたりから見(み)た江(え)の島(しま)全景(ぜんけい)を描(えが)いています。島(しま)の正面(しょうめん)の鳥居(とりい)を濃(こ)い墨(すみ)でくっきりと描(えが)き、島(しま)全体(ぜんたい)は淡(あわ)墨(すみ)で草木(くさき)の詞子(ふみこ)をととのえています。 「一立斎(いちりゅうさい)」の朱印(しゅいん)はあまり明確(めいかく)ではありませんが、肉筆(にくひつ)では「箱根(はこね)山中(さんちゅう)」、(神奈川県立博物館(かながわけんりつはくぶつかん)所蔵(しょぞう))と同(おな)じ傾向(けいこう)の落款(らっかん)印章(いんしょう)があるので、制作(せいさく)年代(ねんだい)は安政(あんせい)6年(ねん)(1859年(ねん))頃(ころ)かと考(かんが)えられます。
相摸(さがみ)江(え)のしま風景(ふうけい)
黄(き):お熊(くま)(『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』より) 黄色地(きいろぢ)に縞模様(しまもよう)の“黄八丈(きはちじょう)”の着物(きもの)を着(き)た、材木問屋(ざいもくどんや)の娘(むすめ)である「お熊(くま)」が描(えが)かれています。お熊(くま)の登場(とうじょう)する『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』は、「髪結新三(かみゆいしんざ)」の愛称(あいしょう)で親(した)しまれている歌舞伎(かぶき)で、現在(げんざい)でも人気演目(にんきえんもく)の一(ひと)つとなっています。 左下(ひだりした)にあるのは髪結(かみゆ)いの道具(どうぐ)で、物語(ものがたり)の主人公(しゅじんこう)、“回(まわ)り髪結(かみゆ)い”の新三(しんざ)を象徴(しょうちょう)しています。お熊(くま)は、店(みせ)の手代(てだい)である忠七(ちゅうしち)と恋仲(こいなか)ながら、親(おや)に無理(むり)に縁談(えんだん)を結(むす)ばれそうになります。それを新三(しんざ)が聞(き)いていて・・・ということから、話(はなし)が展開(てんかい)していきます。 五行説(ごぎょうせつ)において重要(じゅうよう)な色(いろ)とされていた「青(あお)」「赤(あか)」「黄(き)」「白(しろ)」「黒(くろ)」の5色(しょく)に、それぞれ美人(びじん)が当(あ)てはめて描(えが)かれています。またこの美人(びじん)たちは、歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)に擬(なぞら)えて描(えが)かれており、各色(かくしょく)は、その役(やく)が決(き)まって着(き)る衣装(いしょう)の色(いろ)と対応(たいおう)しています。
五(いつつ)衣(きぬ)色(いろの)染分(そめわけ) 黄(き)
白(しろ):役名(やくめい)未詳(みしょう) 白地(しろじ)に絣(かすり)の着物(きもの)を着(き)た美人(びじん)が描(えが)かれています。役名(やくめい)は未詳(みしょう)ですが、髪型(かみがた)から芸者(げいしゃ)であると考(かんが)えられ、屋根(やね)舟(ぶね)の後方(こうほう)に立(た)ち、扇子(せんす)を口(くち)にくわえながら帯(おび)を直(なお)すという仕草(しぐさ)で描(えが)かれています。 空(そら)には満月(まんげつ)がさえざえと輝(かがや)き、その下(した)に見(み)える橋(はし)は、竹(ちく)材(ざい)問屋(とんや)が見(み)えることから江戸(えど)の京橋(きょうばし)と思(おも)われます。 五行説(ごぎょうせつ)において重要(じゅうよう)な色(いろ)とされていた「黄(き)」「青(あお)」「赤(あか)」「白(しろ)」「黒(くろ)」の5色(しょく)に、それぞれ美人(びじん)が当(あ)てはめて描(えが)かれています。またこの美人(びじん)たちは、歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)に擬(なぞら)えて描(えが)かれており、各(かく)色(いろ)は、その役(やく)が決(き)まって着(き)る衣装(いしょう)の色(いろ)と対応(たいおう)しています。 「青(あお)」に描(えが)かれているのは、小栗判官(おぐりはんがん)ものの物語(ものがたり)に登場(とうじょう)する照手(てるて)姫(ひめ)。小栗判官(おぐりはんがん)は藤沢(ふじさわ)の遊行(ゆぎょう)寺(てら)とゆかりのある人物(じんぶつ)で、照手(てるて)姫(ひめ)は小栗判官(おぐりはんがん)の恋人(こいびと)です。
五(いつつ)衣(きぬ)色(いろの)染分(そめわけ) 白(しろ)
黒(くろ):小梅(こうめ)(『隅(す)田春(だのはる)妓女(げいしゃ)容(かた)性(ぎ)』より)か 本作(ほんさく)に描(えが)かれた美人(びじん)は、侠客(きょうかく)「梅(うめ)の由(よし)兵衛(べえ)」の妻(つま)「小梅(こうめ)」とされています。歯(は)には既婚(きこん)女性(じょせい)の証(あかし)である“お歯(は)黒(くろ)”が見(み)られ、褄(つま)の部分(ぶぶん)には梅(うめ)の紋様(もんよう)が配(はい)されています。また着物(きもの)は烏(からす)の柄(がら)となっており、黒(くろ)の色(いろ)と対応(たいおう)しています。褄(つま)を取(と)りながら船(ふね)の乗(の)り場(ば)に立(た)っていることから、降(お)りた船(ふね)を見送(みおく)っているところでしょうか。 五行説(ごぎょうせつ)において重要(じゅうよう)な色(いろ)とされていた「黄(き)」「青(あお)」「赤(あか)」「白(しろ)」「黒(くろ)」の5色(しょく)に、それぞれ美人(びじん)が当(あ)てはめて描(えが)かれています。またこの美人(びじん)たちは、歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)に擬(なぞら)えて描(えが)かれており、各(かく)色(いろ)は、その役(やく)が決(き)まって着(き)る衣装(いしょう)の色(いろ)と対応(たいおう)しています。 「青(あお)」に描(えが)かれているのは、小栗判官(おぐりはんがん)ものの物語(ものがたり)に登場(とうじょう)する照手(てるて)姫(ひめ)。小栗判官(おぐりはんがん)は藤沢(ふじさわ)の遊行(ゆぎょう)寺(てら)とゆかりのある人物(じんぶつ)で、照手(てるて)姫(ひめ)は小栗判官(おぐりはんがん)の恋人(こいびと)です。
五(いつつ)衣(きぬ)色(いろの)染分(そめわけ) 黒(くろ)
雨上(あめあ)がりの虹(にじ)が後景(こうけい)の空(そら)に描(えが)かれています。画面(がめん)手前(てまえ)で争(あらそ)っている人足(にんそく)たちは、雨宿(あまやど)りの間(あいだ)に博打(ばくち)をしていたのでしょうか、地面(じめん)には一文(いちぶん)銭(せん)(江戸時代(えどじだい)の貨幣(かへい))が散(ち)らばっています。脚絆(きゃはん)(足(あし)の脛(はぎ)に巻(ま)いた布(ぬの))の柄(え)が違(ちが)うことから、グループ間(かん)の諍(いさか)いであることも伺(うかが)えます。画面(がめん)奥(おく)にむかって下(くだ)り坂(ざか)となっており、毛槍(けやり)の先端(せんたん) が見(み)え、行列(ぎょうれつ)が先(さき)に進(すす)んでいることがわかります。2人(ふたり)の従者(じゅうしゃ)が慌(あわ)てて行列(ぎょうれつ)に追(お)いつこうとしています。
東海道(とうかいどう) 程(ほど)ヶ谷(や) 其二(そのに)
雨上(あめあ)がりの虹(にじ)が後景(こうけい)の空(そら)に描(えが)かれています。画面(がめん)手前(てまえ)で争(あらそ)っている人足(にんそく)たちは、雨宿(あまやど)りの間(あいだ)に博打(ばくち)をしていたのでしょうか、地面(じめん)には一文(いちもん)銭(せん)が散(ち)らばっています。脚(きゃ)絆(はん)の柄(がら)が違(ちが)うことから、グループ間(かん)の諍(いさかい)いであることも伺(うかが)えます。画面(がめん)奥(おく)にむかって下(くだ)り坂(ざか)となっており、御(お)長柄(ながえ)の先端(せんたん)が見(み)え、行列(ぎょうれつ)が先(さき)に進(すす)んでいることがわかります。2人(ふたり)の従者(じゅうしゃ)が慌(あわ)てて行列(ぎょうれつ)に追(お)いつこうとしています。
東海道(とうかいどう) 程(ほど)ヶ(が)谷(や) 其二(そのに)
制作(せいさく)時期(じき):安政(やすまさ)元年(がんねん)(1854)2月(がつ)。 板元(はんもと):蔦(つた)吉(きち) これは「相州(そうしゅう)江(え)之(の)嶋(しま)眺望(ちょうぼう)」と対(つい)で、蔦(つた)吉(きち)から出版(しゅっぱん)された中(なか)短冊(たんざく)版(ばん)です。「武相(ぶそう)名所(めいしょ)手鑑(てかがみ)」のための武相(ぶそう)旅行(りょこう)は、5月10日(がつとおか)から6月(がつ)24日(にじゅうよっか)までの45日間(にちかん)におよび、金沢八景(かなざわはっけい)、浦賀(うらが)、秋屋(あきや)、鎌倉(かまくら)、江(え)の島(しま)、大磯(おおいそ)、湯本(ゆもと)、箱根(はこね)を巡(めぐ)る大(だい)旅行(りょこう)でした。この時(とき)書(か)き残(のこ)した「武(ぶ)相(そう)旅(たび)絵日記(えにっき)」を下地(したじ)にしたものが嘉永(かえい)6年(ねん)(1853年(ねん))以後(いご)の作品(さくひん)に多(おお)く、これもその一(ひと)つです。特(とく)にこれら対(つい)の作品(さくひん)は、「秋屋(あきや)の海岸(かいがん)高所(こうしょ)から見(み)た図(ず)」や「秋屋(あきや)の海岸(かいがん)」(両方(りょうほう)肉筆(にくひつ))の二幅(にふく)と構図(こうず)がよく似(に)ています。
鎌倉(かまくら)七里(しちり)が浜(はま)風景(ふうけい)
制作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)11年(ねん)~13年(ねん)(1840~1843)頃(ころ)。 板元(はんもと)印(しるし)なし 諸国(しょこく)名所(めいしょ)というシリーズもので、1「京(きょう)嵐山(あらしやま)渡月橋(とげつきょう)」、2「京師(けいし)清水寺(きよみずでら)」、3「下総(しもうさ)利根川(とねがわ)」、4「上州(じょうしゅう)榛名(はるな)山奥(やまおく)之(の)院(いん)」、5「上州(じょうしゅう)伊香保(いかほ)湯里(ゆさと)」、6「信州(しんしゅう)更科(さらしな)田毎月(たごとのつき)」、7「信州(しんしゅう)諏訪湖(すわこ)」、8「駿河(するが)三保(みほ)浦(うら)」、9「勢州(せいしゅう)二見浦(ふたみのうら)」、10「摂州(せっしゅう)住吉(すみよし)出見(いでみ)浜(はま)」、11「相州(そうしゅう)江之島(えのしま)」、12「相州(そうしゅう)七里浜(しちりがはま)」、13「浪花(なにわ)天保山(てんぽうざん)風景(ふうけい)」、14「箱根(はこね)湯治場(とうじば)」、15「播州(ばんしゅう)舞子(まいこ)浜(はま)」、16「武州(ぶしゅう)金沢八景(かなざわはっけい)」、17「武州(ぶしゅう)小金井(こがねい)」、18「武州(ぶしゅう)玉河(たまかわ)之(の)図(ず)」、19「武州(ぶしゅう)杉田(すいた)梅(うめ)図(ず)」、20「陸奥(むつ)松島(まつしま)風景(ふうけい)」です。 大(おお)きさは大判(おおばん)を四(よん)分(ぶん)の一(いち)にした小品(しょうひん)ですが、広重(ひろしげ)の脂(あぶら)の乗(の)り切(き)った頃(ころ)の作品(さくひん)で、遠近(えんきん)感(かん)のある気品(きひん)の高(たか)い作品(さくひん)となっています。島(しま)へ向(むか)う人々(ひとびと)を点景(てんけい)人物(じんぶつ)として大鳥居(おおとりい)を描(えが)き、島(しま)の前(まえ)に点在(てんざい)する人家(じんか)を配置(はいち)し、その後(ご)に江(え)の島(しま)の木々(きぎ)を描写(びょうしゃ)しています。
諸国(しょこく)名所(めいしょ) 相州(そうしゅう)江(え)之(の)嶋(しま)