Fujisawa Net Museum

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製作時期(せいさくじき):不明(ふめい)落款(らっかん)なし
泥絵(どろえ)とは、泥絵具(どろえのぐ)という粗悪(そあく)顔料(がんりょう)胡粉(ごふん)()ぜた絵具(えのぐ)(えが)いたもので、宝暦頃(ほうれきごろ)最初(さいしょ)として、19世紀前中頃(せいきぜんなかごろ)まで職人(しょくにん)画工(がこう)()(つく)られた遠近法(えんきんほう)主体(しゅたい)とした洋風表現(ようふうひょうげん)(つよ)()のことです。眼鏡絵(めがねえ)として制作(せいさく)されたものが(おお)いので、銅版(どうはん)木版(もくはん)制作(せいさく)された作品(さくひん)以外(いがい)肉筆眼鏡絵(にくひつめがねえ)泥絵(どろえ)(しょう)する場合(ばあい)もあります。この()左右(さゆう)逆影(ぎゃくえい)(えが)かれており、のぞき眼鏡用(めがねよう)制作(せいさく)されたものであることがわかります。左右(さゆう)(ぎゃく)反転(はんてん)すると、初代(しょだい)広重(ひろしげ)の「狂歌入り東海道(きょうかいりとうかいどう)」に()構図(こうず)作品(さくひん)であることが()かります。「(べつ)画像(がぞう)()ます」で反転画像(はんてんがぞう)をご(らん)ください。

無題(藤沢宿風景)

題名(だいめい)不詳(ふしょう)藤沢宿(ふじさわしゅく)風景(ふうけい)

上下(じょうげ)(かん)江の島(えのしま)出現(しゅつげん)()()し)(訳注(やくちゅう)(うみ)から(しま)()()したという伝説(でんせつ)をさしています)から島内(とうない)のさまざまな特徴(とくちょう)雑記(ざっき))や、役行者(えんのぎょうじゃ)訳注(やくちゅう)日本(にほん)有名(ゆうめい)呪術者(じゅじゅつしゃ))を(はじ)めとする修行者(しゅぎょうしゃ)江の島(えのしま)(かか)わりのある人々(ひとびと)伝記(でんき)言い伝(いいつた)えなどをまとめた書物(しょもつ)です。
江の島(えのしま)富士山(ふじさん)がつながっているという伝説(でんせつ)がありますが、本書(ほんしょ)の「雑記(ざっき)(ちゅう)に「仁田抜穴(にったのぬけあな)」の記述(きじゅつ)があります。「(やま)(ふた)つより(みなみ)石壁(いしかべ)(むかし)(あな)(かたち)(あり)しとなり、(いま)はなし。(つた)う、仁田忠常(にったのただつね)富士(ふじ)人穴(ひとあな)より(いり)()(やま)(はん)(ぷく)()()たりと()う」(あな)場所(ばしょ)は、地図(ちず)にも(しめ)されています。

江島(えのしま)大艸(おおそう)()

製作時期(せいさくじき):文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)。
板元(はんもと):越平(こしひら)(越村屋平助(こしむらやへいすけ))

島田宿(しまだしゅく)金谷宿(かなやしゅく)(あいだ)(なが)れる大井川(おおいがわ)を、島田宿側(しまだしゅくがわ)から()風景(ふうけい)です。
大井川(おおいがわ)川幅(かわはば)(ひろ)いうえに川筋(かわすじ)一定(いってい)しないため、(はし)(ふね)(わた)せず、人足(にんそく)による徒歩渡(かちわた)しで(わた)るしかありませんでした。(かわ)増水(ぞうすい)川留(かわど)めとなることも(おお)く、そのため東海道一(とうかいどういち)難所(なんしょ)として()られていました。

文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)の十四代(じゅうよんだい)将軍家茂(しょうぐんいえもち)上洛(じょうらく)意識(いしき)して出版(しゅっぱん)された東海道(とうかいどう)シリーズで「上洛東海道(じょうらくとうかいどう)」と()われているものです。
このシリーズは、どの作品(さくひん)にも武士(ぶし)姿(すがた)大名行列(だいみょうぎょうれつ)(えが)かれています。東海道(とうかいどう)宿場(しゅくば)だけではなく、街道筋(かいどうすじ)名所(めいしょ)()()げているため、150(まい)()える膨大(ぼうだい)(そろ)(ぶつ)となっています。(えが)いている絵師(えし)三代歌川豊国(さんだいうたがわとよくに)二代広重(にだいひろしげ)をはじめ、十数名(じゅうすうめい)当時(とうじ)()れっ()絵師(えし)分担(ぶんたん)して(えが)いています。

東海道 嶌田(上洛東海道)

東海道(とうかいどう) 嶌田(しまだ)()上洛(じょうらく)東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)。板元(はんもと):越平(こしひら)(越村屋平助(こしむらやへいすけ))

岡部宿(おかべしゅく)から鞠子宿(まりこしゅく)()かう途中(とちゅう)には、宇津(うつ)(やま)宇津之谷峠(うつのやとうげ))とよばれる峠道(とうげみち)()えます。
本作(ほんさく)では宇津(うつ)(やま)将軍(しょうぐん)鷹狩(たかがり)をする様子(ようす)(えが)かれています。(おお)くの家臣(かしん)たちに(かこ)まれ、椅子(いす)(すわ)(おうぎ)()った人物(じんぶつ)将軍(しょうぐん)でしょう。
そばに(ひか)える(おお)くの家臣(かしん)表情(ひょうじょう)(こま)やかに(えが)かれているのも印象的(いんしょうてき)です。

文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)の十四代(じゅうよんだい)将軍家茂(しょうぐんいえもち)上洛(じょうらく)意識(いしき)して出版(しゅっぱん)された東海道(とうかいどう)シリーズで「上洛東海道(じょうらくとうかいどう)」と()われているものです。このシリーズは、どの作品(さくひん)にも武士(ぶし)姿(すがた)大名行列(だいみょうぎょうれつ)(えが)かれています。東海道(とうかいどう)宿場(しゅくば)だけではなく、街道筋(かいどうすじ)名所(めいしょ)()()げているため、150(まい)()える膨大(ぼうだい)(そろ)(ぶつ)となっています。(えが)いている絵師(えし)三代歌川豊国(さんだいうたがわとよくに)二代広重(にだいひろしげ)をはじめ、十数名(じゅうすうめい)当時(とうじ)()れっ()絵師(えし)分担(ぶんたん)して(えが)いています

東海道 岡部(上洛東海道)

東海道(とうかいどう) 岡部(おかべ)()上洛(じょうらく)東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)。
板元(はんもと):越平(こしひら)(越村屋平助(こしむらやへいすけ))

鞠子(まりこ)丸子(まるこ)宿(しゅく)といえば、とろろ(じる)有名(ゆうめい)です。画中(がちゅう)でも、街道(かいどう)両脇(りょうわき)に「とろろ(じる)」の看板(かんばん)(かか)げた(みせ)がいくつも(つら)なっています。
鞠子宿(まりこしゅく)現在(げんざい)丸子(まるこ))は東海道(とうかいどう)(もっと)(ちい)さな宿駅(しゅくえき)でしたが、宇津之谷峠(うつのやとうげ)(ひか)えた休憩地(きゅうけいち)として(にぎ)わっていました。
画面手前右(がめんてまえみぎ)茶屋(ちゃや)店先(みせさき)にいる女性(じょせい)たちはちょうど行列(ぎょうれつ)()づいたところのようです。茶屋(ちゃや)屋根(やね)(おく)から、大名行列(だいみょうぎょうれつ)先頭(せんとう)をゆく毛槍(けやり)(かお)()しています。

文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)の十四代(じゅうよんだい)将軍家茂(しょうぐんいえもち)上洛(じょうらく)意識(いしき)して出版(しゅっぱん)された東海道(とうかいどう)シリーズで「上洛東海道(じょうらくとうかいどう)」と()われているものです。
このシリーズは、どの作品(さくひん)にも武士(ぶし)姿(すがた)大名行列(だいみょうぎょうれつ)(えが)かれています。東海道(とうかいどう)宿場(しゅくば)だけではなく、街道筋(かいどうすじ)名所(めいしょ)()()げているため、150(まい)()える膨大(ぼうだい)(そろ)(ぶつ)となっています。(えが)いている絵師(えし)三代歌川豊国(さんだいうたがわとよくに)二代広重(にだいひろしげ)をはじめ、十数名(じゅうすうめい)当時(とうじ)()れっ()絵師(えし)分担(ぶんたん)して(えが)いています

東海道 鞠子(上洛東海道)

東海道(とうかいどう) 鞠子(まりこ)()上洛(じょうらく)東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)。
板元(はんもと):越平(こしひら)(越村屋平助(こしむらやへいすけ)

府中宿(ふちゅうしゅく)行列(ぎょうれつ)(とお)ります。中景(ちゅうけい)にみえる(くろ)(もん)は、府中宿(ふちゅうしゅく)にあった二丁町(にちょうまち)遊郭(ゆうかく)です。
ちょうど(もん)手前(てまえ)()える白馬(はくば)(あか)(かさ)をさしている人物(じんぶつ)将軍(しょうぐん)見立(みた)てられています。ぼかしの(おく)後景(こうけい)には、駿府城(すんぷじょう)と、富士山(ふじさん)(おお)きく(はい)されています。

文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)の十四代将軍(じゅうよんだいしょうぐん)家茂(いえもち)上洛(じょうらく)意識(いしき)して出版(しゅっぱん)された東海道(とうかいどう)シリーズで「上洛東海道(じょうらくとうかいどう)」と()われているものです。
このシリーズは、どの作品(さくひん)にも武士(ぶし)姿(すがた)大名行列(だいみょうぎょうれつ)(えが)かれています。東海道(とうかいどう)宿場(しゅくば)だけではなく、街道筋(かいどうすじ)名所(めいしょ)()()げているため、150(まい)()える膨大(ぼうだい)(そろ)(もの)となっています。(えが)いている絵師(えし)三代(さんだい)歌川豊国(うたがわとよくに)二代(にだい)広重(ひろしげ)をはじめ、十数名(じゅうすうめい)()える当時(とうじ)()れっ()絵師(えし)分担(ぶんたん)して(えが)いています。

東海道 府中(上洛東海道)

東海道(とうかいどう) 府中(ふちゅう)()上洛(じょうらく)東海道(とうかいどう)



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