Fujisawa Net Museum

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作者不詳(さくしゃふしょう)
天保(てんぽう)14年(ねん)‐弘化(こうか)4年(ねん)(1843-47)

江戸時代(えどじだい)の四季(しき)の行事(ぎょうじ)や風物(ふうぶつ)を主題(しゅだい)とした双六(すごろく)で、サイコロの目(め)によって様々(さまざま)なコマへ飛(と)び移(うつ)る「飛(と)び双六(すごろく)」です。画面(がめん)下(した)の振(ふ)り出(だ)しで、サイコロを振(ふ)り、1は恵方参(えほうまいり)、2は福引(ふくびき)、3は初(はつ)卯(う)(正月(しょうがつ)最初(さいしょ)の卯(う)の日(ひ)の神社(じんじゃ)詣(もうで))、4は梅見(うめみ)、5は初午(はつうま)(二月(にがつ)最初(さいしょ)の午(うま)の日(ひ)の稲荷社(いなりしゃ)の祭(まつり))、6は隅田川(すみだがわ)(行楽(こうらく))に進(すす)み、最後(さいご)に画面(がめん)上(じょう)の「初春(しょしゅん)」まで行(い)けば、あがりとなります。
振(ふ)り出(だ)しの左上(ひだりうえ)には「江(え)の嶋(しま)」のコマがあり、女性(じょせい)たちが初夏(しょか)の頃(ころ)に江の島(えのしま)へ向(む)かう様子(ようす)が描(えが)かれています。江の島(えのしま)詣(もうで)が江戸時代(えどじだい)の四季(しき)の風物(ふうぶつ)の一(ひと)つとして浸透(しんとう)していたことが分(わ)かる資料(しりょう)となっています。

四季(しき)楽(たの)しみ双六(すごろく)

江戸(えど)・辻岡屋(つじおかや)文助(ぶんすけ)版(ばん) 慶応(けいおう)元年(がんねん)(1865年(ねん))
たて72.0 よこ61.0
徳川将軍(とくがわしょうぐん)家茂(いえもち)の上洛(じょうらく)(京都(きょうと)へ行(い)くこと)を機(き)に、これを題材(だいざい)としたいくつもの五十三次(ごじゅうさんつぎ)浮世絵(うきよえ)シリーズが発行(はっこう)されました。これらは「御(ご)上洛(じょうらく)東海道(とうかいどう)」「行列(ぎょうれつ)東海道(とうかいどう)」などと呼(よ)ばれ、爆発(ばくはつ)的(てき)な売(う)れ行(ゆ)きで多(おお)くの版(はん)を重(かさ)ね、当時(とうじ)の庶民(しょみん)の幕末(ばくまつ)の状況(じょうきょう)に対(たい)する関心(かんしん)の高(たか)さを物語(ものがた)っています。
絵師(えし)の歌川(うたがわ)(橋本(はしもと))貞秀(さだひで)は、鳥瞰(ちょうかん)的(てき)な視点(してん)から描(えが)いた浮世絵(うきよえ)で有名(ゆうめい)な画家(がか)で、この「行列(ぎょうれつ)双六(すごろく)」もその本領(ほんりょう)を発揮(はっき)したものと言(い)えましょう。振(ふ)り出(だ)しの「第一(だいいち) 江戸(えど)」を出発(しゅっぱつ)した行列(ぎょうれつ)は、さまざまな幟(のぼり)や旗(はた)、吹(ふ)き流(なが)しなどを立(た)てて「上(あ)がり」の京(きょう)へ向(む)かっていますが、この図(ず)では、さらに伏見(ふしみ)・淀(よど)・八幡(やはた)といった大坂(おおさか)までの大坂街道(おおさかかいどう)(京街道(きょうかいどう))の宿(やど)次(じ)も描(えが)き込(こ)まれていて、「一(ひと)ツ余(あま)れば 伏見(ふしみ)、二(ふた)ツ 〃 よど、三(みっ)ツ 〃 八(や)はた、四(よっ)ツ 〃 大坂(おおさか)」と記(しる)されています。

新版(しんばん)東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)行列(ぎょうれつ)双六(すごろく)

江戸(えど)・木屋宗次郎(きやそうじろう)版(ばん)
弘化(こうか)~安政(あんせい)4年(ねん)(1844-1857年(ねん))

発句(ほっく)とは連歌(れんが)の発端(ほったん)となる五(ご)七(なな)五(ご)の句(く)のことです。振(ふ)り出(だ)しの日本橋(にほんばし)から大津(おおつ)まで、各(かく)宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)に2~3の句(く)が添(そ)えられ、振(ふ)り出(だ)しの日本橋(にほんばし)では6つ、京(きょう)には9つの句(く)があげられています。
 上(あ)がりの京(きょう)では、数(かず)の余(あま)りがあると上(あ)がれないルールで、「一(ひと)ツ余(あま)れば 大津(おおつ)へ戻(もど)ル 二(ふた)ツ 〃 草津(くさつ)へ戻(もど)ル 三(み)ツ 〃 石部(いしべ)へ戻(もど)ル 四(よっ)ツ 〃 水口(みなくち)へ戻(もど)ル 五(いつ)ツ 〃 宮(みや)へ戻(もど)ル」と記載(きさい)があります。
 藤沢(ふじさわ)の絵(え)は四(よ)ツ谷(や)の立(た)て場(ば)の風景(ふうけい)、平塚(ひらつか)は花水川(はなみずがわ)をはさんだ高麗山(こまやま)の風景(ふうけい)となっています。藤沢(ふじさわ)の1句(く)目(め)を詠(よ)んでいる尾張(おわり)・服部(はっとり)李曠(りこう)(1861年(ねん)没(ぼつ))、2句(く)目(め)の江戸(えど)・村井(むらい)鳳洲(おうしゅう)(1814-1874年(ねん))や平塚(ひらつか)3句(く)目(め)の京(きょう)・中島(なかじま)黙池(もくち)(1881年(ねん)没(ぼつ))などは、いずれも著名(ちょめい)な俳人(はいじん)です。

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)発句(ほっく)双六(すごろく)

大坂(おおさか)・綿屋(わたや)喜兵衛(きへえ)版(ばん) 天保(てんぽう)~嘉永(かえい)(1830-1854年(ねん))頃(ごろ)

東海道(とうかいどう)の道中双六(どうちゅうすごろく)には、様々(さまざま)な要素(ようそ)が取(と)り込(こ)まれましたが、享和(きょうわ)2年(ねん)(1802年(ねん))に出版(しゅっぱん)された十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』が大(だい)流行(りゅうこう)すると、その内容(ないよう)を盛(も)り込(こ)んだ双六(すごろく)が多(おお)く現(あらわ)れました。この双六(すごろく)もその一(ひと)つで、それぞれのマスに描(えが)かれている情景(じょうけい)が、『膝栗毛(ひざくりげ)』のワンシーンであったり、出発(しゅっぱつ)地(ち)が東海道(とうかいどう)の起点(きてん)の日本橋(にほんばし)ではなく、『膝栗毛(ひざくりげ)』の主人公(しゅじんこう)が住(す)む神田(かんだ)八丁堀(はっちょうぼり)になっていたりと、随所(ずいしょ)に物語(ものがたり)と双六(すごろく)の内容(ないよう)を関連(かんれん)づけるような工夫(くふう)が見(み)られます。出版(しゅっぱん)(版元(はんもと))の綿屋(わたや)喜兵衛(きへえ)は大坂(おおさか)の本屋(ほんや)で、作者(さくしゃ)(絵師(えし))の歌川(うたがわ)国(こく)升(ます)も大坂(おおさか)の浮世絵師(うきよえし)です。

五十三駅(ごじゅうさんつぎ)滑稽(こっけい)膝栗毛(ひざくりげ)道中図(どうちゅうず)会(え)(双六(すごろく))



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