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東海名所 改正道中記 九 平塚 馬入川の渡し
東海名所 改正道中記 九 平塚 馬入川の渡し

資料名しりょうめい

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() (きゅう) 大磯(おおいそ)(まで)廿(にじゅう)(なな)(ちょう) 平塚(ひらつか) 馬入川(ばにゅうがわ)(わた)

作者さくしゃ

三代(さんだい) 歌川広重(うたがわひろしげ)重政(しげまさ)詳細

時代じだい

日本(にほん) 明治(めいじ)

解説かいせつ

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

馬入川(ばにゅうがわ)(わた)しの景色(けしき)(えが)いています。馬入川(ばにゅうがわ)相模川(さがみがわ)下流域(かりゅういき)名称(めいしょう)です。明治(めいじ)11(ねん)(1878)に馬入川(ばにゅうがわ)最初(さいしょ)木桁橋(もくげたきょう)()けられるまで、江戸時代(えどじだい)()わりなく(わた)(ぶね)利用(りよう)していました。
馬入(ばにゅう)(わた)しは、富士山(ふじさん)大山(おおやま)(のぞ)める名所(めいしょ)として、初代広重(しょだいひろしげ)(ころ)からも浮世絵(うきよえ)(えが)かれました。
茅葺(かやぶ)屋根(やね)家屋(かおく)や、(わた)(ぶね)()着物姿(きものすがた)人々(ひとびと)など、一見(いっけん)江戸時代(えどじだい)景色(けしき)()わらぬように()えますが、(わた)(ぶね)()せられた人力車(じんりきしゃ)や、この(ふね)()(おく)れたのか、(きし)()ちつくしている男性(だんせい)()()っている洋傘(ようがさ)などから、文明開化(ぶんめいかいか)影響(えいきょう)(かん)じられます。

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治前期(めいじぜんき)東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

サイズさいず

大判縦(おおばんたて)1(まい) (たて)34.6 (よこ)22.9

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう

10529

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