ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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「三島(みしま)のおせん」という江戸時代(えどじだい)の芝居(しばい)に登場(とうじょう)する人物(じんぶつ)が描(えが)かれています。いくつかの演目(えんもく)に登場(とうじょう)するおせんですが、中(なか)には盗賊(とうぞく)として描(えが)かれているものもあり、本図(ほんず)はそれを意識(いしき)しているものだと考(かんが)えられます。 コマ絵(え)はおそらく大場川(だいばがわ)(だいばがわ)が描(えが)かれていると思(おも)われ、東側(ひがしがわ)から進(すす)むと急(きゅう)こう配(ばい)の坂(さか)を進(すす)んで大場川(だいばがわ)に架(か)かる新町橋(しんまちばし)を渡(わた)る、といったルートになります。三島宿(みしましゅく)を目(め)の前(まえ)に、緊張感(きんちょうかん)をもって進(すす)まなければならないルートであることが本図(ほんず)からも読(よ)み取(と)れます。
双(そう)筆(ひつ)五十三次(ごじゅうさんつぎ) 三島(みしま)
この二人(ふたり)は「伊賀越(いがごえ)道中双六(どうちゅうすごろく)(いがごえどうちゅうすごろく)」に登場(とうじょう)する、重(じゅう)兵衛(べえ)(じゅうべえ)とお米(よね)(およね)です。人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)や歌舞伎(かぶき)で上演(じょうえん)されていた演目(えんもく)で、実際(じっさい)に起(お)こった事件(じけん)である「伊賀越(いがごえ)の仇討(あだう)ち」がモデルになっています。この事件(じけん)は忠臣蔵(ちゅうしんぐら)、曽我(そが)の仇討(あだう)ちとともに三(さん)大(だい)仇討(あだう)ちのうちのひとつとして知(し)られています。本図(ほんず)の重(じゅう)兵衛(べえ)は三(さん)代目(だいめ)坂東三津五郎(ばんどうみつごろう)(さんだいめばんどうみつごろう)を思(おも)わせる似顔(にがお)で描(えが)かれています。 コマ絵(え)に描(えが)かれているのは富士山(ふじさん)をはじめとした沼津宿(ぬまづしゅく)周辺(しゅうへん)の山々(やまやま)と、千本松原(せんぼんまつばら)(せんぼんまつばら)であると考(かんが)えられます。千本松原(せんぼんまつばら)とは、画面(がめん)右端(みぎはし)に見(み)える沼津城(ぬまづじょう)の南(みなみ)の海岸(かいがん)沿(ぞ)いに松(まつ)が植林(しょくりん)されている、その一帯(いったい)の呼称(こしょう)です。
双(そう)筆(ひつ)五十三次(ごじゅうさんつぎ) 沼津(ぬまづ)
白酒(しろざけ)と書(か)かれた扇(おうぎ)を手(て)に持(も)った女性(じょせい)が酒樽(さかだる)の前(まえ)に立(た)っています。この女性(じょせい)は白酒(しろざけ)売(う)りの姿(すがた)を表(あら)わしています。白酒(しろざけ)はこの辺(あた)りの名産(めいさん)品(ひん)として知(し)られていました。 酒樽(さかだる)に「富士(ふじ)の白酒(しろざけ)」とあるように、コマからはみ出(だ)すほどの大(おお)きな富士山(ふじさん)が描(えが)かれています。原宿(はらじゅく)が描(えが)かれる際(さい)はこのような画面(がめん)から富士(ふじ)のはみ出(で)た表現(ひょうげん)が頻繁(ひんぱん)にみられます。
双(そう)筆(ひつ)五十三次(ごじゅうさんつぎ) はら
江戸時代(えどじだい)まで金華山(きんかざん)に存在(そんざい)していた寺院(じいん)・大金(たいきん)寺(じ)の全貌(ぜんぼう)を描(えが)いています。金華山(きんかざん)が日本(にっぽん)五(ご)弁天(べんてん)の一(ひと)つに数(かぞ)えられるようになった背景(はいけい)には、宗像三女神(むなかたさんじょじん)の一(いっ)柱(ちゅう)・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)(いちきしまひめのみこと)を弁財天(べんざいてん)と同一(どういつ)視(し)する神仏習合(しんぶつしゅうごう)があり、そこには金華山(きんかざん)にある神社(じんじゃ)を統轄(とうかつ)していた大金(たいきん)寺(じ)の影響(えいきょう)があったとされています。
奥州(おうしゅう)金花(きんか)山大(ざんたい)金寺(きんじ)之(の)図(ず)
明治(めいじ)から大正(たいしょう)年間(ねんかん)にかけて刊行(かんこう)された日本(にっぽん)最初(さいしょ)のグラフ雑誌(ざっし)『風俗(ふうぞく)(ふうぞく)画(が)報(ほう)(がほう)』に描(えが)かれた一(いち)図(ず)で、当時(とうじ)の江の島(えのしま)の賑(にぎ)わいがよくわかる資料(しりょう)となっています。 本図(ほんず)では江の島(えのしま)神社(じんじゃ)中津宮(なかつみや)(なかつみや)(旧(きゅう)上之宮(うえのみや))(きゅううえのみや)の社殿(しゃでん)が描(えが)かれています。江島神社(えしまじんじゃ)となっても江の島(えのしま)は参詣(さんけい)者(しゃ)でにぎわっていた様子(ようす)が見(み)て取(と)れます。江戸時代(えどじだい)の浮世絵(うきよえ)では江の島(えのしま)岩屋(いわや)や鮑(あわび)取(と)りの様子(ようす)などは描(えが)かれてきましたが、江の島(えのしま)三社(さんしゃ)を直接(ちょくせつ)描(えが)いた構図(こうず)はほぼありませんでした。しかし、明治(めいじ)に入(はい)ってからは江の島(えのしま)神社(じんじゃ)や鳥居(とりい)から島(しま)をのぞき込(こ)む構図(こうず)など江の島(えのしま)島内(とうない)に視点(してん)を向(む)けた図(ず)も登場(とうじょう)します。
風俗画報(ふうぞくがほう)「江(え)の嶋(しま)神社(じんじゃ)中津(なかつ)宮(みや)の図(ず)」
手前(てまえ)の女性(じょせい)は歌川国貞(うたがわくにさだ)(三代(さんだい)豊国(ほうこく)(さんだいとよくに))、背景(はいけい)は二代(にだい)広重(ひろしげ)(にだいひろしげ)によって描(えが)かれた双(そう)筆(ひつ)(そうひつ)の作品(さくひん)です。 江の島(えのしま)への道中(どうちゅう)、七里ガ浜(しちりがはま)から海(うみ)を眺(なが)めながら、煙草(たばこ)(たばこ)を一服(いっぷく)する女性(じょせい)が描(えが)かれています。女性(じょせい)の装(よそお)いをみると、手(て)ぬぐいを被(こうむ)り、大(おお)きめの浴衣(ゆかた)(ゆかた)を羽織(はお)っています。こちらは浜辺(はまべ)での砂(すな)や埃(ほこり)をよけるためのもので、江の島(えのしま)へ向(む)かう女性(じょせい)の江戸時代(えどじだい)における定番(ていばん)ファッションでした。 本作(もとさく)は「団扇絵(うちわえ)(うちわえ)」と呼(よ)ばれるもので、江戸時代(えどじだい)の人々(ひとびと)はこのような団扇絵(うちわえ)を買(か)い、その年(とし)に流行(りゅうこう)に合(あ)わせて団扇(うちわ)の紙(かみ)を張(は)り替(か)えて使用(しよう)していました。団扇絵(うちわえ)は実(じつ)用品(ようひん)であるため、現存(げんそん)の少(すく)ない希少(きしょう)な作品(さくひん)とされています。
諸国(しょこく)名所(めいしょ)七里ガ浜(しちりがはま)
幕末期(ばくまつき)の人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)の一人(ひとり)である国芳(くによし)が描(えが)いた、七福神(しちふくじん)をそれぞれ女性(じょせい)に見立(みた)てたシリーズ作品(さくひん)です。画面(がめん)右(みぎ)奥(おく)に描(えが)かれた七福神(しちふくじん)に所縁(しょえん)のもの(道具(どうぐ))が、それぞれ手前(てまえ)の女性(じょせい)の持(も)ち物(もの)に見立(みた)てて描(えが)かれています。 この作品(さくひん)は、毘沙門天(びしゃもんてん)を題材(だいざい)にしています。手前(てまえ)の女性(じょせい)が将棋(しょうぎ)の「香車(きょうしゃ)(きょうしゃ)」の駒(こま)を持(も)っています。香車(きょうしゃ)の駒(こま)は進(すす)むばかりで後(うし)ろに退(しりぞ)くことができません。これは毘沙門天(びしゃもんてん)の使役(しえき)であり、同(どう)じく後退(こうたい)できないムカデを暗示(あんじ)しています。
七(しち)婦(ふ)久人(くじん) 毘沙門(びしゃもん)