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元禄(げんろく)3(ねん)(1690)
絵図(えず)製作者(せいさくしゃ)として活躍(かつやく)していた遠近道印(おちこちどういん)が(1620‐?)が作成(さくせい)した原図(げんず)(もと)にして、絵師(えし)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)街道(かいどう)風景(ふうけい)(えが)いて、完成(かんせい)させた分間図(ぶんけんず)です。分間(ぶんけん)(ぶんけん)とは測量(そくりょう)するという意味(いみ)で、測量(そくりょう)(もと)づいて、縮尺(しゅくしゃく)して(えが)かれています。
本分間図(ほんぶんけんず)は、東海道(とうかいどう)宿駅間(しゅくえきかん)距離(きょり)沿道(えんどう)寺社(じしゃ)(かわ)(わた)(かた)茶屋(ちゃや)各地(かくち)名物(めいぶつ)などを()せた、縮尺(しゅくしゃく)正確(せいかく)道中(どうちゅう)案内(あんない)()でもあり、()(たの)しめる街道(かいどう)絵図(えず)として、何度(なんど)再版(さいはん)されました。元禄(げんろく)3(ねん)(ばん)は、大阪(おおさか)(しん)和泉町(いずみちょう)版元(はんもと)七郎(しちろう)兵衛(ひょうえ)により刊行(かんこう)されました。
菱川師宣(ひしかわもろのぶ)は、(いち)(まい)()浮世絵(うきよえ)版画(はんが)確立(かくりつ)(しゃ)で、「見返(みかえ)美人(びじん)()」などの肉筆(にくひつ)版本(はんぽん)挿絵(さしえ)などを数多(かずおお)(えが)きました。

東海道分間之図一

東海道(とうかいどう)分間之図(ぶんけんのず)

遠近道印(おちこちどういん)作成(さくせい)した元禄(げんろく)3(ねん)(1690)初版(しょはん)分間(ふんかん)()を、さらに桑楊(そうよう)編集(へんしゅう)発行(はっこう)したものです。天保(てんぽう)12(ねん)(1841)に刊行(かんこう)されました。本図(もとず)凡例(はんれい)に「(いにしえ)()三分(みぶん)(いち)(ちょう)(つも)りなり(この)()一分(いちぶ)(いち)(ちょう)(つも)りを()ってしるす」とあります。元禄(げんろく)3年(さんねん)(ばん)は、1(ちょう)(やく)109m)を3(ふん)(やく)9mm)の縮尺(しゅくしゃく)で、本図(もとず)では1(ちょう)(やく)109m)を1分(いっぷん)(やく)3mm)の縮尺(しゅくしゃく)(えが)いています。初版(しょはん)元禄(げんろく)3年(さんねん))はのちにコンパクトに改訂(かいてい)され、天保(てんぽう)(ばん)では初版(しょはん)になかった近隣(きんりん)名所(めいしょ)茶屋(ちゃや)などの情報(じょうほう)(さら)()()まれています。
天保(てんぽう)(ばん)では、大阪(おおさか)吉文字(きちもんじ)()市兵衛(いちべえ)出版(しゅっぱん)した「東海道(とうかいどう)分間(ぶんかん)絵図(えず)」を、(さら)京都(きょうと)竹原(たけはら)(こう)兵衛(ひょうえ)刊行(かんこう)しており、版元(はんもと)次々(つぎつぎ)()わっているのが()かります。

東海道(とうかいどう)分間絵図(ぶんけんえず)

粉河寺(こかわでら)縁起(えんぎ)絵巻(えまき)写本(しゃほん)です。粉河寺(こかわでら)とは現在(げんざい)和歌山県(わかやまけん)()川市(かわし)粉河(こかわ)にあり、日本(にほん)最古(さいこ)観音(かんのん)巡礼(じゅんれい)とされる西国(さいこく)三十三所(さんじゅうさんしょ)巡礼(じゅんれい)(だい)(ばん)霊場(れいじょう)です。粉河寺(こかわでら)本尊(ほんぞん)にまつわる縁起(えんぎ)で、観音堂(かんのんどう)設立(せつりつ)された由来(ゆらい)河内(かわち)長者(ちょうじゃ)(むすめ)(やまい)観音(かんのん)菩薩(ぼさつ)化身(けしん)(いや)し、(ふか)感謝(かんしゃ)した一族(いちぞく)粉河寺(こかわでら)別当(べっとう)寺社(じしゃ)管理(かんり)する役職(やくしょく))になったという霊験(れいげん)物語(ものがたり)(えが)かれています。 展示(てんじ)されているのは、京都(きょうと)()まれの日本(にほん)画家(がか)猪飼(いがい)(しょう)(こく)(1881-1939)によって(うつ)されました。人々(ひとびと)信仰(しんこう)(えが)いたものとして貴重(きちょう)資料(しりょう)のひとつです。

粉河寺(こかわでら)絵巻(えまき)写本(しゃほん)



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