映像ギャラリー
西富・日限地蔵尊百万遍念仏
百万遍念仏とは、各種の祈祷を目的として念仏を百万回(数多く繰り返し)唱える行事です。西富の地蔵院(藤沢市西富一丁目 6 。旧西村地蔵堂)には日限地蔵と呼ばれる地蔵尊が安置されていて、毎年2月に地域の方々によって、長さ 17 メートルの大数珠を使用した百万遍念仏講が開かれています。
使用される大数珠には天保 8 年( 1837 年)等の銘が見られ、各数珠玉には近隣の住民の江戸時代の名が刻まれているなど、この行事が江戸時代から続けられていたことを物語っています。(平成 27 年度作品/ 6 分)
藤沢の野鍛冶
都市化の進む藤沢市内では、昔ながらに鉄の農具を作る鍛冶屋さんが1軒だけになってしまいました。そこで、もと鍛冶屋さんにお願いして、手作業で農具を作っていた頃の仕事の様子を再現していただき、記録フィルムに収めることにしました。材料は鉄…といっても、さまざまな性質のものがあり、素人にはなかなか理解することが難しい問題もあるのですが、「軟鉄」と鋼の2種類の鉄を駆使して、さまざまな道具を産み出します。(昭和 63 年度作品/ 23 分)
桶屋のしごと
近年では桶屋さんもあまり見かけなくなってしまいましたが、小さな木の板を丸く並べて、たがで締めた器である桶は、いったいどのようにして作られていたのでしょうか?
この作品では、辻堂の桶屋さんに桶作りの様子を再現してもらいました。作品の中で作って頂いたのは、すし飯台と手桶です。サワラの木を取り寄せ、小さく割って材料を取り、大まかな形を整えて、充分乾燥させた後、製作に取り掛かります。職人さんの足の器用さとともに、設計図も無しに、水も漏らさない円形の木の容器ができあがるのが、不思議とは思いませんか?(平成 2 年度作品/ 30 分)
地引き網 鵠沼・辻堂
鵠沼・辻堂地区で、古くから地引き網を操業してきた網元さんたちにお願いして、むかしの道具を納屋から引っ張り出して、砂に埋もれた木造船を掘り出して、機械化される以前の地引き網の操業のようすを再現しました。(平成 2 年度作品/ 25 分)
藤沢北部のお花祭り
仏教寺院では 4 月8日の灌仏会(かんぶつえ)として、お釈迦様の誕生をお祝いします。また、この日はふるくから先祖をまつる日と考えられ、「卯月八日」といって花立て行事などが行われたこともあり、ひろく「花祭り」と呼ばれています。
春の盛りに、さまざまな花が開花するこの時期は、農業の開始時期にもあたり、たんにお釈迦様の誕生祝いに限らない行事が、かつてはあったことでしょう。現代では、お寺によってさまざまですが、地域の人々の和を感じさせる楽しい行事が行われています。(平成 27 年度作品/ 6 分)
大庭台谷戸地区の稲荷講
ふるくから、地縁(近隣組織)や職業を同じくする家々による集まりは「講」とか「講中」とよばれ、神仏のまつりを通じて活動していました。そのため、「講」といえば、お祭そのものをさすこともあります。
大庭・台谷戸地区の稲荷講は、農業の神として稲荷神社をおまつりし、農作業などを共にしてきた家々の集まりです。 2 月最初の午の日は「初午」とよばれる稲荷神社の祭日です。台谷戸では2月の上旬にみんなで稲荷神社の清掃作業をして、小豆飯や油揚げなどのお供えをして、宿(=当番の家)でごちそうを食べます。昔は、農作業を家々が協力して行わなければならないことが多かったので、稲荷講の席ではさまざまな相談事がされたことでしょう。(平成 27 年度作品/ 6 分)
藤沢地区の凧揚げ
東京あたりでは、凧揚げは正月の行事と考えられていましたが、かつて藤沢では 5 月の節供に、こどもの初誕生祝いに贈られた大凧を揚げる凧揚げが盛んに行われていました。
5月節供の凧揚げは、藤沢から西に東海地方まで含む地域でおこなわれた年中行事でした。
凧は子どもの成長や商売繁盛などを祈念して作られます。
現代でも強い風の吹きやすい 5 月は端午の節供の時期でもあり、市内各所で凧揚げが行われています。凧揚げには広い空間が必要となりますので、田植えが始まる前のこの時期の田んぼが絶好の会場となります。相州藤澤凧保存会では、古くからの伝統を絶やさぬようにと、毎年のように凧揚げ大会を開催しています。 (平成 27 年度作品/6 分)
江の島天王祭
江の島の天王祭は、江島神社の境内社である八坂神社の祭礼です。毎年 7 月 14 日に近い土日に行われています。江の島の八坂神社の御神体は、もとは対岸の腰越の小動神社の御神体でした。ある時嵐で流され海底に沈んでいたところ、江の島の大海士(男の潜水漁師)が拾い上げたという伝えがあります。祭りでは、御神輿が海に入り、言い伝えを再現します。腰越の神社から迎えが来て、 2 基の御神輿が並んで腰越の町を練り歩く、行きあい祭となっていることも特徴です。さらに、天王祭のお囃子は、チャルメラや三味線、つづみなどが加わった、全国的にも特異なお囃子として有名です。(平成 27 年度作品/ 6 分)
片瀬こま
大正時代に片瀬に住んだ木工職人(ロクロ職人)が、子どもたちのために作ったこまが、湘南地域で盛んだった遊び方のケンカゴマにめっぽう強くて評判となり、片瀬ごまと呼ばれるようになったようです。時は移り、第二次大戦後、片瀬に住んでいて、子ども好きで手先の器用な熊野さんが、見よう見まねで自分も遊んだことがある片瀬ごまを復興して、ふたたび地域の子どもたちのあこがれの的になりました。今日では、熊野さんの息子さんが周囲の声に背中を押されて、片瀬ごまを作ってくれるようになり、こま好きの大人が集まって、こまの会を作り子供も加わって盛んになりつつあります。(平成 27 年度作品/ 6 分)
龍口法難会
片瀬の龍口寺は、むかし、鎌倉幕府にとらえられた日蓮聖人が、首を切られそうになったところ、不思議な光が指して死刑を免れた奇跡の場所です。 9 月の11/12/ 13 日は、関東東海あたりの信徒が集まり、たいへんにぎやかなお会式が行われます。勇壮なまとい振りや華やかな万灯が次々に参道を過ぎて、龍口寺の境内に躍り込んでいきます。露天も多く出て、夜遅くまで人通りが絶えません。(平成 27 年度作品/ 6 分)