Fujisawa Net Museum

江の島の歴史
江の島の歴史について研究しよう

日本にっぽんちゅうからおおくの観光客かんこうきゃくおとずれるしまは、江戸時代えどじだい人気にんき観光地かんこうちでした。神奈川県かながわけん指定してい史跡しせき名勝めいしょうで、歴史れきし自然しぜんなど、さまざまな文化財ぶんかざい宝庫ほうこわれています。
しま歴史れきしについて調しらべていきましょう!

しまってどんなしま

江の島

しまは、神奈川県藤沢市かながわけんふじさわし相模湾さがみわん海岸かいがんにある小島こじまです。
境川さかいがわ土砂どしゃ堆積たいせきによって、干潮かんちょうには湘南海岸しょうなんかいがん陸続りくつづきになるという特徴とくちょうがあります。海岸かいがんはしでつながれており、くるまでも徒歩とほでも簡単かんたんわたることができるため、現在げんざいはオシャレなおみせがたくさんある観光かんこうとしても人気にんきがあります。

しまっていつからあるの?

しま誕生たんじょういまからやく2まんねんまえ藤沢市ふじさわし東南部とうなんぶにある「片瀬かたせ」からはなされ、独立どくりつしたしまとなったのがはじまりです。りくから独立どくりつしたしまでしたが、縄文時代じょうもんじだい住居じゅうきょあとや土器どきなどが発見はっけんされていて、はやくからひとんでいたことが確認かくにんできます。
鎌倉時代かまくらじだい将軍しょうぐん 源頼朝みなもとのよりともは、1182ねんしま奥州藤原氏おうしゅうふじわらしとのたたかいの戦勝せんしょう祈願きがんおこない、鳥居とりい奉納ほうのうした、と『吾妻鏡あずまかがみ』にしるされています。また、江戸時代えどじだいには弁財天べんざいてん信仰しんこう庶民しょみんあいださかんになり、しまおとずれるひとおおくなりました。
しかし、当時とうじしまは、はし開通かいつうしていなければ、周辺しゅうへん電車でんしゃはしっていませんでした。

いつごろからいまのような姿すがたわっていったの?

片瀬かたせからはなれて孤島ことうとなったしまですが、1216ねんしま対岸たいがん片瀬かたせとのあいだ海底かいてい隆起りゅうきしたことをきっかけに、人々ひとびと徒歩とほしまできるようになりました。
1897ねん明治めいじ30ねん)にしま片瀬かたせあいだはしけられ、1902ねん明治めいじねん35ねん)に藤沢ふじさわから片瀬かたせげん江ノ島駅えのしまえきかん電車でんしゃ開通かいつうしました。

ばなからけられたしま桟橋さんばし

鵠沼くげぬま停車場ていしゃじょう江ノ電えのでん

ひだりしま弁天橋べんてんばしみぎ島大橋しまおおはし

● 江の島の歴史年表
1891(ねん)明治(めいじ)24(ねん) ()(しま)(はじ)めて桟橋(さんばし)()けられる
1897(ねん)明治(めいじ)30(ねん) ()(しま)片瀬(かたせ)()(ばな)(かん)桟橋(さんばし)完成(かんせい)する
1902(ねん)明治(めいじ)35(ねん) 藤沢(ふじさわ)片瀬(かたせ)(かん)江之島(えのしま)電気鉄道(でんきてつどう)通称(つうしょう)江ノ電(えのでん))が開通(かいつう)する
1909(ねん)明治(めいじ)42(ねん) ()(しま)(はじ)めて電灯(でんとう)開設(かいせつ)される
1910(ねん)明治(めいじ)43(ねん) 江之島(えのしま)電気鉄道(でんきてつどう)区間(くかん)藤沢(ふじさわ)鎌倉(かまくら)(かん)(ひろ)がる
1929(ねん)昭和(しょうわ)(ねん) 小田原急行電鉄(おだわらきゅうこうでんてつ) 江之島(えのしま)(せん)開通(かいつう)する
1940(ねん)昭和(しょうわ)15(ねん) ()(しま)水道(すいどう)()かれる
1949(ねん)昭和(しょうわ)24(ねん) 人道(じんどう)(きょう)である「()(しま)弁天橋(べんてんばし)」が完成(かんせい)する
1962(ねん)昭和(しょうわ)37(ねん) 車道(しゃどう)(きょう)である「()(しま)大橋(おおはし)」が完成(かんせい)する
1964(ねん)昭和(しょうわ)39(ねん) 東京(とうきょう)オリンピックのヨットレースが開催(かいさい)される

しまにはこんな人達ひとたちおとずれていた!

源頼朝みなもとのよりとも

鎌倉時代かまくらじだい将軍しょうぐんである源頼朝みなもとのよりともは1182ねんに、真言宗しんごんしゅうそうである「文覚もんがく上人しょうにん」、武士ぶし47めいとともにしまわたり、奥州藤原氏おうしゅうふじわらしとのせん勝利しょうり祈願きがんおこないました。また、このとき頼朝よりともしま鳥居とりい奉納ほうのうしました。

一遍いっぺん

民衆みんしゅうおど念仏ねんぶつすすめるために全国ぜんこく遊行ゆぎょうした時宗じしゅう開祖かいそであるいっぺんは1282ねんに、布教ふきょうのために鎌倉かまくらおとずれようとこころみますが、八代はちだい執権しっけん北条時宗ほうじょうときむね阻止そしされました。そのため、片瀬かたせ布教ふきょうを、しま修業しゅうぎょうおこなったとつたえられています。

徳川家康とくがわいえやす

江戸時代えどじだい将軍しょうぐんである徳川家康とくがわいえやすが1600ねん江島神社えのしまじんじゃおとずれると、武士ぶしだけでなく、庶民しょみんにもしまもうで流行りゅうこうし、おおくの人々ひとびとしまおとずれるようになりました。

E.S.モース

大森貝塚おおもりかいづか発見はっけんしたことで有名ゆうめい動物どうぶつ学者がくしゃのモース博士はかせは、当時とうじわんそくるい触手しょくしゅ動物どうぶつ一種いっしゅ)の研究けんきゅうをしていました。当時とうじ日本にっぽんにはわんそくるいおお生息せいそくしていたため、モース博士はかせは1877ねん来日らいにちし、しま漁師りょうしあみ小屋こやを「臨海りんかい実験じっけんしょ」に改造かいぞうし、採集さいしゅう活動かつどうおこないました。

サムエル・コッキング

医療いりょう器具きぐとう医薬品いやくひん骨董品こっとうひん植物しょくぶつなどをあつか貿易ぼうえき商人しょうにんであったサムエルコッキングは、つま 宮田みやたリキ名義めいぎで1880ねんごろしま土地とち購入こうにゅうし、別荘べっそうてたり温室おんしつつき植物園しょくぶつえん開設かいせつしました。植物園しょくぶつえん現在げんざいしま サムエルコッキングえん」とばれ、有料ゆうりょう観光施設かんこうしせつとして運営うんえいされています。

観光名所かんこうめいしょ歴史れきしろう!

江の島弁天橋
しま弁天橋べんてんばし

しまへのはしは 1891 ねん明治めいじ 24 ねん)にけられた桟橋さんばしがはじまりですが、 1923 ねん大正たいしょう 12 ねん)に関東大地震かんとうだいじしんによる津波つなみ流出りゅうしゅつしました。その、コンクリートせいはしとしてなおされたのがこの「しま弁天橋べんてんばし」です。 1964 ねん昭和しょうわ 39 ねん)の東京とうきょうオリンピックでは、しまがヨット競技きょうぎ会場かいじょうとなり、ヨットハーバーが建設けんせつされ、あわせて自動車じどうしゃ専用せんようの「しま大橋おおはし」がつくられました。「しま大橋おおはし」が完成かんせいしたことにより、「しま弁天橋べんてんばし」は歩道ほどう自転車じてんしゃ専用せんようはしとなり、現在げんざいしまおとずれる観光客かんこうきゃく利用りようされています。

青銅鳥居
青銅せいどう鳥居とりい

しま弁財天べんざいてん信仰しんこう隆盛りゅうせいつたえる建造けんぞうぶつとして、しま入口いりぐちに 1747 ねんてられました。おおくのおみせつらなり、観光かんこうスポットとなっている江島神社えのしまじんじゃへの参道さんどうまえ現在げんざいっているのは、1821 ねん再建さいけんされたものです。 1997 ねん平成へいせい 9 ねん)に藤沢市ふじさわし指定してい文化財ぶんかざいとなりました。

岩本楼
岩本楼いわもとろう

鎌倉時代かまくらじだいからある施設しせつですが、もとはしま施設管理しせつかんりになう「岩本いわもとぼう」という別当寺べつとうじでした。江戸時代えどじだいになると宗教しゅうきょうけん支配権しはいけん経済けいざいけん掌握しょうあくするそう別当べっとう岩本院いわもといん」となりました。
岩本院いわもといんは、江島神社えしまじんじゃにおまいりにおとずれたひと休憩所きゅうけいしょ宿泊しゅくはくしょとしても役割やくわりになっていました。岩本院いわもといんはそれまで宿坊しゅくぼうだったことをかし、 1874 ねん明治めいじ 7 ねん)に「岩本楼いわもとろう」という旅館りょかんへとわりました。くに登録有形文化財とうろくゆうけいぶんかざいの「岩本楼ロいわもとろうろーマ風呂ぶろ」や「弁天洞窟べんてんどうくつ風呂ふろ」をしに現在げんざい運営うんえいしています。

江島神社
江島神社えのしまじんじゃ

日本にっぽんさんだい弁財天べんざいてん」のひとつ江島えのしま神社じんじゃは、めのみことまつる「みや」、市寸島比売命いちきしまひめのみことまつる「中津宮なかつみや」、多紀理たきり比売命ひめのみことまつる「奥津おくつみや」の 三宮さんぐうからなります。
江島神社えのしまじんじゃはじまりは 552 ねん欽明天皇きんめいてんのうめいによりしまみなみ洞窟どうくつみやてたことであるともつたえられています。鎌倉幕府かまくらばくふ将軍しょうぐんや、執権しっけん代々だいだい領主りょうしゅから崇敬すうけいけたり、江戸時代えどじだい江島えのしま弁財天べんざいてんへの信仰しんこうあつまり、しままい人々ひとびとにぎわうなど、歴史れきしふる神社じんじゃです。

江の島展望灯台
サムエル・コッキング苑

前身ぜんしんの「コッキング植物園しょくぶつえん」は、さまざまな植物しょくぶつ栽培さいばいされ、当時とうじとしてはたか技術ぎじゅつ水準すいじゅん温室おんしつつくられた施設しせつでした。 1923 ねん大正たいしょう 12 ねん)に関東大地震かんとうだいじしん被害ひがいけましたが、 1949 ねん昭和しょうわ 24 ねん)から藤沢ふじさわ市営しえいの「しま植物園しょくぶつえん」として一般公開いっぱんこうかいされるようになりました。さらに 2003 ねん平成へいせい 15 ねん)に整備せいびおこなわれ、サムエルコッキングえんとしてリニューアルオープンしました。敷地内しきちないには、しまシーキャンドル(しま展望てんぼう灯台とうだい)もあり、しまのシンボルとしてした しまれています。

ヨットハーバー
ヨットハーバー

岩場いわばてにより東京とうきょうオリンピックのヨット競技きょうぎじょうとして整備せいびされ、 1964 ねん昭和しょうわ 39 ねん)に完成かんせいしました。オリンピック終了しゅうりょう一般人いっぱんじん利用りようできる施設しせつとして開放かいほうされ、また、湘南港しょうなんこう数々かずかずのヨットレースが開催かいさいされ、日本にっぽんのヨット活動かつどう普及ふきゅう貢献こうけんしてきました。 2020 ねん東京とうきょうオリンピックでは、セーリングの競技会きょうぎかいじょうとして使用しようされました。

もっと調しらべてみよう!

実際じっさいってみよう!

ここで紹介しょうかいした施設しせつ実際じっさいってみましょう。
また、このほかにもしまには歴史れきしのある建物たてもの遺跡いせきがたくさんあります。実際じっさいかんじたことをおいえひとやお友達ともだちはなってみるのもいいですね!

ちかくの資料館しりょうかんってみよう!
藤沢市文書館ふじさわしもんじょかん

しまかんする紀行文きこうぶんをはじめ観光かんこう漁業ぎょぎょうなどについてかれた資料しりょう一遍いっぺんについてかれた資料しりょう藤沢ふじさわかかわりのある個人こじんについての日記にっきなどが収蔵しゅうぞうされています。

藤澤ふじさわ浮世絵うきよえかん

しま浮世絵うきよえなどが実際じっさいられます。

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