Fujisawa Net Museum

浮世絵
浮世絵と藤沢のゆかりについて勉強しよう!

浮世絵(うきよえ)人々(ひとびと)()らしや社会(しゃかい)様子(ようす)(えが)絵画(かいが)で、江戸時代(えどじだい)庶民(しょみん)文化(ぶんか)のひとつとして(ひろ)まりました。
ゴッホなどのヨーロッパの画家(がか)たちにも影響(えいきょう)(あた)え、世界(せかい)からも注目(ちゅうもく)されています。
藤沢(ふじさわ)()歌川広重(うたがわひろしげ)有名(ゆうめい)作品(さくひん)である東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)にも(えが)かれています。
藤沢(ふじさわ)浮世絵(うきよえ)のゆかりについてみていきましょう!

浮世絵(うきよえ)って(なに)

浮世絵(うきよえ)とは、江戸時代(えどじだい)()まれた()です。当時(とうじ)()(なか)(えが)かれており、美人(びじん)女性(じょせい))や歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)などの人物(じんぶつ)や、日本(にっぽん)各地(かくち)名所(めいしょ)などいろいろなものが(えが)かれました。

浮世絵(うきよえ)のはじまりは江戸時代(えどじだい)、17世紀(せいき)後半(こうはん)からとされています。この当時(とうじ)浮世絵(うきよえ)墨色(すみいろ)単色(たんしょく)()りでした。その()、18世紀(せいき)後半(こうはん)から(いろ)(あざ)やかな多色(たしょく)()りの浮世絵(うきよえ)(つく)られるようになりました。この多色(たしょく)()りの浮世絵(うきよえ)を「錦絵(にしきえ)」と()びます。

浮世絵(うきよえ)(おお)くは木版画(もくはんが)(つく)られていました。版画(はんが)にすると(おな)じものをたくさんつくることができるので(やす)く、大勢(おおぜい)(ひと)()にすることができました。(いま)でいうアイドルのプロマイドやポスターのようなものでしょうか。

このように、浮世絵(うきよえ)庶民(しょみん)でも気軽(きがる)()()れることができたため、(なが)めたり、おもちゃのように()()いて(あそ)んだりと庶民(しょみん)娯楽(ごらく)として(した)しまれていました。

なぜ浮世絵(うきよえ)というの?

「うきよ」という言葉(ことば)江戸時代(えどじだい)以前(いぜん)からありました。この言葉(ことば)平安時代(へいあんじだい)から(つた)わる仏教(ぶっきょう)(てき)無常観(むじょうかん)関係(かんけい)しています。江戸時代(えどじだい)以前(いぜん)(いくさ)など(つら)いことばかりで、(うれ)うべきものだったため、現世(げんせい)のことを「()()」と()い、人々(ひとびと)来世(らいせ)へのあこがれを(いだ)いていました。憂世(うきよ)とは、()()くこと、つまりは “(つら)くて(かな)しい()(なか)()わりやすい世間(せけん)” という意味(いみ)です。

しかし、江戸時代(えどじだい)になると、農業(のうぎょう)生産力(せいさんりょく)向上(こうじょう)して人口(じんこう)()え、庶民(しょみん)文化(ぶんか)(たの)しむほどになりました。人々(ひとびと)人生(じんせい)謳歌(おうか)するようになり、この()もかならずしも(つら)いものではなくなり、むしろ()かれて(たの)しむほどになりました。このように人々(ひとびと)(なか)現世(げんせ)のとらえ(かた)が「(ゆう)()」から「()()」へと()わりました。
その「浮世(うきよ)」を(えが)いたものとして、「浮世絵(うきよえ)」と()ばれています。

浮世絵(うきよえ)西洋(せいよう)画家(がか)影響(えいきょう)(あた)えた…?!

浮世絵(うきよえ)左右(さゆう)非対称(ひたいしょう)余白(よはく)()かす(えが)(かた)一部分(いちぶぶん)拡大(かくだい)したり、()()ったりしたような(えが)(かた)(いろ)(めん)としてとらえて(えが)手法(しゅほう)は、当時(とうじ)西洋絵画(せいようかいが)にはなかったので、浮世絵(うきよえ)()西洋(せいよう)(ひと)たちを(おどろ)かせたといわれています。

浮世絵(うきよえ)影響(えいきょう)()けた画家(がか)一人(ひとり)に、オランダ出身(しゅっしん)のフィンセント・ファン・ゴッホがいます。ゴッホは、浮世絵(うきよえ)油絵(あぶらえ)模写(もしゃ)したり、400(てん)以上(いじょう)もの浮世絵(うきよえ)所有(しょゆう)したりと、浮世絵(うきよえ)(たか)関心(かんしん)をもっていました。

浮世絵(うきよえ)にはどんな名所(めいしょ)(えが)かれているの?

浮世絵(うきよえ)(えが)かれた名所(めいしょ)(ひと)つに、東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)宿場町(しゅくばまち)()げられます。
東海道(とうかいどう)とは江戸時代(えどじだい)整備(せいび)された(みち)のひとつで、江戸(えど)(いま)東京(とうきょう))から京都(きょうと)をつないでいました。(むかし)(くるま)電車(でんしゃ)がなかったため、(たび)をする(ひと)はこういう(みち)(ある)いていました。東海道(とうかいどう)には休憩(きゅうけい)するところや、()まるところ、食事(しょくじ)をするところである「宿場(しゅくば)」が53カ(しょ)ありました。これを東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()びます。

藤沢市(ふじさわし)にも東海道(とうかいどう)宿場(しゅくば)がありました。「遊行寺(ゆぎょうじ)」というお(てら)東側(ひがしがわ)(とお)坂道(さかみち)(むかし)東海道(とうかいどう)です。遊行寺(ゆぎょうじ)山門(さんもん)(まえ)には宿場町(しゅくばまち)(ひろ)がり、(みち)両側(りょうがわ)には「はたご」と()ばれる宿(やど)がたくさんありました。

浮世絵

東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 藤沢宿(ふじさわしゅく)
作者(さくしゃ)歌川広重(うたがわひろしげ)

浮世絵

藤沢宿(ふじさわしゅく) (なな)
作者(さくしゃ)渓斎英泉(けいさいえいせん)

また、()(しま)浮世絵(うきよえ)にたくさん(えが)かれています。()(しま)江戸時代(えどじだい)から人気(にんき)観光地(かんこうち)であり、()(しま)(もうで)一大(いちだい)ブームとなりました。浮世絵(うきよえ)には富士山(ふじさん)やと()わせて(えが)かれていたり、()(しま)初詣(はつもうで)人々(ひとびと)様子(ようす)(えが)かれたりしています。

浮世絵

()()(しま)七里ヶ浜(しちりがはま)
作者(さくしゃ)昇亭北寿(しょうていほくじゅ)

浮世絵

しまもうで
作者さくしゃ三代さんだい 歌川豊国うたがわとよくに

(むかし)藤沢(ふじさわ)はどんなところだったの?

東海道(とうかいどう)宿場町(しゅくばまち)として発展(はってん)した藤沢(ふじさわ)には「時宗(じしゅう)総本山(そうほんざん)遊行寺(ゆぎょうじ)」という(おお)きなお(てら)があります。また、信仰(しんこう)()行楽(こうらく)()とされていた()(しま)大山(おおやま)への入口(いりぐち)でもあったので、藤沢(ふじさわ)には、江戸(えど)から(おお)くの人々(ひとびと)(おとず)れました。
藤沢宿(ふじさわしゅく)代表(だいひょう)(てき)名所(めいしょ)としては、「時宗(じしゅう)総本山(そうほんざん)遊行寺(ゆぎょうじ)」、「遊行寺(ゆぎょうじ)(ばし)」、()島道(しまみち)入口(いりぐち)である「()島一(しまいち)鳥居(とりい)」、大山道(おおやまみち)入口(いりぐち)である「()()立場(たてば)」などがありました。

藤沢山(とうたくさん)遊行寺(ゆぎょうじ)
作者(さくしゃ)山岸(やまぎし)主計(かずえ)

東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 藤沢(ふじさわ)保永(ほうえい)(どう)(ばん)
作者(さくしゃ)歌川広重(うたがわひろしげ)

東海道(とうかいどう)(なな) 五十三次(ごじゅうさんつぎ)()(うち) 藤沢(ふじさわ)
()()立場(たてば)蔦屋(つたや)(ばん)
作者(さくしゃ)歌川広重(うたがわひろしげ)

藤沢(ふじさわ)とゆかりがある歴史物語(れきしのもがたり)がある?!

小栗判官(おぐりはんがん)照手(てるて)(ひめ)伝説(でんせつ)をみなさんは()っていますか?小栗判官(おぐりはんがん)照手(てるて)(ひめ)伝説(でんせつ)とは、(つま)である照手(てるて)(ひめ)一門(いちもん)(ころ)された主人公(しゅじんこう)小栗判官(おぐりはんがん)が、閻魔大王(えんまだいおう)(けい)らいでよみがえり、照手(てるて)(ひめ)再会(さいかい)()たして一門(いちもん)復讐(ふくしゅう)するという物語(ものがたり)です。

藤沢宿(ふじさわしゅく)は、遊行寺(ゆぎょうじ)(ふか)(えん)をもつ「小栗判官(おぐりはんがん)照手(てるて)(ひめ)伝説(でんせつ)」の影響(えいきょう)から、「藤沢(ふじさわ)といえば小栗判官(おぐりはんがん)」と()われていました。浮世絵(うきよえ)にもたびたび小栗判官(おぐりはんがん)照手(てるて)(ひめ)伝説(でんせつ)登場(とうじょう)する小栗判官(おぐりはんがん)照手(てるて)(ひめ)(おに)鹿毛(かげ)登場(とうじょう)しています。

浮世絵

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)(うち) 藤沢(ふじさわ) 小栗判官(おぐりはんがん)
作者(さくしゃ)歌川国貞(うたがわくにさだ)

役者(やくしゃ)見立(みたて)東海道(とうかいどう)という作品(さくひん)(ぐん)の1つです。
役者(やくしゃ)見立(みたて)東海道(とうかいどう)は、(かく)宿場(しゅくば)にゆかりある歌舞伎(かぶき)登場人物(とうじょうじんぶつ)(えん)じる人気(にんき)役者(やくしゃ)姿(すがた)(おお)きく(えが)き、上部(じょうぶ)宿場(しゅくば)風景(ふうけい)(えが)かれているのが特徴(とくちょう)です。

浮世絵

(そう)(ひつ)五拾(ごじゅう)三次(さんつぎ) 藤沢(ふじさわ)
作者(さくしゃ)歌川広重(うたがわひろしげ)三代(さんだい) 歌川(うたがわ)豊国(とよくに)

当時(とうじ)もっとも人気(にんき)のあった2人(ふたり)によって(えが)かれた作品(さくひん)です。

浮世絵

東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 藤沢(ふじさわ)
作者(さくしゃ)歌川芳員(うたがわよしかず)

各地(かくち)説話(せつわ)をユーモアある表現(ひょうげん)(えが)いたものです。説話(せつわ)とは(かた)(つた)えられた神話(しんわ)伝説(でんせつ)民話(みんわ)のことです。右側(みぎがわ)にいる女性(じょせい)照手(てるて)(ひめ)だとされています。

浮世絵(うきよえ)伝統(でんとう)途絶(とだ)えてしまったの?!

(いま)(うつ)す」浮世絵(うきよえ)は、幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)にかけて、日本(にっぽん)各地(かくち)名所(めいしょ)(えが)いた名所絵(めいしょえ)江戸時代(えどじだい)事物(じぶつ)にはない建造物(けんぞうぶつ)(もよお)(もの)人々(ひとびと)洋装(ようそう)和服(わふく)でなく洋服(ようふく)()ること)を(えが)いた開化絵(かいかえ)報道(ほうどう)(てき)性格(せいかく)をもった錦絵新聞(にしきえしんぶん)など、(えが)範囲(はんい)(ひろ)がり、“()(なか)紹介(しょうかい)する”という(あら)たな役割(やくわり)(にな)うようにもなりました。

やがて、新聞(しんぶん)写真(しゃしん)などの(ほか)のメディアの台頭(たいとう)により、報道(ほうどう)としての役割(やくわり)(ひく)くなり浮世絵(うきよえ)衰退(すいたい)していきましたが、絵師(えし)画家(がか)(てん)じたことによって、浮世絵(うきよえ)伝統(でんとう)()のジャンルの絵画(かいが)へと()()がれています。

もっと調(しら)べてみよう!

藤澤(ふじさわ)浮世絵(うきよえ)(かん)()こう★

藤澤(ふじさわ)浮世絵(うきよえ)(かん)では、浮世絵(うきよえ)すり体験(たいけん)や、浮世絵(うきよえ)のことを()ることができるタッチパネルなどがあります。また、藤沢(ふじさわ)浮世絵(うきよえ)(かん)する史料(しりょう)をたくさん()ることができます。間近(まぢか)浮世絵(うきよえ)()たり、自分(じぶん)浮世絵(うきよえ)()ったりすることで(あら)たな発見(はっけん)があるかも…!

浮世絵
浮世絵(うきよえ)すり体験(たいけん)コーナー

開催時間(かいさいじかん)(にち) 13:00~17:00(展示(てんじ)()(とう)による休館日(きゅうかんび)(のぞ)く)

するときのコツをお(おし)えするので(だれ)でも簡単(かんたん)体験(たいけん)できます!!すった作品(さくひん)()ちかえることができるよ!

浮世絵
展示(てんじ)コーナー

浮世絵(うきよえ)(かん)にはたくさんの浮世絵(うきよえ)展示(てんじ)させています。
解説(かいせつ)パネルもたくさんあるから、より(ふか)浮世絵(うきよえ)について(まな)べるよ!

浮世絵
ゲームコーナー

東海道(とうかいどう)のすごろくや、浮世絵(うきよえ)をくわしく解説(かいせつ)したタッチパネルがあります。
友達(ともだち)やおうちの(ひと)(あそ)びながら浮世絵(うきよえ)藤沢(ふじさわ)のことを(まな)んじゃおう!

浮世絵
ライブラリーコーナー

藤沢(ふじさわ)浮世絵(うきよえ)についてのいろいろな(ほん)がおいてあります。
学校(がっこう)図書館(としょかん)には()いていない(ほん)がたくさん!ぜひ()ってみてね!

Page Top