Fujisawa Net Museum

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資料名しりょうめい

絹本著色後醍醐天皇御像(けんぽんちゃくしょくごだいごてんのうおんぞう)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 南北朝(なんぼくちょう)

解説かいせつ

明治(めいじ)33(ねん)(1900)4月7日(がつなのか)指定(してい)(たて)94.2㎝、(よこ)40.2㎝/後醍醐天皇(ごだいごてんのう)礼服(れいふく)(うえ)袈裟(けさ)をかけ、(あたま)王冠(おうかん)()け、右手(みぎて)五鈷杵(ごこしょ)左手(ひだりて)五鈷鈴(ごこれい)をとり、礼盤(らいばん)(うえ)()図像(ずぞう)です。この御影(みかげ)は、おそらく後醍醐天皇(ごだいごてんのう)伝法勧請(でんぼうかんじよう)密教(みっきょう)秘法(ひほう)(さづ)ける儀式(ぎしき))を()ける姿(すがた)(あらわ)したものと(かんが)えられ、数多(かずおお)天皇肖像画(てんのうしょうぞうが)のなかでも異色(いしょく)のものといえます。制作(せいさく)南北朝(なんぼくちょう)から室町時代(むろまちじだい)にかかる(ころ)とみられ、応永(おおえい)3(ねん)(1396)醍醐寺(だいごじ)杲尊(こうそん)から遊行(ゆぎょう)12(だい)尊観(そんかん)(わた)されたものと(つた)えられています。画面上辺(がめんうわべ)伊勢(いせ)(天照皇大神(あまてらすすめおおかみ))、八幡(やはた)春日(かすが)三神名号(さんじんみょうごう)は、この三社託宣思想(さんしゃたくせんしそう)(三社(さんしゃ)のお()げを(とうと)思想(しそう))の(さか)んとなる室町時代(むろまちじだい)(はい)ってから()られたものとも(かんが)えられます。所有管理者(しょゆうかんりしゃ)清浄光寺(しょうじょうこうじ)遊行寺(ゆぎょうじ)

サイズさいず

(たて)94.2㎝、(よこ)40.2㎝

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) (くに) (くに)指定(してい)重要文化財(じゅうようぶんかざい)絵画(かいが)

資料番号しりょうばんごう

90010

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