Fujisawa Net Museum

資料詳細

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江の島道入口鳥居の沓石 宝物館入口左側
江の島道入口鳥居の沓石 宝物館入口左側 江の島道入口鳥居の沓石 宝物館入口右側 江の島道入口鳥居の沓石 銘文

資料名しりょうめい

()島道(しまみち)入口(いりぐち)鳥居(とりい)(くつ)(いし)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 明治(めいじ)

解説かいせつ

令和(れいわ)3(ねん)(2021)2月1日(がつついたち)指定(してい)
(たて)(よこ) 最大(さいだい)85㎝×85㎝ (たか)(やく)50㎝

 鳥居(とりい)(はしら)土台(どだい)(いし)です。現在(げんざい)遊行寺(ゆぎょうじ)宝物(ほうもつ)(かん)入口(いりぐち)(りょう)(わき)()かれていますが、もとは旧東海道(きゅうとうかいどう)から()かれて南下(なんか)する()島道(しまみち)入口(いりぐち)(藤沢(ふじさわ)1丁目(ちょうめ)遊行寺(ゆぎょうじ)橋西(ばしにし)(づめ)自動車排出(じどうしゃはいしゅつ)ガス測定(そくてい)(きょく)付近(ふきん))にあった江島神社(えのしまじんじゃ)遥拝(ようはい)鳥居(とりい)(くつ)(いし)です。文政(ぶんせい)(ろく)(ねん)(1823)に()てられた青銅(せいどう)(せい)鳥居(とりい)(()代目(だいめ)初代(しょだい)明和(めいわ)(ろく)(ねん)・1769)が、明治(めいじ)(じゅう)(さん)(ねん)(1880)十一月(じゅういちがつ)藤沢宿(ふじさわしゅく)大火(たいか)焼損(しょうそん)し、(よく)明治(めいじ)(じゅう)()(ねん)四月(しがつ)木造(もくぞう)((もく)(ちゅう)銅板(どうばん)()き)として再建(さいけん)(三代(さんだい)())された(さい)(くつ)(いし)であることが、(くつ)(いし)側面(そくめん)(きざ)まれた銘文(めいぶん)からわかります。

 その()明治(めいじ)(さん)(じゅう)(ねん)(ごろ)鳥居(とりい)腐朽(ふきゅう)のためか、撤去(てっきょ)されたようですが、(くつ)(いし)はそのまま残置(ざんち)されていました。そして、大正(たいしょう)末期(まっき)()島道(しまみち)新道(しんどう)建設(けんせつ)(おり)道路(どうろ)拡幅(かくふく)(さまた)げがあるとして、藤沢宿(ふじさわしゅく)人々(ひとびと)により清浄光寺(しょうじょうこうじ)へと(はこ)ばれたと(つた)えられています。

 浮世絵(うきよえ)(るい)(えが)かれる藤沢宿(ふじさわしゅく)()(ぐち)鳥居(とりい)(くつ)(いし)で、藤沢宿(ふじさわしゅく)のシンボル(てき)構造物(こうぞうぶつ)実物(じつぶつ)資料(しりょう)として、歴史的(れきしてき)価値(かち)(たか)いものです。

所有(しょゆう)管理者(かんりしゃ)清浄光寺(しょうじょうこうじ)遊行寺(ゆぎょうじ)


歌川広重(うたがわひろしげ)狂歌(きょうか)(いり)東海道(とうかいどう)



 大鋸(だいぎり)(ばし) ((げん)遊行寺(ゆぎょうじ)(ばし))を(わた)って、(みぎ)藤沢宿(ふじさわしゅく)(ひだり)()(しま)(みち)。その()(ぐち)鳥居(とりい)があります。

 この鳥居(とりい)明治(めいじ)大火(たいか)焼損(しょうそん)しました。それを再建(さいけん)した鳥居(とりい)(くつ)(いし)指定(してい)文化財(ぶんかざい)です。

サイズさいず

(たて)(よこ) 最大(さいだい)85㎝×85㎝ (たか)(やく)50㎝

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) () ()指定(してい)重要文化財(じゅうようぶんかざい)歴史資料(れきししりょう)

資料番号しりょうばんごう

90134

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