Fujisawa Net Museum

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資料名しりょうめい

雪月花(せつげっか) 武蔵(むさし) 高田(たかだの)(はな) 太田道灌(おおたどうかん) 山吹(やまぶき)()古事(こじ)

作者さくしゃ

(よう)(しゅう)周延(ちかのぶ) 詳細

時代じだい

日本(にほん) 明治(めいじ)

解説かいせつ

室町時代(むろまちじだい)後期(こうき)太田道灌(おおたどうかん)武蔵(むさし)守護代(しゅごだい)扇谷(おうぎがやつ)上杉(うえすぎ)(おうぎがやつうえすぎ)()家宰(かさい)として家政(かせい)()仕切(しき)り、文明(ぶんめい)8-12年 (1476-80)の長尾景春(ながおかげはる)(らん)などで活躍(かつやく)した武将(ぶしょう)です。江戸城(えどじょう)(きず)いたことで有名(ゆうめい)で、大庭城(おおばじょう)築城(ちくじょう)したとの伝説(でんせつ)もあります。武将(ぶしょう)としても学者(がくしゃ)としても一流(いちりゅう)という定評(ていひょう)がありましたが、謀殺(ぼうさつ)された悲劇(ひげき)武将(ぶしょう)としても有名(ゆうめい)です。伊勢原市内(いせはらしない)首塚(くびづか)があり、伊勢原市役所(いせはらしやくしょ)(まえ)には銅像(どうぞう)()っています。
 この作品(さくひん)は、武蔵国(むさしのくに)での道灌(どうかん)故事(こじ)(えが)かれています。(たか)()りの最中(さいちゅう)俄雨(にわかあめ)()られた道灌(どうかん)(ちか)くの農家(のうか)(たず)ねて(みの)(みの)を()りようとしましたが、(いえ)(むすめ)()()したのは(みの)ではなく一輪(いちりん)山吹(やまぶき)(はな)でした。(おこ)って(かえ)った道灌(どうかん)はその(よる)(むすめ)本当(ほんとう)(みの)もない(まず)しさを()の((みの))ならない山吹(やまぶき)(たと)えたことに()づき、(みずか)らを()じます。この()(さかい)道灌(どうかん)歌道(かどう)精進(しょうじん)するようになったといいます。画面(がめん)(じょう)には富士山(ふじさん)江戸城(えどじょう)(えが)かれています。

サイズさいず

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう


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