Fujisawa Net Museum

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資料名しりょうめい

(きゅう)鈴木(すずき)薬店(やくてん)店舗(てんぽ)(けん)(しゅ)(おく)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 昭和(しょうわ)

解説かいせつ

平成(へいせい)30(ねん)(2018)3(がつ)27(にち)登録(とうろく)鈴木家(すずきけ)は、近世(きんせい)には旧東海道(きゅうとうかいどう)遊行寺坂(ゆぎょうじざか)沿()いに広大(こうだい)地所(じしょ)所有(しょゆう)し、その一角(いっかく)旅籠(はたご)(いとな)んでいました。旅籠(はたご)廃業(はいぎょう)現在地(げんざいち)移転後(いてんご)鈴木(すずき)たけと(おっと)秀吉(ひでよし)が「鈴木薬店(すずきやくてん)」を開業(かいぎょう)秀吉(ひでよし)長女(ちょうじょ)・みやが薬学(やくがく)(まな)()いだが、平成元年(へいせいがんねん)(1989(ねん))に廃業(はいぎょう)現存(げんそん)する主屋(しゅおく)秀吉(ひでよし)()てたもので、棟木(むなぎ)墨書(ぼくしょ)から、昭和10年(しょうわじゅうねん)(1935(ねん))4(がつ)25(にち)上棟(じょうとう)判明(はんめい)しました。 大工(だいく)関野家(せきのけ)は、清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺(ゆぎょうじ))の()出入(でいり)(つと)めた大工(だいく)()で、清浄光寺(しょうじょうこうじ)本堂(ほんどう)とほぼ同時期(どうじき)手掛(てが)けられた(てん)は、かつて遊行寺(ゆぎょうじ)門前(もんぜん)旅籠(はたご)(いとな)んだ「大鈴木(おおすずき)」の家格(かかく)(しめ)すと同時(どうじ)に、遊行寺(ゆぎょうじ)()()地域(ちいき)歴史(れきし)文化(ぶんか)(つな)がりをよく(しめ)しています。出桁造(だしげたづくり)重厚(じゅうこう)(のき)道路側(どうろがわ)(すべ)土間(どま)とする前土間型(まえどまがた)構成(こうせい)など関東町家(かんとうまちや)典型的(てんけいてき)特徴(とくちょう)(そな)え、1階内部(かいぶぶん)にも商家(しょうか)らしい(たたず)まいをよく(のこ)しています。一方(いっぽう)()ちの(たか)さや、2階南(かいみなみ)西側(にしがわ)全面(ぜんめん)硝子戸(がらすど)採用(さいよう)近代(きんだい)らしい要素(ようそ)であり、2(かい)接客座敷(せっきゃくざしき)仕様(しよう)造作(ぞうさく)(しつ)(たか)いです。構造(こうぞう)形式(けいしき)木造(もくぞう)2階建(かいだて) 瓦葺(かわらぶき)建設(けんせつ)年代(ねんだい)昭和(しょうわ)10(ねん)建築(けんちく)建築面積(けんちくめんせき):91㎡。所有者(しょゆうしゃ)個人(こじん)

サイズさいず

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) (くに) (くに)登録有形文化財(とうろくゆうけいぶんかざい)

資料番号しりょうばんごう

90130

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