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資料名しりょうめい

本朝(ほんちょう)名将(めいしょう)(かがみ) 三浦(みうら)大介(おおすけ)義明(よしあき)

作者さくしゃ

歌川芳員(うたがわよしかず) 詳細

時代じだい

日本(にほん) 江戸(えど)

解説かいせつ

三浦義明(みうらよしあき)は、平安時代末期(へいあんじだいまっき)相模国三浦郡衣笠城(さがみのくにみうらぐんきぬがさじょう)武将(ぶしょう)治承(じしょう)(ねん)(1180(ねん))に源義朝(みなもとのよしとも)遺児(いじ)源頼朝(みなもとのよりとも)挙兵(きょへい)すると、一族(いちぞく)()げてこれに合流(ごうりゅう)しようと居城(きょじょう)衣笠城(きぬかさじょう)出撃(しゅつげき)します。しかし、途中(とちゅう)石橋山(いしばしやま)(たたか)いにおける頼朝(よりとも)敗戦(はいせん)()き、()(かえ)して篭城(ろうじょう)。ほどなくして敵方(てきかた)参加(さんか)していた畠山重忠(はたけやましげただ)(ひき)いる軍勢(ぐんぜい)衣笠城合戦(きぬがさじょうかっせん)となり、一族郎党(いちぞくろうとう)(ひき)いて奮戦(ふんせん)しますが、最終的(さいしゅうてき)には刀折(かたなお)矢尽(やつ)(たたか)(ちから)()きてしまった状態(じょうたい))、一族(いちぞく)安房(あわ)(のが)した(のち)(ひと)(しろ)(まも)って戦死(せんし)しました。
享年(きょうねん)89(さい)江戸時代(えどじだい)には義理(ぎり)(あつ)老将(ろうしょう)としてよく()られていました。
背景(はいけい)(うた)は「()(おい)ぬ ゆくすえなかく つかえると ()をおもふ(みち)に きみを おもへ」

サイズさいず

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう


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