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東海名所 改正道中記 十六 原 吉原の間新道
東海名所 改正道中記 十六 原 吉原の間新道

資料名しりょうめい

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() 十六(じゅうろく) (はら) 吉原(よしわら)(あいだ)新道(しんみち)

作者さくしゃ

三代(さんだい) 歌川広重(うたがわひろしげ)重政(しげまさ)詳細

時代じだい

日本(にほん) 明治(めいじ)

解説かいせつ

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

明治維新後(めいじいしんご)開通(かいつう)した(あたら)しい航路(こうろ)である沼川(ぬまかわ)(わた)しの場面(ばめん)(えが)かれています。江戸時代(えどじだい)東海道(とうかいどう)では、原宿(はらじゅく)(つぎ)宿駅(しゅくえき)である吉原宿(よしわらしゅく)にかけて、東海道(とうかいどう)(おお)きく北側(きたがわ)迂回(うかい)するルートをとっていましたが、この沼川(ぬまかわ)(わた)しを(とお)ることにより、海岸沿(かいがんぞ)いを直進(ちょくしん)し、(はら)から蒲原(かんばら)まで(わた)るルートができました。

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治前期(めいじぜんき)東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

サイズさいず

大判縦(おおばんたて)1(まい) (たて)34.6 (よこ)22.9

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう

10536

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