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東海名所 改正道中記 八 藤沢
東海名所 改正道中記 八 藤沢

資料名しりょうめい

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() (はち) 平塚(ひらつか)(まで)(さん)(はん) 藤澤(ふじさわ) ()のしまみちの鳥居(とりい)

作者さくしゃ

三代(さんだい) 歌川広重(うたがわひろしげ)重政(しげまさ)詳細

時代じだい

日本(にほん) 明治(めいじ)

解説かいせつ

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

画面手前(がめんてまえ)()(しま)(いち)鳥居(とりい)(とお)()(しま)(もうで)()かう人々(ひとびと)画面中央(がめんちゅうおう)には遊行寺橋(ゆぎょうじばし)画面右奥(がめんみぎおく)には遊行寺(ゆぎょうじ)()えます。初代広重(しょだいひろしげ)(えが)いた藤沢宿(ふじさわしゅく)のおなじみの景色(けしき)ですが、太鼓橋(たいこばし)だった遊行寺橋(ゆぎょうじばし)は、明治(めいじ)になると人力車(じんりきしゃ)馬車(ばしゃ)通行(つうこう)対応(たいおう)するために、西洋式(せいようしき)(たい)らな(はし)()()えられました。

画中(がちゅう)にも、(はし)(うえ)(とお)人力車(じんりきしゃ)(うま)()えます。画面右(がめんみぎ)(はし)のたもとにある茶屋(ちゃや)らしき建物(たてもの)には(まど)がつけられており、ところどころに文明開化(ぶんめいかいか)影響(えいきょう)がみられます。
(うま)()っている人物(じんぶつ)外国人(がいこくじん)男性(だんせい)(おも)われます。
当時(とうじ)横浜(よこはま)居留地(きょりゅうち)滞在(たいざい)する外国人(がいこくじん)外出(がいしゅつ)十里(じゅうり)四方(しほう)(やく)40km)以内(いない)との制限(せいげん)がありました。藤沢宿(ふじさわしゅく)はその範囲(はんい)(ない)にあたるので、実際(じっさい)にもこのように外国人(がいこくじん)通行(つうこう)する場面(ばめん)があったのかもしれません。

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治前期(めいじぜんき)東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

サイズさいず

大判縦(おおばんたて)1(まい) (たて)34.6 (よこ)22.9

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう

10528

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