Fujisawa Net Museum

資料詳細

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資料名しりょうめい

木造(もくぞう)十二神将(じゅうにしんしょう)立像(りゅうぞう)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 室町(むろまち)

解説かいせつ

平成(へいせい)30(ねん)(2018)2月1日(がつついたち)指定(してい)/養命寺(ようめいじ)本尊仏(ほんぞんぶつ)国指定重要文化財(くにしていじゅうようぶんかざい)薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)眷属仏(けんぞくぶつ)です。十五世紀(じゅうごせいき)(室町時代初期(むろまちじだいしょき))製作(せいさく)推定(すいてい)される木造仏像(もくぞうぶつぞう)12(てん)で、おのおの十二支(じゅうにし)(ひと)つに()てられています。像高(ぞうこう)は72.4~78.5cm(台座(だいざ)(のぞ)現存部(げんそんぶ))。檜材(ひのきざい)寄木造(よせぎづくり)玉眼(ぎょくがん)(水晶(すいしょう)())、一部(いちぶ)彩色(さいしき)で、手首(てくび)持物(じもつ)頭部(とうぶ)十二支動物像(じゅうにしどうぶつぞう)などに欠失(けっしつ)がありますが、鎌倉地方(かまくらちほう)中世彫刻(ちゅうせいちょうこく)らしい写実味(しゃじつみ)()びた力強(ちからづよ)堅実(けんじつ)中世仏像(ちゅうせいぶつぞう)遺作(いさく)として貴重(きちょう)です。「()」の宮昆羅大将像(くびらたいしょうぞう)像内銘(ぞうないめい)永正十八年再興(えいしょうじゅうはちねんさいこう)」など、胎内(たいない)銘文(めいぶん)修理札(しゅうりふだ)から永正十八年(えいしょうじゅうはちねん)(1521)、宝永六年(ほうえいろくねん)(1709)、元文三年(げんぶんさんねん)(1738)、文政七年(ぶんせいしちねん)(1824)、明治四年(めいじよねん)(1871)の修理年代(しゅうりねんだい)や、それにたずさわった鎌倉(かまくら)江戸(えど)(日本橋(にほんばし)神田(かんだ)浅草(あさくさ))の修理(しゅうり)仏師(ぶっし)()(あき)らかである(てん)特筆(とくひつ)されます。所有管理者(しょゆうかんりしゃ)養命寺(ようめいじ)

サイズさいず

像高(ぞうこう) 72.4~78.5cm(台座(だいざ)(のぞ)現存部(げんそんぶ))

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) () ()指定(してい)重要文化財(じゅうようぶんかざい)彫刻(ちょうこく)

資料番号しりょうばんごう

90126

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