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東海道五拾三次之内 草津ノ図
東海道五拾三次之内 草津ノ図

資料名しりょうめい

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 草津(くさつ)()

作者さくしゃ

歌川国貞(うたがわくにさだ)三代(さんだい) 豊国(とよくに)詳細

時代じだい

日本(にほん) 江戸(えど) 天保(てんぽう)

解説かいせつ

製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1839)。
板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ))

本図(ほんず)背景(はいけい)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)引用(いんよう)ではなく、『東海道名所図会(とうかいどうめいしょずえ)巻之二(まきのに)より「草津(くさつ)追分(おいわけ)」を参考(さんこう)にしていると(おも)われます。
東海道(とうかいどう)」「中仙道木曾街(なかせんどうきそまち)(みち))」と()かれた追分(おいわけ)標柱(ひょうちゅう)(うえ)(さる)()り、(かさ)をかぶった男性(だんせい)()()かる(いぬ)()(はら)おうとしています。

手前(てまえ)女性(じょせい)は、着物(きもの)(あたま)から(かぶ)被衣(かつぎ)(よそお)いです。江戸(えど)では、江戸中期頃(えどちゅうきごろ)禁止(きんし)されましたが、上方(かみがた)ではこの風習(ふうしゅう)がしばらく(のこ)っていたようで、江戸(えど)人々(ひとびと)にとって被衣(かつぎ)といえば上方(かみがた)というイメージが定着(ていちゃく)しており、(ほか)浮世絵(うきよえ)作品(さくひん)にも(えが)かれています。

国貞(くにさだ)(三代豊国(さんだいとよくに)前名(まえな))(えが)くこの東海道(とうかいどう)シリーズは、各宿(かくやど)風景(ふうけい)をバックにして前面(ぜんめん)()姿(すがた)美人(びじん)(えが)いたもので、(ぜん)シリーズを(とお)し、バックの風景画(ふうけいが)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)非常(ひじょう)によく()ています。

サイズさいず

中判縦(ちゅうばんたて)1(まい)(たて)25.6 (よこ)18.3

分類ぶんるい

浮世絵(うきよえ)

資料番号しりょうばんごう

10387

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