Fujisawa Net Museum

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資料名しりょうめい

清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺(ゆぎょうじ)) 本堂(ほんどう)

作者さくしゃ

時代じだい

日本(にほん) 昭和(しょうわ)

解説かいせつ

平成(へいせい)28(ねん)(2016)2(がつ)25(にち)登録(とうろく)/ 東海道(とうかいどう)藤沢宿(ふじさわしゅく)名刹(めいさつ)として(した)しまれる時宗総本山(じしゅうそうほんざん)藤澤山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんしょうじょうこうじ)通称(つうしょう)遊行寺(ゆぎょうじ))は、正中(せいちゅう)2(ねん)(1325)に遊行四代(ゆぎょうよんだい)呑海上人(どんかいしょうにん)が、実兄(じっけい)であった相模国俣野荘地頭(さがみのくにまたのしょうじとう)俣野五郎景平(またのごろうかげひら)帰依(きえ)()けて当地(とうち)建立(こんりゅう)したのが(はじ)まりです。江戸後期(えどこうき)境内図(けいだいず)では七堂伽藍(しちどうがらん)(ととの)った姿(すがた)()られますが、明治(めいじ)13(ねん)(1880)11(がつ)()きた「大川火事(おおかわかじ)」にて本堂(ほんどう)(ふく)めた諸堂(しょどう)焼失(しょうしつ)遊行寺(ゆぎょうじ)再建(さいけん)(いそ)明治(めいじ)27(ねん)(1894)に本堂(ほんどう)建立(こんりゅう)されます。しかし大正(たいしょう)12(ねん)(1923)の大正関東地震(たいしょうかんとうじしん)山内諸堂(さんないしょどう)倒壊(とうかい)させたのです。その()耐震化(たいしんか)(ふく)めて諸堂(しょどう)再建(さいけん)(はじ)まります。
 現在(げんざい)本堂(ほんどう)再建(さいけん)位置(いち)ですが、旧御廟(きゅうごびょう)場所(ばしょ)まで後退(こうたい)させ、正面(しょうめん)(ひろ)空間(くうかん)確保(かくほ)倒壊(とうかい)した旧本堂(きゅうほんどう)部材(ぶざい)彫刻(ちょうこく)再利用(さいりよう)しつつ、昭和(しょうわ)8(ねん)(1933)6(がつ)22(にち)関野金次郎(せきのきんじろう)頭領(とうりょう)として再建工事(さいけんこうじ)着手(ちゃくしゅ)昭和(しょうわ)10(ねん)(1935)5月10日(がつとうか)上棟(じょうとう)昭和(しょうわ)12(ねん)(1937)5月3日(がつみっか)御本尊(ごほんぞん)本堂(ほんどう)(はい)り、竣工(しゅんこう)落成(らくせい)(いた)ります。内部(ないぶ)中央(ちゅうおう)阿弥陀坐像(あみだざぞう)(はい)し、当麻曼荼羅(たいままんだら)(えが)かれる浄土(じょうど)()して荘厳(そうごん)関東随一(かんとうずいいち)とも()われる
木造建築物(もくぞうけんちくぶつ)復活(ふっかつ)したのです。構造(こうぞう)形式(けいしき)木造平屋建(もくぞうひらやだて)瓦銅板板葺(かわらどうばんいたぶき)本瓦様(ほんがわらさま))、流れ向拝付入母屋造(ながれこうはいづきいりもやづく)り。建設(けんせつ)年代(ねんだい)昭和(しょうわ)12(ねん)建築面積(けんちくめんせき):841.4㎡。所有者(しょゆうしゃ)清浄光寺(しょうじょうこうじ)

サイズさいず

分類ぶんるい

文化財(ぶんかざい) (くに) (くに)登録有形文化財(とうろくゆうけいぶんかざい)

資料番号しりょうばんごう

90114

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