Fujisawa Net Museum

資料一覧

手前(てまえ)のおどけた表情(ひょうじょう)人物(じんぶつ)は、仇討(あだう)ちの物語(ものがたり)伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』に登場(とうじょう)する飛脚(ひきゃく)澤井助平(さわいすけへい)で、仇役(かたきやく)である澤井又五郎(さわいまたごろう)家来(けらい)です。またここでは、助平(すけへい)茶店(ちゃみせ)店先(みせさき)にある遠眼鏡(とおめがね)で、吉田宿(よしだしゅく)にいる馴染(なじ)みの遊女(ゆうじょ)(ほか)(きゃく)(むつ)まじくしているのを()逆上(ぎゃくじょう)するという場面(ばめん)(えが)かれていると(かんが)えられます。(えん)じている役者(やくしゃ)初代(しょだい)坂東三津右衛門(ばんどうみつえもん)で、道化役(どうけやく)得意(とくい)とした役者(やくしゃ)でした。 仇討(あだう)ちの物語(ものがたり)伊賀(いが)越道(ごえどう)(ちゅう)双六(すごろく)』に登場(とうじょう)する敵役(かたきやく)澤井(さわい)又五郎(またごろう)家来(けらい)飛脚(ひきゃく)澤井(さわい)助平(すけへい)です。助平(すけへい)茶店(ちゃみせ)店先(みせさき)にある遠眼鏡(とおめがね)で、吉田(よしだ)宿(しゅく)にいる馴染(なじ)みの遊女(ゆうじょ)(ほか)(きゃく)(むつ)まじくしているのを()逆上(ぎゃくじょう)するという場面(ばめん)(えが)かれています。 (えん)じているのは、初代(しょだい)坂東(ばんどう)三津(みつ)右衛門(えもん)です。

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)(うち) 赤坂(あかさか) 澤井(さわい)助平(すけへい)初代(しょだい)(ばん)東三(ひどうみ)()右衛門(えもん)

保土ヶ谷(ほどがや)には帷子川(かたびらがわ)()かる新町橋(しんまちばし)様子(ようす)(えが)かれ、戸塚(とつか)(まつ)(やなぎ)()える畦道(あぜみち)()られます。どちらも赤穂浪士(あこうろうし)()()りを題材(だいざい)にした歌舞伎(かぶき)仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の登場人物(とうじょうじんぶつ)(えら)ばれており、保土ヶ谷(ほどがや)初代(しょだい)坂東(ばんどう)しうか(えん)じる腰元(こしもと)おかる、戸塚(とつか)八代目(はちだいめ)市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)(えん)じる塩冶判官(えんやはんがん)史実(しじつ)浅野長矩(あさのながのり)家臣(かしん)早野勘平(はやのかんぺい)です。二人(ふたり)恋人(こいびと)同士(どうし)ですが、勘平(かんぺい)失敗(しっぱい)により()()ちを余儀(よぎ)なくされ、その()()ちを題材(だいざい)とした歌舞伎舞踊(かぶきぶよう)道行旅路の花聟(みちゆきたびじのはなむこ)』は戸塚(とつか)舞台(ぶたい)となります。これは『役者見立東海道五十三駅(やくしゃみたてとうかいどうごじゅうさんつぎ)』というシリーズです。

このシリーズは、全部(ぜんぶ)一四〇点(ひゃくよんじゅってん)確認(かくにん)されています。
作者(さくしゃ)三代豊国(さんだいとよくに)、とても人気(にんき)(たか)かった絵師(えし)です。
背景(はいけい)には宿場(しゅくば)風景(ふうけい)(えが)かれており、手前(てまえ)人物(じんぶつ)は、宿場(しゅくば)(かか)わりのある歌舞伎(かぶき)登場人物(とうじょうじんぶつ)です。
また人物(じんぶつ)は、有名(ゆうめい)役者(やくしゃ)似顔絵(にがおえ)(えが)かれています 。

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)(うち) (ほど)谷駅(やえき) (こしもと)おかる(初代(しょだい)坂東(ばんどう)しうか)

製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1839)。
板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ))

背景(はいけい)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)藤沢(ふじさわ) 遊行寺(ゆぎょうじ)」を下敷(したじ)きにしています 。
女性(じょせい)(うし)ろにあるのは、大鋸橋(だいぎりばし)現在(げんざい)遊行寺橋(ゆぎょうじばし))と、かつてその(きわ)にあった江の島(えのしま)一ノ鳥居(いちのとりい)で、女性(じょせい)頭上(ずじょう)(やま)のように(えが)かれているのが遊行寺(ゆぎょうじ)です。

(おお)きな木太刀(きだち)御神酒枠(おみきわく)(かつ)いだ大山詣(おおやままい)りの一行(いっこう)は、広重(ひろしげ)作品(さくひん)では(はし)(うえ)にいますが、国貞(くにさだ)()では鳥居(とりい)(まえ)まで()ています。 手前(てまえ)女性(じょせい)旅立(たびだ)ちのため(おび)()めているところでしょうか。足元(あしもと)には煙草(たばこ)()れ、風呂敷(ふろしき)(つつ)み、菅笠(すげがさ)といった(たび)道具(どうぐ)()かれています。
板元(はんもと)佐野屋喜兵衛(さのやきへえ)

国貞(くにさだ)の「美人(びじん)東海道(とうかいどう)」の()(した)しまれている本作(ほんさく)は、背景(はいけい)東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)宿場(しゅくば)風景(ふうけい)が、手前(てまえ)には美人(びじん)各地(かくち)関連(かんれん)した風俗(ふうぞく)(えが)かれます。東海道(とうかいどう)景色(けしき)歌川広重(うたがわひろしげ)代表作(だいひょうさく)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)」を下敷(したじ)きにして(えが)いている(てん)特徴(とくちょう)ですが、宮宿(みやしゅく)から京都(きょうと)まで(四日市(よっかいち)(のぞ)く)は国貞(くにさだ)のオリジナルの絵柄(えがら)となっています。

東海道五拾三次之内 藤沢図

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 藤沢(ふじさわ)()

製作時期(せいさくじき):嘉永(かえい)5(ねん)(1852)。
板元(はんもと):伊勢兼(いせかね)(伊勢屋兼吉(いせやかねきち))

このシリーズは各宿(かくしゅく)にゆかりのある歌舞伎(かぶき)主人公(しゅじんこう)(えん)ずる人気役者(にんきやくしゃ)姿(すがた)(おお)きく(えが)き、上部(じょうぶ)背景(はいけい)にその地方(ちほう)風景(ふうけい)()えられているものです。こうした趣向(しゅこう)を「見立(みたて)」といい、この一連(いちれん)作品(さくひん)は「役者見立東海道(やくしゃみたてとうかいどう)」と()ばれています。
発売(はつばい)(とも)非常(ひじょう)人気(にんき)()び、図柄(ずがら)追加(ついか)され、また(あら)たに宿間(しゅくかん)()出版(しゅっぱん)されました。この()藤沢宿(ふじさわしゅく)で、ゆかりの物語(ものがたり)小栗判官(おぐりはんがん)照天姫伝説(あまのてるひめでんせつ)」の主人公(しゅじんこう)小栗判官(おぐりはんがん)(えが)いています。
(ふん)する役者(やくしゃ)坂東竹三郎(ばんどうたけさぶろう)(のち、五代(ごだい)坂東彦三郎(ばんどうひこさぶろう))です。背景(はいけい)藤沢宿(ふじさわしゅく)風景(ふうけい)初代(しょだい)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)構図(こうず)使用(しよう)しています。

東海道五十三次之内 藤沢 小栗判官(役者見立東海道)

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 藤沢(ふじさわ) 小栗判官(おぐりはんがん)役者(やくしゃ)見立(みたて)東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1839)。
板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ))

背景(はいけい)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)藤沢(ふじさわ) 遊行寺(ゆぎょうじ)」を下敷(したじ)きにしています 。
女性(じょせい)(うし)ろにあるのは、大鋸橋(だいぎりばし)現在(げんざい)遊行寺橋(ゆぎょうじばし))と、かつてその(きわ)にあった江の島(えのしま)一ノ鳥居(いちのとりい)で、女性(じょせい)頭上(ずじょう)(やま)のように(えが)かれているのが遊行寺(ゆぎょうじ)です。

(おお)きな木太刀(きだち)御神酒枠(おみきわく)(かつ)いだ大山詣(おおやままい)りの一行(いっこう)は、広重(ひろしげ)作品(さくひん)では(はし)(うえ)にいますが、国貞(くにさだ)()では鳥居(とりい)(まえ)まで()ています。手前(てまえ)女性(じょせい)旅立(たびだ)ちのため(おび)()めているところでしょうか。
足元(あしもと)には煙草入(たばこい)れ、風呂敷包(ふろしきづつ)み、菅笠(すげがさ)といった(たび)道具(どうぐ)()かれています。板元(はんもと)佐野屋喜兵衛(さのやきへえ)

国貞(くにさだ)の「美人(びじん)東海道(とうかいどう)」の()(した)しまれている本作(ほんさく)は、背景(はいけい)東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)宿場(しゅくば)風景(ふうけい)が、手前(てまえ)には美人(びじん)各地(かくち)関連(かんれん)した風俗(ふうぞく)(えが)かれます。
東海道(とうかいどう)景色(けしき)歌川広重(うたがわひろしげ)代表作(だいひょうさく)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)」を下敷(したじ)きにして(えが)いている(てん)特徴(とくちょう)ですが、宮宿(みやしゅく)から京都(きょうと)まで(四日市(よっかいち)(のぞ)く)は国貞(くにさだ)のオリジナルの絵柄(えがら)となっています。

国貞(くにさだ)(三代豊国(さんだいとよくに)の前名(まえな))(えが)くこの東海道(とうかいどう)シリーズは、各宿(かくやど)風景(ふうけい)をバックにして前面(ぜんめん)()姿(すがた)美人(びじん)(えが)いたもので、(ぜん)シリーズを(とお)し、バックの風景画(ふうけいが)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)非常(ひじょう)によく()ています。
保永堂(ほえいどう)(えが)かれた時間(じかん)(すこ)(すす)めたような(かん)じで、(はし)(うえ)(えが)かれた(おお)きな木太刀(きだち)(かつ)いだ大山詣(おおやままいり)一行(いっこう)(はし)()り、客引(きゃくひ)きの女性(じょせい)二人(ふたり)だけが(のこ)っています。

東海道五拾三次之内 藤沢図

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 藤沢(ふじさわ)()

製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1839)。
板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ))

背景(はいけい)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)品川(しながわ) 日之出(ひので)」の()をほぼ(うつ)していますが、国貞(くにさだ)作品(さくひん)では縦画面(たてがめん)()かすため、より俯瞰的(ふかんてき)構図(こうず)となっています。
日本橋(にほんばし)出立(しゅったつ)した大名行列(だいみょうぎょうれつ)一行(いっこう)品川(しながわ)(まち)(とお)()ぎて()くところが(えが)かれており、挟箱(はさみばこ)(かつ)いだ中間(ちゅうげん)雑務(ざつむ)などを(おこな)った下級(かきゅう)武士(ぶし))の(よこ)には宿場(しゅくば)境界(きょうかい)(しめ)した榜示杭(ぼうじぐい)()られます。

手前(てまえ)(えが)かれている女性(じょせい)は、(おお)くの(かんざし)(くし)()していることから遊女(ゆうじょ)であることがわかります。
品川宿(しながわしゅく)江戸(えど)一番(いちばん)(ちか)宿場(しゅくば)として、(あし)()ばす(ひと)(おお)く、また岡場所(おかばしょ)幕府(ばくふ)非公認(ひこうにん)遊郭街(ゆうかくまち))があったため、大変(たいへん)繁華(はんか)宿場(しゅくば)でありました。

国貞(くにさだ)(三代豊国(さんだいとよくに)前名(まえな))(えが)くこの東海道(とうかいどう)シリーズは、各宿(かくやど)風景(ふうけい)をバックにして前面(ぜんめん)()姿(すがた)美人(びじん)(えが)いたもので、(ぜん)シリーズを(とお)し、バックの風景画(ふうけいが)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)非常(ひじょう)によく()ています。

東海道五拾三次之内 品川之図

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 品川(しながわ)()()



Page Top