Fujisawa Net Museum

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制作(せいさく)時期(じき):弘化(こうか)年間(ねんかん)(1844~47)。
板元(はんもと):布吉(ぬのきち)

三代(さんだい)豊国(とよくに)文政(ぶんせい)12(ねん)(1829(ねん))柳亭種彦(りゅうていたねひこ)(さく)偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)合巻(ごうかん)挿絵(さしえ)評判(ひょうばん)となり、弘化(こうか)元年(がんねん)(1844(ねん))豊国(とよくに)(ごう)()ぎ、以後(いご)乱作(らんさく)傾向(けいこう)となり画風(がふう)類型(るいけい)(てき)となります 。
 画面(がめん)は、()(しま)富士(ふじ)背景(はいけい)に3(にん)女性(じょせい)が、それぞれのしぐさで(えが)かれています。左端(ひだりはし)女性(じょせい)火打金(ひうちがね)右手(みぎて))と火打(ひう)(いし)打合(うちあわ)せようとしています。また、右端(みぎはし)女性(じょせい)()煙管(きせる)には疱瘡(ほうそう)()天然痘(てんねんとう)(あか)(ぬの)()()けられ、いずれも(たび)安全(あんぜん)(いの)るまじないです。

三代(さんだい)豊国(とよくに)文政(ぶんせい)12(ねん)(1829(ねん))柳亭種彦(りゅうていたねひこ)(さく)偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)合巻(ごうかん)挿絵(さしえ)評判(ひょうばん)となり、弘化(こうか)元年(がんねん)(1844(ねん))豊国(とよくに)(ごう)()ぎ、以後(いご)乱作(らんさく)傾向(けいこう)となり画風(がふう)類型(るいけい)(てき)となります。他方(たほう)では工芸(こうげい)(てき)要素(ようそ)()し、美人(びじん)役者(やくしゃ)シリーズものを(おお)制作(せいさく)しています。全般的(ぜんぱんてき)には合巻(ごうかん)(るい)挿絵(さしえ)(おお)いようです。文化(ぶんか)天保(てんぽう)年間(ねんかん)若干(じゃっかん)読本(どくほん)挿絵(さしえ)(えが)き、(さら)天保(てんぽう)中期(ちゅうき)(ごろ)風景画(ふうけいが)(えが)いています。
この作品(さくひん)は、国貞(くにさだ)(あらため)二代(にだい)一陽斎(いちようさい)豊国(とよくに)落款(らっかん)されていて、二代(にだい)豊国(とよくに)後継(こうけい)のいざこざのあった時期(じき)作品(さくひん)です。

三代歌川豊国 江の嶌もうで

()(しま)もうで

製作時期(せいさくじき):文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)。
板元(はんもと):越平(こしひら)(越村屋平助(こしむらやへいすけ))

宿場(しゅくば)通過(つうか)する行列(ぎょうれつ)を、画面手前(がめんてまえ)(わか)男女(だんじょ)()(かえ)って()ている様子(ようす)(えが)かれています。
色味(いろみ)(おさ)えた山々(やまやま)などの背景(はいけい)とは対照的(たいしょうてき)に、色彩(しきさい)(ゆた)かな男女(だんじょ)(よそお)いが()える一枚(いちまい)です。

文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)の十四代(じゅうよんだい)将軍家茂(しょうぐんいえもち)上洛(じょうらく)意識(いしき)して出版(しゅっぱん)された東海道(とうかいどう)シリーズで「上洛東海道(じょうらくとうかいどう)」と()われているものです。このシリーズは、どの作品(さくひん)にも武士(ぶし)姿(すがた)大名行列(だいみょうぎょうれつ)(えが)かれています。東海道(とうかいどう)宿場(しゅくば)だけではなく、街道筋(かいどうすじ)名所(めいしょ)()()げているため、150(まい)()える膨大(ぼうだい)(そろ)(ぶつ)となっています。
(えが)いている絵師(えし)三代歌川豊国(さんだいうたがわとよくに)二代広重(にだいひろしげ)をはじめ、十数名(じゅうすうめい)当時(とうじ)()れっ()絵師(えし)分担(ぶんたん)して(えが)いています。

東海道 掛川(上洛東海道)

東海道(とうかいどう) 掛川(かけがわ)()上洛(じょうらく)東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)。
板元(はんもと):越平(こしひら)(越村屋平助(こしむらやへいすけ))

日坂宿(にっさかしゅく)は、急勾配(きゅうこうばい)(さか)(つづ)難所(なんしょ)として()られる小夜(さよ)中山峠(なかやまとうげ)西側(にしがわ)位置(いち)します。画面奥(がめんおく)には、小夜(さよ)中山峠(なかやまとうげ)(えが)かれています。
画面手前(がめんてまえ)には、日坂宿名物(にっさかしゅくめいぶつ)の「あめの(もち)」の看板(かんばん)(かか)げた茶屋(ちゃや)()()(かご)()りた将軍(しょうぐん)と、出迎(でむか)える茶屋(ちゃや)女性(じょせい)たちが(えが)かれています。

文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)の十四代(じゅうよんだい)将軍家茂(しょうぐんいえもち)上洛(じょうらく)意識(いしき)して出版(しゅっぱん)された東海道(とうかいどう)シリーズで「上洛東海道(じょうらくとうかいどう)」と()われているものです。このシリーズは、どの作品(さくひん)にも武士(ぶし)姿(すがた)大名行列(だいみょうぎょうれつ)(えが)かれています。東海道(とうかいどう)宿場(しゅくば)だけではなく、街道筋(かいどうすじ)名所(めいしょ)()()げているため、150(まい)()える膨大(ぼうだい)(そろ)(ぶつ)となっています。
(えが)いている絵師(えし)三代歌川豊国(さんだいうたがわとよくに)二代広重(にだいひろしげ)をはじめ、十数名(じゅうすうめい)当時(とうじ)()れっ()絵師(えし)分担(ぶんたん)して(えが)いています。

東海道 日坂(上洛東海道)

東海道(とうかいどう) 日坂(にっさか)()上洛(じょうらく)東海道(とうかいどう)

五行説(ごぎょうせつ)において重要(じゅうよう)(いろ)とされていた「()」「(あお)」「(あか)」「(しろ)」「(くろ)」の5(しょく)に、それぞれ美人(びじん)()てはめて(えが)かれています。またこの美人(びじん)たちは、歌舞伎(かぶき)登場人物(とうじょうじんぶつ)(なぞら)えて(えが)かれており、各色(かくしょく)は、その(やく)()まって()衣装(いしょう)(いろ)対応(たいおう)しています。
(あお)」に(えが)かれているのは、小栗判官(おぐりはんがん)ものの物語(ものがたり)登場(とうじょう)する照手姫(てるてひめ)小栗判官(おぐりはんがん)藤沢(ふじさわ)遊行寺(ゆぎょうじ)とゆかりのある人物(じんぶつ)で、照手姫(てるてひめ)小栗判官(おぐりはんがん)恋人(こいびと)です。

(あお)照手姫(てるてひめ)小栗判官(おぐりはんがん)物語(ものがたり)より)
小栗判官(おぐりはんがん)一度(いちど)毒殺(どくさつ)され、蘇生(そせい)したものの餓鬼(がき)のような姿(すがた)になってしまいました。この作品(さくひん)では、餓鬼状態(がきじょうたい)小栗判官(おぐりはんがん)を、照手姫(てるてひめ)熊野(くまの)温泉(おんせん)まで荷車(にぐるま)()せて()いていくという場面(ばめん)(えが)かれています。
照手姫(てるてひめ)物語中(ものがたりちゅう)、「常陸小萩(ひたちこはぎ)」と名乗(なの)遊女屋(ゆうじょや)下働(したばたら)きをしたという(はなし)があることから、着物(きもの)(がら)として(はぎ)(はい)されています。なお、()られた着物(きもの)(いろ)()ると(みどり)()えますが、江戸時代(えどじだい)はこの(いろ)も「(あお)」に(ふく)めました。

(いつつ)(きぬ)(いろの)染分(そめわけ) (あお)

製作時期(せいさくじき):文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)。
板元(はんもと):越平(こしひら)(越村屋平助(こしむらやへいすけ)

茶屋(ちゃや)休憩(きゅうけい)する旅人(たびびと)とお(ちゃ)()()女性(じょせい)(おく)行列(ぎょうれつ)()えます。
さらにその後景(こうけい)には富士山(ふじさん)(おお)きく(えが)かれています。富士山(ふじさん)名所(めいしょ)として()られる一本松(いっぽんまつ)立場(たてば)場面(ばめん)(おも)われます。この(あた)りから()富士山(ふじさん)が、東海道中(とうかいどうちゅう)一番(いちばん)(おお)きく()えると評判(ひょうばん)でした。

文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)の十四代将軍(じゅうよんだいしょうぐん)家茂(いえもち)上洛(じょうらく)意識(いしき)して出版(しゅっぱん)された東海道(とうかいどう)シリーズで「上洛東海道(じょうらくとうかいどう)」と()われているものです。
このシリーズは、どの作品(さくひん)にも武士(ぶし)姿(すがた)大名行列(だいみょうぎょうれつ)(えが)かれています。東海道(とうかいどう)宿場(しゅくば)だけではなく、街道筋(かいどうすじ)名所(めいしょ)()()げているため、150(まい)()える膨大(ぼうだい)(そろ)(もの)となっています。(えが)いている絵師(えし)三代(さんだい)歌川豊国(うたがわとよくに)二代(にだい)広重(ひろしげ)をはじめ、十数名(じゅうすうめい)()える当時(とうじ)()れっ()絵師(えし)分担(ぶんたん)して(えが)いています。

東海道 原(上洛東海道)

東海道(とうかいどう) (はら)()上洛(じょうらく)東海道(とうかいどう)

製作時期(せいさくじき):文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)。
板元(はんもと):越平(こしひら)(越村屋平助(こしむらやへいすけ))

三島宿(みしましゅく)は、三島大社(みしまたいしゃ)門前町(もんぜんまち)であるとともに、三島女郎衆(みしまじょろうしゅう)とよばれる飯盛女(めしもりおんな)宿場(しゅくば)()かれた私娼(ししょう))を(おお)(かか)えて(にぎ)わう宿場(しゅくば)でした。
()手前(てまえ)には、身支度(みじたく)(ととの)える飯盛女(めしもりおんな)たちの様子(ようす)(えが)かれ、後景(こうけい) には三島大社(みしまたいしゃ)鳥居(とりい)(まえ)(とお)行列(ぎょうれつ)(えが)かれています。

文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)の十四代将軍(じゅうよんだいしょうぐん)家茂(いえもち)上洛(じょうらく)意識(いしき)して出版(しゅっぱん)された東海道(とうかいどう)シリーズで「上洛東海道(じょうらくとうかいどう)」と()われているものです。
このシリーズは、どの作品(さくひん)にも武士(ぶし)姿(すがた)大名行列(だいみょうぎょうれつ)(えが)かれています。東海道(とうかいどう)宿場(しゅくば)だけではなく、街道筋(かいどうすじ)名所(めいしょ)()()げているため、150(まい)()える膨大(ぼうだい)(そろ)(もの)となっています。(えが)いている絵師(えし)三代(さんだい)歌川豊国(うたがわとよくに)二代(にだい)広重(ひろしげ)をはじめ、十数名(じゅうすうめい)()える当時(とうじ)()れっ()絵師(えし)分担(ぶんたん)して(えが)いています。

東海道 三嶋(上洛東海道)

東海道(とうかいどう) 三嶋(みしま)()上洛(じょうらく)東海道(とうかいどう)



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