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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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手前(てまえ)には、美男子(びだんし)であったと名高(なだか)い八代目(はちだいめ)市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)演(えん)じる松若丸(まつわかまる)(画中(がちゅう)では松若(まつわか))が描(えが)かれ、画題枠(がだいわく)には「戸塚藤沢宿間(とつかふじさわしゅくかん) 吉田橋(よしだばし)」と書(か)かれていますが、背景(はいけい)には吉田橋(よしだばし)は描(えが)かれておりません。戸塚(とつか)の吉田橋(よしだばし)は柏尾川(かしおがわ)に架(か)かる橋(はし)で、東海道(とうかいどう)と鎌倉(かまくら)へと向(む)かう道(みち)への分岐点(ぶんきてん)でもありました。吉田橋(よしだばし)に松若丸(まつわかまる)が描(えが)かれた理由(りゆう)は、松若丸(まつわかまる)が京(きょう)の公家(くげ)である「吉田家(よしだけ)」の子息(しそく)という設定(せってい)に拠(よ)るものです。松若丸(まつわかまる)は謡曲(ようきょく)『隅田川(すみだがわ)』をアレンジした「隅田川(すみだがわ)もの」歌舞伎(かぶき)において、悲劇(ひげき)の死(し)を遂(と)げる少年(しょうねん)「梅若丸(うめわかまる)」の双子(ふたご)の兄(あに)として登場(とうじょう)します。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 戸塚(とつか)藤沢(ふじさわ)間(かん) 吉田橋(よしだばし) 松若(まつわか)
黄(き):お熊(くま)(『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』より) 黄色地(きいろぢ)に縞模様(しまもよう)の“黄八丈(きはちじょう)”の着物(きもの)を着(き)た、材木問屋(ざいもくどんや)の娘(むすめ)である「お熊(くま)」が描(えが)かれています。お熊(くま)の登場(とうじょう)する『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』は、「髪結新三(かみゆいしんざ)」の愛称(あいしょう)で親(した)しまれている歌舞伎(かぶき)で、現在(げんざい)でも人気演目(にんきえんもく)の一(ひと)つとなっています。 左下(ひだりした)にあるのは髪結(かみゆ)いの道具(どうぐ)で、物語(ものがたり)の主人公(しゅじんこう)、“回(まわ)り髪結(かみゆ)い”の新三(しんざ)を象徴(しょうちょう)しています。お熊(くま)は、店(みせ)の手代(てだい)である忠七(ちゅうしち)と恋仲(こいなか)ながら、親(おや)に無理(むり)に縁談(えんだん)を結(むす)ばれそうになります。それを新三(しんざ)が聞(き)いていて・・・ということから、話(はなし)が展開(てんかい)していきます。 五行説(ごぎょうせつ)において重要(じゅうよう)な色(いろ)とされていた「青(あお)」「赤(あか)」「黄(き)」「白(しろ)」「黒(くろ)」の5色(しょく)に、それぞれ美人(びじん)が当(あ)てはめて描(えが)かれています。またこの美人(びじん)たちは、歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)に擬(なぞら)えて描(えが)かれており、各色(かくしょく)は、その役(やく)が決(き)まって着(き)る衣装(いしょう)の色(いろ)と対応(たいおう)しています。
五(いつつ)衣(きぬ)色(いろの)染分(そめわけ) 黄(き)
白(しろ):役名(やくめい)未詳(みしょう) 白地(しろじ)に絣(かすり)の着物(きもの)を着(き)た美人(びじん)が描(えが)かれています。役名(やくめい)は未詳(みしょう)ですが、髪型(かみがた)から芸者(げいしゃ)であると考(かんが)えられ、屋根(やね)舟(ぶね)の後方(こうほう)に立(た)ち、扇子(せんす)を口(くち)にくわえながら帯(おび)を直(なお)すという仕草(しぐさ)で描(えが)かれています。 空(そら)には満月(まんげつ)がさえざえと輝(かがや)き、その下(した)に見(み)える橋(はし)は、竹(ちく)材(ざい)問屋(とんや)が見(み)えることから江戸(えど)の京橋(きょうばし)と思(おも)われます。 五行説(ごぎょうせつ)において重要(じゅうよう)な色(いろ)とされていた「黄(き)」「青(あお)」「赤(あか)」「白(しろ)」「黒(くろ)」の5色(しょく)に、それぞれ美人(びじん)が当(あ)てはめて描(えが)かれています。またこの美人(びじん)たちは、歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)に擬(なぞら)えて描(えが)かれており、各(かく)色(いろ)は、その役(やく)が決(き)まって着(き)る衣装(いしょう)の色(いろ)と対応(たいおう)しています。 「青(あお)」に描(えが)かれているのは、小栗判官(おぐりはんがん)ものの物語(ものがたり)に登場(とうじょう)する照手(てるて)姫(ひめ)。小栗判官(おぐりはんがん)は藤沢(ふじさわ)の遊行(ゆぎょう)寺(てら)とゆかりのある人物(じんぶつ)で、照手(てるて)姫(ひめ)は小栗判官(おぐりはんがん)の恋人(こいびと)です。
五(いつつ)衣(きぬ)色(いろの)染分(そめわけ) 白(しろ)
黒(くろ):小梅(こうめ)(『隅(す)田春(だのはる)妓女(げいしゃ)容(かた)性(ぎ)』より)か 本作(ほんさく)に描(えが)かれた美人(びじん)は、侠客(きょうかく)「梅(うめ)の由(よし)兵衛(べえ)」の妻(つま)「小梅(こうめ)」とされています。歯(は)には既婚(きこん)女性(じょせい)の証(あかし)である“お歯(は)黒(くろ)”が見(み)られ、褄(つま)の部分(ぶぶん)には梅(うめ)の紋様(もんよう)が配(はい)されています。また着物(きもの)は烏(からす)の柄(がら)となっており、黒(くろ)の色(いろ)と対応(たいおう)しています。褄(つま)を取(と)りながら船(ふね)の乗(の)り場(ば)に立(た)っていることから、降(お)りた船(ふね)を見送(みおく)っているところでしょうか。 五行説(ごぎょうせつ)において重要(じゅうよう)な色(いろ)とされていた「黄(き)」「青(あお)」「赤(あか)」「白(しろ)」「黒(くろ)」の5色(しょく)に、それぞれ美人(びじん)が当(あ)てはめて描(えが)かれています。またこの美人(びじん)たちは、歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)に擬(なぞら)えて描(えが)かれており、各(かく)色(いろ)は、その役(やく)が決(き)まって着(き)る衣装(いしょう)の色(いろ)と対応(たいおう)しています。 「青(あお)」に描(えが)かれているのは、小栗判官(おぐりはんがん)ものの物語(ものがたり)に登場(とうじょう)する照手(てるて)姫(ひめ)。小栗判官(おぐりはんがん)は藤沢(ふじさわ)の遊行(ゆぎょう)寺(てら)とゆかりのある人物(じんぶつ)で、照手(てるて)姫(ひめ)は小栗判官(おぐりはんがん)の恋人(こいびと)です。
五(いつつ)衣(きぬ)色(いろの)染分(そめわけ) 黒(くろ)
赤(あか):八重垣姫(やえがきひめ)(『本朝(ほんちょう)廿(にじゅう)四(し)孝(こう)』より) 華(はな)やかな赤(あか)い振袖(ふりそで)を着(き)た「八重垣姫(やえがきひめ)」が描(えが)かれています。なお『本朝(ほんちょう)廿(にじゅう)四(し)孝(こう)』などの時代物(じだいもの)の歌舞伎(かぶき)に登場(とうじょう)するお姫様(ひめさま)を“赤姫(あかひめ)”と呼(よ)び、赤(あか)い着物(きもの)を着(き)ることが定番(ていばん)となっています。 八重垣姫(やえがきひめ)は上杉謙信(うえすぎけんしん)のひとり娘(むすめ)、また武田信玄(たけだしんげん)の息子(むすこ)「勝頼(かつより)」の許婚(いいなづけ)でもあるという設定(せってい)です。手(て)に持(も)っているのは武田家(たけだけ)の宝(たから)の一(ひと)つ「諏訪法性(すわほっしょう)の御兜(おんかぶと)」で、物語中(ものがたりちゅう)の重要(じゅうよう)なアイテムの一(ひと)つです。 兜(かぶと)の白(しろ)い毛(け)部分(ぶぶん)や着物(きもの)の裾(すそ)には空摺(からず)りが施(ほどこ)されています。空摺(からず)りとは版木(はんぎ)に絵(え)の具(ぐ)をつけず、刷り圧(すりあつ)だけで紙面(しめん)に模様(もよう)をつける技法(ぎほう)のことです。 五行説(ごぎょうせつ)において重要(じゅうよう)な色(いろ)とされていた「黄(き)」「青(あお)」「赤(あか)」「白(しろ)」「黒(くろ)」の5色(しょく)に、それぞれ美人(びじん)が当(あ)てはめて描(えが)かれています。またこの美人(びじん)たちは、歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)に擬(なぞら)えて描(えが)かれており、各色(かくしょく)は、その役(やく)が決(き)まって着(き)る衣装(いしょう)の色(いろ)と対応(たいおう)しています。 「青(あお)」に描(えが)かれているのは、小栗判官(おぐりはんがん/rt>)ものの物語(ものがたり)に登場(とうじょう)する照手姫(てるてひめ)。小栗判官(おぐりはんがん)は藤沢(ふじさわ)の遊行寺(ゆぎょうじ)とゆかりのある人物(じんぶつ)で、する照手姫(てるてひめ)は小栗判官(おぐりはんがん)の恋人(こいびと)です。
五(いつつ)衣(きぬ)色(いろの)染分(そめわけ) 赤(あか)
神奈川宿(かながわしゅく)の台町(だいまち)の通(とお)りを行列(ぎょうれつ)が通(とお)っています。画面(がめん)手前(てまえ)には、その場(ば)に居合(いあ)わせた旅人(たびびと)が行列(ぎょうれつ)を遠巻(とおま)きに眺(なが)めているような様子(ようす)で描(えが)かれています。 台町(だいまち)の坂(さか)には、海(うみ)を一望(いちぼう)できる二階建(にかいだ)ての茶屋(ちゃや)が軒(のき)を連(つら)ねており、そこから見(み)える景色(けしき)が評判(ひょうばん)となっていました。図(ず)中(ちゅう)でも、茶屋(ちゃや)の二階(にかい)の部屋(へや)から遠眼鏡(とおめがね)を使(つか)って景色(けしき)を見(み)ている女性(じょせい)の姿(すがた)が描(えが)かれています。
東海道(とうかいどう) 神奈川(かながわ)
歌舞伎(かぶき)『曽我(そが)の対面(たいめん)』の大切(おおきり)浄瑠璃(じょうるり)『庵(いお)木瓜(りに)花(はな)的(えほう)福(のふく)摂(びき)』です。大切(おおきり)浄瑠璃(じょうるり)とは、公演(こうえん)の最後(さいご)に行(おこな)われる所作事(しょさごと)を指(さ)します。 本図(ほんず)は、三枚(さんまい)の浮世絵(うきよえ)が変則的(へんそくてき)に並(なら)び、洒落(しゃれ)っ気(き)のある構成(こうせい)です。左側(ひだりがわ)で工藤(くどう)左衛門(さえもん)佑(すけ)経(つね)と遊女(ゆうじょ)手越(てごし)の少将(しょうしょう)、黄瀬川(きせがわ)が腰(こし)を下(お)ろし、奴凧(やっこだこ)平(たいら)を上(あ)げる小林(こばやし)朝比奈(あさひな)の様子(ようす)を眺(なが)めています。「曽我物語(そがものがたり)」は、正月(しょうがつ)に上演(じょうえん)される慣習(かんしゅう)があり、凧(たこ)を上(あ)げる様子(ようす)から、正月(しょうがつ)を意識(いしき)したおめでたい場面(ばめん)となっています。 外題(げだい)に付(つ)けられている「庵(いおりに)木瓜(もっこう)」とは、工藤(くどう)佑(すけ)経(つね)を示(しめ)し、工藤氏(くどうし)の先祖(せんぞ)は「平将門の乱(たいらのまさかどのらん)」平定(へいてい)の際(さい)に、朝廷(ちょうてい)より恩賞(おんしょう)として「工藤(くどう)」姓(せい)と「庵(いおりに)木瓜(もっこう)(木工(もっこう))」家紋(かもん)を受(う)けていました。
小林(こばやし)朝比奈(あさひな) 工藤(くどう)左衛門(さえもん)祐(すけ)経(つね) 手越(てごし)の黄瀬川(きせがわ) 奴凧(やっこたこ)平(へい))
横山良八(よこやまりょうはち)版(ばん) 明治(めいじ)初期(しょき) 振(ふ)り出(だ)しが西京(さいきょう)(京都(きょうと))、上(あ)がりは東京(とうきょう)日本橋(にほんばし)です。題材(だいざい)は江戸時代(えどじだい)そのまま、十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』に描(えが)かれた滑稽(こっけい)な二(に)人組(にんぐみ)の道中(どうちゅう)ですが、こうもり傘(がさ)やガス灯(とう)、日本橋(にほんばし)の馬車(ばしゃ)など随所(ずいしょ)に文明開化(ぶんめいかいか)の影響(えいきょう)が伺(うかが)えます。 制作(せいさく)年代(ねんだい)は不明(ふめい)ですが、汽車(きしゃ)が見(み)られるのが品川(しながわ)だけなので、新橋(しんばし)-横浜駅(よこはまえき)間(かん)に正式(せいしき)に鉄道(てつどう)が開通(かいつう)する明治(めいじ)5年(ねん) (1972年(ねん))直前(ちょくぜん)のものと考(かんが)えられます。 図(ず)中(ちゅう)、府中(ふちゅう)は静岡(しずおか)に地名(ちめい)が変(か)わっていますが、明治(めいじ)になり徳川宗家(とくがわそうけ)ゆかりの地(ち)であるがゆえに新政府(しんせいふ)に恭順(きょうじゅん)の意(い)を示(しめ)すため、市内(しない)の賤機山(しずはたやま)にちなみ静岡(しずおか)に改称(かいしょう)したものです。 国政(くにまさ)(四(よん)代(だい))は、幕末(ばくまつ)~明治(めいじ)に活躍(かつやく)した絵師(えし)で、明治(めいじ)22年(ねん)(1889年(ねん))に三代(さんだい)国貞(くにさだ)を継(つ)いでいます。
どおけ東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)双六(すごろく)