ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワード:
制作(せいさく)時期(じき):文化(ぶんか)5年(ねん)(1808) 8月(がつ)。 板元(はんもと):山口(やまぐち) 人々(ひとびと)が岩屋(いわや)に集(たか)ったところを描(えが)いたもので、構図(こうず)の中心人物(ちゅうしんじんぶつ)は扇子(せんす)を持(も)った若(わか)い男性(だんせい)で、その前(まえ)には尾頭(おかしら)つきの鯛(たい)などの料理(りょうり)が並(なら)べられており、何(なに)か特別(とくべつ)な祝(しゅく)事(ごと)がこの年(とし)にあった事(こと)を示(しめ)しているようです。作品(さくひん)としては右(みぎ)の1枚(まい)が少(すこ)し短(みじか)くなっています。
相州(そうしゅう)江(え)ノ嶋(しま)巌(いわ)屋(や)の図(ず)
宿場(しゅくば)についたばかりの旅人(たびびと)たちでしょうか。画面(がめん)右側(みぎがわ)には、駕籠(かご)から降(お)りようとしている女性(じょせい)、中央(ちゅうおう)には、三宝荒神(さんぼうこうじん)と呼(よ)ばれた三人(さんにん)乗(の)りの鞍(くら)を乗(の)せた馬子(まご)が引(ひ)いている馬(うま)に女性(じょせい)と子供(こども)二人(ふたり)が乗(の)っています。 宿屋(やどや)らしき建物(たてもの)の外壁(がいへき)に立(た)てかけてある看板(かんばん)に、「江戸(えど)地本(じほん)問屋(どんや) 大々(だいだい)講中(こうちゅう)」と書(か)かれています。これは定宿(じょうやど)札(ふだ)で、旅籠(はたご)を定宿(じょうやど)にしているお得意様(とくいさま)である講(こう)の名称(めいしょう)を書(か)いたものです。太々(だいだい)講(こう)(大々(だいだい)講(こう)、代々(だいだい)講(こう)とも書(か)く)とは、伊勢神宮(いせじんぐう)の参詣(さんけい)のために結成(けっせい)された信徒(しんと)集団(しゅうだん)で、旅費(りょひ)を積(つ)み立(た)てておいて、くじに当(あ)たった者(もの)が講(こう)仲間(なかま)の代表(だいひょう)として参詣(さんけい)します。神宮(じんぐう)に太々神楽(だいだいかぐら)を奉納(ほうのう)するので伊勢(いせ)太々(だいだい)講(こう)とも言(い)いました。太々神楽(だいだいかぐら)は、一般(いっぱん)参詣人(さんけいにん)が奉納(ほうのう)する最(もっと)も大(おお)がかりな神楽(かぐら)で、江戸時代(えどじだい)、御師(おんし)の邸内(ていない)で半日(はんにち)にわたって催(もよお)されました。 喜多川月麿(きたがわつきまろ)は、歌麿(うたまろ)の門人(もんじん)で、初(はじ)め、菊麿(きくまろ)の名(な)で錦(にしき)絵(え)を描(か)いていましたが、のちに喜久麿(きくまろ)、月麿(つきまろ)と改名(かいめい)します。美人画(びじんが)や黄表紙(きびょうし)(挿絵(さしえ)のある読(よ)み本(ほん))の挿絵(さしえ)などで活躍(かつやく)しました。
題名(だいめい)不詳(ふしょう)(大々(だいだい)講中(こうちゅう))