Fujisawa Net Museum

資料一覧

製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)3(ねん)(1856)。
板元(はんもと):山口藤兵衛(やまぐちとうべえ)

新居(あらい)・・名産鰻(めいさんうなぎ)とり
江戸時代後期(えどじだいこうき)には、浜名湖(はまなこ)(うなぎ)名産地(めいさんち)として()られていたようです。養殖(ようしょく)(はじ)まったのは明治以降(めいじいこう)です。

白須賀宿(しらすかしゅく)・・・汐見坂眺望(しおみざかちょうぼう)
白須賀宿(しらすかしゅく)(ひがし)位置(いち)する汐見坂(しおみざか)風景(ふうけい)です。遠州灘(えんしゅうなだ)見渡(みわた)せる眺望(ちょうぼう)()場所(ばしょ)として()られていました。

二川(ふたがわ)・・・(かしわ)()
猿ケ馬場(さるがばば)立場(たてば)名物(めいぶつ)であった柏餅(かしわもち)にちなんで、(かしわ)()(えが)かれています。
吉田(よしだ)・・・名物大花火(めいぶつおおはなび)
豊川(とよかわ)()かる吉田大橋(よしだおおはし)豊橋(とよはし))の(うえ)に、(おお)くの見物客(けんぶつきゃく)姿(すがた)()えます。

広重(ひろしげ)風景(ふうけい)中心(ちゅうしん)とした東海道(とうかいどう)ものを(おお)(えが)いていますが、この()(よう)(こと)なったタイプのシリーズも(のこ)しています。これは一般(いっぱん)張交東海道(はりまぜとうかいどう)といわれるもので、1(まい)(なか)に3~5宿(しゅく)風景(ふうけい)名産(めいさん)物語(ものがたり)(とう)挿入(そうにゅう)されています。

東海道張交図会 あら井 白須賀 二川 よし田(山藤版)

東海道(とうかいどう)(はり)(まぜ)図会(ずえ) あら() 白須賀(しらすか) 二川(ふたがわ) よし()山藤(やまふじ)(ばん)

製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)3(ねん)(1856)。
板元(はんもと):山口藤兵衛(やまぐちとうべえ)

池鯉鮒(ちりゅう)・・・八橋(やつはし)杜若(かきつばた)古跡(こせき)
伊勢物語(いせものがたり)』には、在原業平(ありわらのなりひら)がこの()(うつく)しく()杜若(かきつばた)()て、(みやこ)(のこ)してきた(ひと)(おも)って(なみだ)する場面(ばめん)があります。

鳴海(なるみ)・・・浜辺(はまべ)千鳥(ちどり)
鳴海(なるみ)古来(こらい)千鳥(ちどり)名所(めいしょ)歌枕(うたまくら)として使(つか)われていました。「星崎(ほしざき)の (やみ)をみよとや なくちとり」と右下(みぎした)にあるのは、松尾芭蕉(まつおばしょう)()です。

(みや)・・・平景清(たいらのかげきよ)
平景清(たいらのかげきよ)熱田神宮(あつたじんぐう)にゆかりのある(もの)とされており、左側(ひだりがわ)には熱田神宮(あつたじんぐう)鳥居(とりい)(あし)一部(いちぶ)(えが)かれています。

桑名(くわな)・・・(はまぐり)
名産品(めいさんひん)の「(はまぐり)」が(えが)かれています。

広重(ひろしげ)風景(ふうけい)中心(ちゅうしん)とした東海道(とうかいどう)ものを(おお)(えが)いていますが、この()(よう)(こと)なったタイプのシリーズも(のこ)しています。これは一般(いっぱん)張交東海道(はりまぜとうかいどう)といわれるもので、1(まい)(なか)に3~5宿(しゅく)風景(ふうけい)名産(めいさん)物語(ものがたり)(とう)挿入(そうにゅう)されています。

東海道張交図会 池鯉鮒 鳴海 宮 桑名(山藤版)

東海道(とうかいどう)(はり)(まぜ)図会(ずえ) 池鯉鮒(りゅう) 鳴海(なるみ) (みや) 桑名(くわな)山藤(やまふじ)(ばん)

製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)3(ねん)(1856)。
板元(はんもと):山口藤兵衛(やまぐちとうべえ)

(せき)・・・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)
一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は「一休(いっきゅう)さん」の愛称(あいしょう)(した)しまれています。(せき)には、一休(いっきゅう)地蔵(じぞう)開眼(かいがん)したという逸話(いつわ)(のこ)っています。

坂之下(さかのした)・・・鈴鹿川(すずかがわ)
坂之下宿(さかのしたしゅく)は、鈴鹿峠(すずかとうげ)(ひか)えた宿場(しゅくば)であったので、(おお)くの旅人(たびびと)利用(りよう)されました。

土山(つちやま)・・・鈴鹿峠(すずかとうげ)
坂之下宿(さかのしたしゅく)土山宿(つちやましゅく)(あいだ)位置(いち)する鈴鹿峠(すずかとうげ)景色(けしき)です。画面(がめん)(みぎ)(おく)にみえる建物(たてもの)土山宿(つちやましゅく)でしょうか。

水口(みずぐち)・・・大井子(おおいこ)力石(ちからいし)
(おお)きな(いし)(かつ)ぐのは、怪力(かいりき)女性(じょせい)大井子(おおいこ)」です。当館所蔵(とうかんしょぞう)歌川国芳(うたがわくによし)作品(さくひん)にも、同様(どうよう)大井子(おおいこ)(えが)かれており、水口(みずぐち)ゆかりの説話(せつわ)であることが()かります。

広重(ひろしげ)風景(ふうけい)中心(ちゅうしん)とした東海道(とうかいどう)ものを(おお)(えが)いていますが、この()(よう)(こと)なったタイプのシリーズも(のこ)しています。これは一般(いっぱん)張交東海道(はりまぜとうかいどう)といわれるもので、1(まい)(なか)に3~5宿(しゅく)風景(ふうけい)名産(めいさん)物語(ものがたり)(とう)挿入(そうにゅう)されています。

東海道張交図会 関 坂の下 土山 水口(山藤版)

東海道(とうかいどう)(はり)(まぜ)図会(ずえ) (せき) (さか)(した) 土山(つちやま) 水口(みなくち)山藤(やまふじ)(ばん)

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

一番(いちばん)(おく)()えるのが富士山(ふじさん)、その手前(てまえ)があし鷹山(たかやま)漢字(かんじ)では「愛鷹山(あしたかやま)」と()きます)です。 あし鷹山(たかやま)(した)(ひろ)がる湿地帯(しっちたい)浮島(うきしま)(はら)()ばれ、原宿(はらしゅく)名前(なまえ)由来(ゆらい)()われています。
画面(がめん)上部(じょうぶ)富士山(ふじさん)()()(えが)くことで、富士山(ふじさん)がいかに(おお)きいかを表現(ひょうげん)しています。

このシリーズが(たて)(がた)(ばん)であるため、一般(いっぱん)(たて)()東海道(とうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 (さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、(たて)(がた)(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、(よこ)(ばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 十四 原(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 十四(とし) (はら) あし鷹山(たかやま)()()眺望(ちょうぼう)(たて)()東海道(とうかいどう)

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

戸塚宿(とつかしゅく)から藤沢(ふじさわ)()かう(なが)(さか)大坂(おおさか)()って(現在(げんざい)もバス(てい)(めい)(とう)地名(ちめい)(のこ)っています)、街道(かいどう)難所(なんしょ)(ひと)つでしたが、富士山(ふじさん)がよく()えることでも有名(ゆうめい)でした。手前(てまえ)には、谷戸田(やとだ)農作業(のうさぎょう)風景(ふうけい)()られます。

このシリーズが(たて)(がた)(ばん)であるため、一般(いっぱん)(たて)()東海道(とうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 (さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、(たて)(がた)(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、(よこ)(ばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 六 戸塚(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) (ろく) 戸塚(とつか) 山道(さんどう)より ()()眺望(ちょうぼう)(たて)()東海道(とうかいどう)

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

程ヶ谷(ほどがや)保土ヶ谷(ほどがや))には、表題(ひょうだい)にもあるように保土ヶ谷宿(ほどがやしゅく)戸塚宿(とつかしゅく)にあった境木(さかいぎ)立場(たちば)宿場(しゅくば)宿場(しゅくば)()休憩所(きゅうけいじょ))が(えが)かれています。ここは景色(けしき)()いことで有名(ゆうめい)だったようで、(とお)正面(しょうめん)()える(おか)鎌倉山(かまくらやま)です。

(たて)()では、画面(がめん)(おく)鎌倉(かまくら)(やま)(のぞ)む、境木(さかいぎ)立場(たてば)宿場(しゅくば)(かん)休憩所(きゅうけいじょ))の茶屋(ちゃや)様子(ようす)(えが)かれています。
この立場(たちば)では茶屋(ちゃや)()される牡丹餅(ぼたもち)名物(めいぶつ)でした。

このシリーズが(たて)(がた)(ばん)であるため、一般(いっぱん)(たて)()東海道(とうかいどう)()ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 (さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)風景画(ふうけいが)(おお)いなかで、(たて)(がた)(ぶつ)もいくつかあります。 この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)鳥瞰図(ちょうかんず)(えが)かれ、町並(まちな)(とう)遠近法(えんきんほう)(もち)い、(よこ)(ばん)では()られない雰囲気(ふんいき)をかもし()しています。

五十三次名所図会 5 程ヶ谷(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) () 程ヶ(ほどが)() 境木(さかいぎ)立場(たてば) 鎌倉山(かまくらやま)遠景(えんけい)(たて)()東海道(とうかいどう)

製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14(ねん)(1843)~弘化(こうか)4(ねん)(1847)。
板元(はんもと):伊場仙(いばせん)(伊場(いば)()仙三郎(せんざぶろう))

()には(はしら)()りかかる美人(びじん)(えが)かれています。詞書(ことばがき)にある女谷(おんなたに)は、源頼朝(みなもとのよりとも)()()った橋本(はしもと)白須賀(しらすか)(ひがし)にあったとされる)に、(おお)くの遊女(ゆうじょ)(あつ)められたことからついた()であるとされています。
その(うち)(ひと)()遊女(ゆうじょ)頼朝(よりとも)からの寵愛(ちょうあい)()け、頼朝(よりとも)()(のち)尼僧(にそう)となり菩提(ぼだい)(とむら)いました。本作(ほんさく)(えが)かれた女性(じょせい)には、その遊女(ゆうじょ)姿(すがた)(かさ)ねられていると(おも)われます。

このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)三代(さんだい)豊国(とよくに)国芳(くによし)の3(にん)当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)分担(ぶんたん)して(えが)いたものです。
風景(ふうけい)(すく)なく人物(じんぶつ)(おも)とし、(した)3(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)史跡(しせき)著名(ちょめい)出来事(できごと)(など)(えが)き、(うえ)3(ぶん)の1に(した)()説明(せつめい)がなされています。

東海道五十三対 白須賀

東海道(とうかいどう)()(じゅう)(さん)(つい) 白須賀(しらすが) 女谷(おんなたに)(でん)



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