Fujisawa Net Museum

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制作(せいさく)時期(じき):弘化(こうか)嘉永(かえい)()(1844~1854)

画面(がめん)一杯(いっぱい)(ちゃ)藍色(あいいろ)(えが)かれた(おお)きな力強(ちからづよ)(いわ)(かたまり)表現(ひょうげん)しています。岩屋(いわや)稚児ヶ淵(ちごがふち)附近(ふきん)岩場(いわば)(めぐ)参詣(さんけい)(にん)姿(すがた)は、あくまでも(ちい)さく(あり)のように(えが)かれ、()(しま)(おお)きさと対称(たいしょう)(てき)です。

(しま)上部(じょうぶ)には(かみ)(みや)(しも)(みや)遠目鏡(とおめがね)(みぎ)下方(かほう)漁師町(りょうしまち)(ひだり)下方(かほう)岩屋(いわや)稚児ヶ淵(ちごがふち)があります。()(しま)全体(ぜんたい)(おお)きな(かたまり)でとらえたところは洋風(ようふう)()()んだ国芳(くによし)らしい作品(さくひん)です。

国芳(くによし)()(けい)はその門人(もんじん)(よし)(とら)(よし)(いく)芳年(よしとし)など幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)初期(しょき)大家(たいか)輩出(はいしゅつ)しました。そして芳年(よしとし)には年方(としかた)年方(としかた)には清方(きよかた)清方(きよかた)には深水(しんすい)巴水(はすい)()して、明治(めいじ)大正(たいしょう)昭和(しょうわ)(つづ)浮世絵(うきよえ)系統(けいとう)(はな)()えています。

歌川国芳 相州江之嶋之図

相州(そうしゅう)()()(しま)()()

製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14(ねん)(1843)~弘化(こうか)4(ねん)(1847)。
板元(はんもと):版元(はんもと)海老屋林之助(えびやりんのすけ)

俵藤太(たわらのとうた)藤原秀郷(ふじわらのひでさと)別称(べっしょう)で、平安時代(へいあんじだい)活躍(かつやく)した武将(ぶしょう)です。その俵藤太(たわらのとうた)の「ムカデ退治(たいじ)」として()られる逸話(いつわ)(えが)かれています。

女性(じょせい)琵琶湖(びわこ)()龍神(りゅうじん)で、藤太(とうた)見込(みこ)んでムカデ退治(たいじ)依頼(いらい)します女性(じょせい)(かみ)()の、水面(すいめん)()かった部分(ぶぶん)(りゅう)(うろこ)(えが)かれています。くだんの(おお)ムカデは三上山(みかみやま)滋賀県野洲(しがけんやす)())の山容(さんよう)(とも)上部(じょうぶ)(えが)かれています。

このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)三代(さんだい)豊国(とよくに)国芳(くによし)の3(にん)当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)分担(ぶんたん)して(えが)いたものです。
風景(ふうけい)(すく)なく人物(じんぶつ)(おも)とし、(した)3(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)史跡(しせき)著名(ちょめい)出来事(できごと)(など)(えが)き、(うえ)3(ぶん)の1に(した)()説明(せつめい)がなされています。

東海道五十三対 草津

東海道(とうかいどう)()(じゅう)(さん)(つい) 草津(くさつ)

製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14(ねん)(1843)~弘化(こうか)4(ねん)(1847)。
板元(はんもと):伊勢屋市兵衛(いせやいちべえ)

平安時代(へいあんじだい)武将(ぶしょう)坂上(さかのうえの)田村麻呂(たむらまろ)による鈴鹿山(すずかやま)鬼退治(おにたいじ)伝説(でんせつ)(えが)いたものです。
鈴鹿山(すずかやま)鈴鹿(すずか)御前(ごぜん)下部(かぶ)女性(じょせい))が、画面(がめん)上部(じょうぶ)観音(かんのん)加護(かご)により、田村麻呂(たむらまろ)右側(みぎがわ)男性(だんせい))を(たす)ける場面(ばめん)です。
左側(ひだりがわ)(おに)田村麻呂(たむらまろ)()()いていない様子(ようす)です。物語(ものがたり)平安時代(へいあんじだい)ですが、装束(しょうぞく)江戸時代(えどじだい)のものです。

このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)三代(さんだい)豊国(とよくに)国芳(くによし)の3(にん)当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)分担(ぶんたん)して(えが)いたものです。
風景(ふうけい)(すく)なく人物(じんぶつ)(おも)とし、(した)3(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)史跡(しせき)著名(ちょめい)出来事(できごと)(など)(えが)き、(うえ)3(ぶん)の1に(した)()説明(せつめい)がなされています。

東海道五十三対 土山

東海道(とうかいどう)()(じゅう)(さん)(つい) 土山(つちやま)

製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14(ねん)(1843)~弘化(こうか)4(ねん)(1847)。
板元(はんもと):伊場仙(いばせん)(伊場(いば)()仙三郎(せんざぶろう))

武士(ぶし)(みぎ)(よこ)に「佐々木高綱(ささきたかつな)」と()かれていることから、高綱(たかつな)のエピソードの(いち)場面(ばめん)(えが)いた作品(さくひん)(おも)えます。しかし(じつ)は、明智(あけち)佐馬助(さまのすけ)戦国武将(せんごくぶしょう)明智光秀(あけちみつひで)女婿(じょせい))が(てき)()()められた(さい)琵琶湖(びわこ)(うま)(わた)ったという逸話(いつわ)(えが)いているものです。

江戸時代(えどじだい)戦国武将(せんごくぶしょう)(えが)くことは(きん)じられていたため、絵師(えし)はほかのイメージを(かさ)ねることで言い逃(いいのが)れができるようにしていました。
詞書(ことばがき)には庄野(しょうの)(ちか)くの植野村(うえのむら)が、(たか)(つな)()名馬(めいば)生食(いけづき)」の()まれの()であると(しる)されています。

このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)三代(さんだい)豊国(とよくに)国芳(くによし)の3(にん)当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)分担(ぶんたん)して(えが)いたものです。
風景(ふうけい)(すく)なく人物(じんぶつ)(おも)とし、(した)3(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)史跡(しせき)著名(ちょめい)出来事(できごと)(など)(えが)き、(うえ)3(ぶん)の1に(した)()説明(せつめい)がなされています。

東海道五十三対 庄野

東海道(とうかいどう)()(じゅう)(さん)(つい) 庄野(しょうの)



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