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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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六歌仙(ろっかせん)とは、『古今和歌集(こきんわかしゅう)』に記(しる)された六(ろく)人(にん)の代表(だいひょう)的(てき)な歌人(かじん)のことで、僧正遍昭(そうじょうへんじょう)、在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ふんやのやすひで)、喜撰法師(きせんほうし)、小野小町(おののこまち)、大友黒主(おおとものくろぬし)の六(ろく)人(にん)を指(さ)し、彼(かれ)らを武者(むしゃ)に見立(みた)てています。それぞれ、僧正遍昭(そうじょうへんじょう)を源三位(げんざんみ)頼政(よりまさ)(右上(みぎうえ))、文屋康秀(ふんやのやすひで)を平忠度(たいらのただのり)(右下(みぎした))、小野小町(おののこまち)を建礼門院(けんれいもんいん)(中央(ちゅうおう)上(うえ))、在原業平(ありわらのなりひら)を源実朝(みなもとのさねとも)(中央(ちゅうおう)下(した))、大友黒主(おおとものくろぬし)を源頼朝(みなもとのよりとも)(左上(ひだりうえ))、喜撰法師(きせんほうし)に蓮生(れんしょう)坊(ぼう)(左下(ひだりした))に見立(みた)てていて、源平(げんぺい)の戦(たたか)いの物語(ものがたり)が下敷(したじ)きになっているようです。
見立(みたて)武者(むしゃ)六(ろく)歌仙(かせん)
幕末(ばくまつ)の人気戯作者(にんきげさくしゃ)、山東京山(さんとうきょうざん)と同(おな)じく人気絵師(にんきえし)の歌川国芳(うたがわくによし)のコンビで刊行(かんこう)した【草双紙(くさぞうし)】。(大衆小説(たいしゅうしょうせつ)paperback) 「こま」という擬人化(ぎじんか)されたメス猫(ねこ)が、恋(こい)しいとら(オス)と駆(か)け落(お)ちしたり、離(はな)れ離(ばな)れになったり、名家(めいか)の娘(むすめ)、撫子姫(なでしこひめ)のペットになったりと大冒険(だいぼうけん)を繰(く)り広(ひろ)げるストーリー。当時(とうじ)の猫(ねこ)は綱(つな)でつながれて飼(か)われていたようです。画(え)の国芳(くによし)は無類(むるい)の猫好(ねこず)きとして有名(ゆうめい)でした。
朧月(おぼろづき) 猫(ねこ)のさうし
馬(うま)と共(とも)に武者(むしゃ)を描(えが)いたシリーズで、小栗判官(おぐりはんがん)の愛馬(あいば)としては鬼(おに)鹿毛(かげ)(おにかげ)のエピソードが紹介(しょうかい)されています。 上部(じょうぶ)に書(か)かれた詞書(ことばがき)を読(よ)むと、「小栗判官(おぐりはんがん)が山賊(さんぞく)に毒(どく)の酒(さけ)を飲(の)まされそうになったものの、酔(よ)った振(ふ)りをして逃(に)げた。山賊(さんぞく)は鬼(おに)鹿毛(かげ)を奪(うば)い三河(みかわ)(みかわ)まで走(はし)るが、その後(ご)小栗(おぐり)に討(う)たれた。」ということが書(か)かれています。なお、説教(せっきょう)節(ぶし)では鬼(おに)鹿毛(かげ)は人(ひと)を食(く)らう恐(おそ)ろしい馬(うま)とされており、小栗(おぐり)はその鬼(おに)鹿毛(かげ)を乗(の)りこなしたという逸話(いつわ)が有名(ゆうめい)です。遊行寺(ゆぎょうじ)には鬼(おに)鹿毛(かげ)のお墓(はか)もあります。
武英(ぶえい)名馬(めいば)競(くらべ) 小栗(おぐり)小次郎(こじろう)助重(すけしげ)
義経(よしつね)の武勇(ぶゆう)の逸話(いつわ)は多(おお)くありますが、その一(ひと)つ、一ノ谷(いちのたに)の逆(さか)落(お)としは、勇壮(ゆうそう)な構図(こうず)として格好(かっこう)の題材(だいざい)でした。
義経(よしつね)之(の)軍兵(ぐんぺい)一ノ谷(いちのたに)逆落(さかおと)し之(の)図(ず)
義経(よしつね)の幼名(ようみょう)は、牛若丸(うしわかまる)と言(い)い、義経記(ぎけいき)(ぎけいき)などの物語(ものがたり)によると幼少期(ようしょうき)の義経(よしつね)は、京都(きょうと)の鞍馬寺(くらまでら)で学問(がくもん)に精進(しょうじん)したとされます。そして「鞍馬(くらま)=天狗(てんぐ)」という発想(はっそう)から天狗(てんぐ)のもとで修行(しゅぎょう)したいう逸話(いつわ)が生(う)まれ画(が)中(ちゅう)でもカラス天狗(てんぐ)と剣術(けんじゅつ)の稽古(けいこ)をした場面(ばめん)が描(えが)かれています。
牛若丸(うしわかまる)
一(いち)の谷(たに)の戦(たたか)いに勝利(しょうり)し、後白河法皇(ごしらかわほうおう)から検非違使(けびいし)、左衛門(さえもん)少尉(しょうい)(判官(ほうがん))に任(にん)ぜられた義経(よしつね)が、臣下(しんか)を集(あつ)めて西国(さいごく)へ出陣(しゅつじん)するが描(えが)かれています。
義経(よしつね)十九(じゅうく)臣(しん)
加賀(かが)国安(くにあ)宅(たけ)の新関(しんせき)にて義経(よしつね)主従(しゅじゅう)、富樫(とがし)左衛門(ざえもん)に見(み)とかめられしを東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつでん)建立(こんりゅう)の験者(げんじゃ)と偽(いつわ)り、弁慶(べんけい)即(そく)智(ち)を以(もちい)て勧進帳(かんじんちょう)を読上(よみあ)げて危難(きなん)を遁(にげ)給(たま)ふ
日本(にっぽん)の武将(ぶしょう)を描(えが)いたシリーズ。義経(よしつね)、弁慶(べんけい)については、2枚(まい)が合(あ)わさるように描(えが)かれています。頭上(ずじょう)には、それぞれの略歴(りゃくれき)、武功(ぶこう)が記(しる)されています。間(あいだ)に立(た)つ制札(せいさつ)は、『源氏物語(げんじものがたり)』「須磨(すま)の巻(まき)」において光源氏(ひかるげんじ)が植(う)えたものといわれる「若木(わかぎ)の桜(さくら)」の前(まえ)に、弁慶(べんけい)が「一(いち)枝(えだ)を伐(き)らば一指(いっし)を剪(き)るべし」という制札(せいさつ)を立(た)てたというものです。こちらは「一(いち)の谷(たに)嫩(ふたば)軍記(ぐんき)」に扱(あつか)われて有名(ゆうめい)になりました。
本(ほん)朝武(ちょうぶ)優(ゆう)鏡(かがみ) 源義経(みなもとのよしつね) 武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)