ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワード:
木版画(もくはんが)の彫師(ほりし)として制作活動(せいさくかつどう)を始(はじ)め、黒田清輝(くろだせいき)に師事(しじ)し、油彩画(ゆさいが)を習得(しゅうとく)している。大正末(たいしょうまつ)から欧米(おうべい)を旅(たび)し風景版画(ふうけいはんが)を多数(たすう)制作(せいさく)しています。同(おな)じく黒田門下(くろだもんか)の版画家(はんがか)ポール・()ジャクレー(Paul Jacoulet)の木版画(もくはんが)の彫(ほ)りを担当(たんとう)したこともあります。 遊行寺(ゆぎょうじ)では、現在(げんざい)でも遊行寺(ゆぎょうじ)の名物(めいぶつ)である大銀杏(おおいちょう)の紅葉(こうよう)が印象的(いんしょうてき)に描(えが)かれています。 日蓮(にちれん)ゆかりの龍口寺(りゅうこうじ)も、静謐(せいひつ)な境内(けいだい)を感(かん)じさせる黒瓦(くろがわら)の整然(せいぜん)とした姿(すがた)を見事(みごと)に描(えが)かれています。
日蓮(にちれん) 龍口寺(りゅうこうじ)
制作(せいさく) 1935年(ねん) 横浜商工会議所(よこはましょうこうかいぎしょ) 賑(にぎ)わう港(みなと)を大(おお)きく中心(ちゅうしん)に、右手(みぎて)は日吉(ひよし)、上(うえ)は保土ヶ谷(ほどがや)ゴルフ場(じょう)、左手(ひだりて)は金沢八景(かなざわはっけい)あたりまで市域(しいき)を描(えが)き込(こ)んでいます。
横浜市(よこはまし)鳥瞰図(ちょうかんず)
関東地方(かんとうちほう)全体(ぜんたい)を裾野(すその)にしたような構図(こうず)で、日本(にっぽん)一(いち)の山(やま)、富士山(ふじさん)を強調(きょうちょう)した作品(さくひん)です。 富士山(ふじさん)の4か所(しょ)の登山(とざん)口(ぐち)と登山道(とざんどう)が描(えが)かれています。浅間神社(あさまじんじゃ)のある富士宮(ふじのみや)の「表(おもて)登山口(とざんぐち)」、鉄路(てつろ)を利用(りよう)しやすい「御殿場(ごてんば)口(ぐち)」、下山(げざん)によく使(つか)われた「須走(すばしり)口(ぐち)」、そして富士山(ふじさん)の北側(きたがわ)から登(のぼ)る「吉田口(よしだぐち)」があり、それぞれの登(のぼ)り口(ぐち)には鳥居(とりい)が立(た)っており、富嶽(ふがく)信仰(しんこう)の道(みち)であることがわかります。
官幣大社(かんぺいたいしゃ)富士山(ふじさん)名所(めいしょ)図絵(ずえ)
富士山(ふじさん)の真東(まひがし)にある須走(すばしり)口(ぐち)の浅間神社(あさまじんじゃ)の鳥居(とりい)の前(まえ)に集(あつ)まる人々(ひとびと)の様子(ようす)を描(えが)いています。 菅笠(すげがさ)に白装束(しろしょうぞく)をまとい、首(くび)から数珠(じゅず)をかけた先達(せんだつ)(登山(とざん)の案内人(あんないにん))が描(えが)かれています。 何人(なんにん)かが肩(かた)に背負(せお)っているのは、御(ご)三幅(みの)の入(はい)った札箱(ふだばこ)です。御(ご)三幅(みの)とは登(のぼる)拝(はい)の際(さい)に祭壇(さいだん)に掲(かか)げる3本(ほん)の掛軸(かけじく)のことで、御(ご)身抜(みぬけ)(富士(ふじ)信仰(しんこう)の世界観(せかいかん)を表(あらわ)した掛軸(かけじく))、浅間神社(あさまじんじゃ)の祭神(さいじん)である木花咲耶姫(このはなさくやひめ)命(いのち)の御影(ごえい)(神仏(しんぶつ)の姿(すがた)を絵(え)に描(か)いたもの)、小(しょう)御嶽(みたけ)神(かみ)の掛軸(かけじく)、をいいます。この画(え)は、もともと団扇(うちわ)に仕立(した)てるために摺(す)られたものが、使用(しよう)されずに残(のこ)ったものです。
富士山(ふじさん)東口(ひがしぐち)須(ず)走(ばし)り之(の)図(ず)
鳥瞰図(ちょうかんず)的(てき)な構図(こうず)に秀(ひい)でていた貞秀(さだひで)には、富士山(ふじさん)を描(えが)いた作品(さくひん)が数多(かずおお)くありますが、これは富士山(ふじさん)をほぼ火口(かこう)の真上(まうえ)から描(えが)いた図(ず)です。よくみると火口(かこう)にはもう一枚(いちまい)の紙(かみ)が折(お)り畳(たた)まれていて、引(ひ)っ張(ぱ)ると立体的(りったいてき)に立(た)ち上(あ)がる仕組(しく)みになっています。また画面(がめん)左(ひだり)の山麓(さんろく)辺(あた)りにはもう一枚(いちまい)紙(し)が張(は)ってあり、それをめくると洞窟(どうくつ)が現(あらわ)れ、胎内巡(たいないめぐ)りをする人々(ひとびと)が描(えが)かれています。これは富士登山(ふじとざん)の行程(こうてい)のひとつである「胎内巡(たいないめぐ)り」を描(えが)いたもので、当時(とうじ)の人気(にんき)の程(ほど)が伺(うかが)えます。
富士山(ふじさん)真景(しんけい)全図(ぜんず)
六(ろく)曲(きょく)一双(いっそう)の屏風(びょうぶ)で東海道(とうかいどう)の風景(ふうけい)を描(えが)いたものです。右(う)雙(そう)・左(さ)雙(そう)とも4~5段(だん)の構図(こうず)になっています。右(う)雙(そう)は、第(だい)一(いっ)扇(せん)第(だい)一段(いちだん)の江戸城(えどじょう)と日本橋(にほんばし)から始(はじ)まり、第(だい)三(さん)扇(せん)下段(げだん)の藤沢(ふじさわ)まで、雲(くも)型(がた)の枠(わく)に中(なか)に武蔵(むさし)・相模(さがみ)国内(こくない)の宿場(しゅくば)が左回(ひだりまわ)りの渦状(うずじょう)に描(えが)かれています。さらに、第(だい)四(よん)扇(せん)上部(じょうぶ)に大(おお)きく描(えが)かれた富士山(ふじさん)を境(さかい)に、三島(みしま)から第(だい)六(ろく)扇(せん)第(だい)1段(だん)の島田(しまだ)までジグザクに描(えが)かれています。 左(さ)雙(そう)は、第(だい)一(いっ)扇(せん)下部(かぶ)の大井川(おおいがわ)から始(はじ)まり、対岸(たいがん)の金谷(かなや)から左(さ)雙(そう)全体(ぜんたい)を下(した)から上(うえ)へ蛇行(だこう)する形(かたち)で宿場(しゅくば)が描(えが)かれ、第(だい)五(ご)扇(せん)上部(じょうぶ)に三条大橋(さんじょうおおはし)、左(ひだり)の第(だい)六(ろく)扇(せん)上部(じょうぶ)に内裏(だいり)が置(お)かれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)図(ず)屏風(びょうぶ)
安政(あんせい)元年(がんねん)(1854) 手前(てまえ)に江(え)の島(しま)へ詣(もう)でる三(さん)人(にん)の女性(じょせい)、背景(はいけい)に江(え)の島(しま)・富士山(ふじさん)・小動岬(こゆるぎみさき)を七里ガ浜(しちりがはま)から見(み)た景色(けしき)が描(えが)かれます。画面(がめん)右(みぎ)の女性(じょせい)は日傘(ひがさ)をすぼめて杖(つえ)を突(つ)く仕草(しぐさ)をしており、中央(ちゅうおう)の女性(じょせい)はしゃがんで煙管(きせる)の灰(はい)を落(お)としているようです。左(ひだり)の女性(じょせい)は手拭(てぬぐ)いを姉(あね)さん被(かぶ)りして日傘(ひがさ)を差(さ)すという粋(いき)な様子(ようす)で描(えが)かれています。また中(ちゅう)景(けい)にも、旅人(たびびと)に何(なに)かをねだる子(こ)どもや、牛(うし)に乗(の)って優雅(ゆうが)に浜辺(はまべ)をゆく女性(じょせい)などが描(えが)き込(こ)まれています。 落款(らっかん)に「一(いち)幽斎(ゆうさい) 重宣(しげのぶ)画(が)」とあります。重宣(しげのぶ)は初代(しょだい)歌川広重(うたがわひろしげ)の門人(もんじん)で、安政(あんせい)6年(ねん)(1858)に二代(にだい)歌川広重(うたがわひろしげ)を襲名(しゅうめい)しました。二代(にだい)広重(ひろしげ)は師(し)の画風(がふう)を受(う)け継(つ)いだ作品(さくひん)を残(のこ)しており、本作(ほんさく)にも波(は)の描(えが)き方(かた)などに初代(しょだい)の影響(えいきょう)が感(かん)じられます。
相州(そうしゅう)江(え)のしま詣(もうで)の図(ず)
天保(てんぽう)14年(ねん)‐弘化(こうか)4年(ねん)(1843-47) 江(え)の島(しま)の岩屋(いわや)に集(あつ)まった女性(じょせい)たちの姿(すがた)が描(えが)かれています。左(ひだり)の黒(くろ)い着物(きもの)の女性(じょせい)は煙管(きせる)を手(て)に持(も)ち、足元(あしもと)には宴会(えんかい)道具(どうぐ)の重箱(じゅうばこ)や徳利(とっくり)も見(み)られます。中央(ちゅうおう)の女性(じょせい)は釣(つり)の遊(あそ)びをしており、右(みぎ)の二人(ふたり)の女性(じょせい)たちは地元(じもと)の子(こ)どもに話(はな)しかけられているようです。 背景(はいけい)には富士(ふじ)が大(おお)きく描(えが)かれ、その右下(みぎした)には烏帽子岩(えぼしいわ)も見(み)られます。中央(ちゅうおう)上部(じょうぶ)の詞書(ことばがき)には、岩屋(いわや)からは武蔵(むさし)・相模(さがみ)・安房(あわ)・上総(かつさ)の浦(うら)々や、富士(ふじ)・大山(おおやま)や伊豆(いず)・駿河(するが)の山々(やまやま)が一望(いちぼう)でき、絶景(ぜっけい)の場所(ばしょ)であったと記(しる)されています。
江之島(えのしま)詣(もうで)岩屋(いわや)之(の)図(ず)