Fujisawa Net Museum

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制作(せいさく)時期(じき):安政(やすまさ)元年(がんねん)(1854)2月(にがつ)
板元(はんもと):(つた)(きち)

これは「鎌倉(かまくら)七里(しちり)(はま)風景(ふうけい)」と(つい)で、(つた)(きち)から出版(しゅっぱん)されたもので(ちゅう)短冊(たんざく)です。
広重(ひろしげ)相州(そうしゅう)一番(いちばん)名所(めいしょ)である()(しま)度々(たびたび)(おとず)れて、(おお)くの作品(さくひん)(のこ)しています。広重(ひろしげ)は「()(そう)(たび)絵日記(えにっき)」のスケッチ旅行(りょこう)(さい)()(しま)岩本楼(いわもとろう)投宿(とうしゅく)し、(どう)絵日記(えにっき)(だい)(さん)(じゅう)()(けい)に「同所(どうしょ)岩本楼(いわもとろう)(うえ)」、(さん)(じゅう)三景(さんけい)に「おとなしく酒宴(しゅえん)」と、岩本楼(いわもとろう)での投宿(とうしゅく)様子(ようす)(つた)える2(かい)(のこ)しています。
これは広重(ひろしげ)()(しま)(おとず)れるごとに、(この)んで()まった岩本楼(いわもとろう)の「富士見(ふじみ)()」から(えが)いた、富士(ふじ)(けい)(おも)われる(いち)()です。

歌川広重 相州江之島眺望

相州(そうしゅう)江之島(えのしま)眺望(ちょうぼう)

安政(あんせい)5(ねん)(1858)
平安時代(へいあんじだい)富士山(ふじさん)噴火(ふんか)した(さい)に、その溶岩(ようがん)(りゅう)により形成(けいせい)された空洞(くうどう)である「船津胎内樹型(ふなつたいないじゅけい)」の(なか)(めぐ)る「胎内(たいない)(めぐ)り」の様子(ようす)(えが)いています。
富士登拝(ふじとはい)前日(ぜんじつ)には、胎内(たいない)(めぐ)り、「()まれ()わり」を体験(たいけん)することで()(きよ)め、登拝(とはい)(のぞ)みました。白装束(しろしょうぞく)信者(しんじゃ)たちが、曲折(きょくせつ)した胎内(たいない)(すす)んでいくと、(おく)には(ふた)つの空間(くうかん)があります。大日如来(だいにちにょらい)(まつ)(ちち)胎内(たいない)と、阿弥陀如来(あみだにょらい)(まつ)(はは)胎内(たいない)です。
洞中(どうちゅう)(これ)よりせば((せば))るる」「此所(このところ)入口(いりぐち)よりもひろ((ひろ))し」(とう)短冊(たんざく)胎内(たいない)様子(ようす)(こま)かく()かれ、(せま)産道(さんどう)()をかがめながら(すす)様子(ようす)(えが)かれています。
富士山(ふじさん)(ふる)くから山岳信仰(さんがくしんこう)霊山(れいざん)として()られており、江戸時代(えどじだい)中期(ちゅうき)(ごろ)には江戸(えど)庶民(しょみん)にも関心(かんしん)(ひろ)まります。開山(かいさん)()には講中(こうじゅう)(信仰(しんこう)集団(しゅうだん))による富士登山(ふじとざん)(おこな)われ、無病息災(むびょうそくさい)祈願(きがん)していました。

冨士山(ふじさん)體内巡之図(たいないめぐりのず)

富士山(ふじさん)五合(ごごう)()から頂上(ちょうじょう)までが、俯瞰(ふかん)(てき)構図(こうず)画面(がめん)いっぱいに(えが)かれています。ごつごつとした茶色(ちゃいろ)岩肌(いわはだ)富士山(ふじさん)表現(ひょうげん)している(てん)特徴(とくちょう)(てき)で、登山道(とざんどう)には富士講(ふじこう)人々(ひとびと)姿(すがた)(こま)かく(えが)()まれています。また、(おも)だった地点(ちてん)名所(めいしょ)なども事細(ことこま)かに(しる)されており、富士登山(ふじとざん)案内(あんない)()としての役割(やくわり)()(そな)えていました。
本作(ほんさく)は、()(ちゅう)に「登山(とざん)成就(じょうじゅ)()玉蘭斎(ぎょくらんさい)貞秀(さだひで)(うつし)」とあり、絵師(えし)実体験(じつたいけん)()せた文章(ぶんしょう)挿入(そうにゅう)されている(てん)(めずら)しいとされています。一説(いっせつ)には、本作(ほんさく)貞秀(さだひで)富士(ふじ)(はつ)登山(とざん)(さい)(えが)かれたと()われており、富士山(ふじさん)山頂(さんちょう)から見下(みお)ろした景色(けしき)感動(かんどう)した体験(たいけん)反映(はんえい)されているのかもしれません。

三国(さんごく)第一山(だいいちさん)()()

制作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)5(ねん)(1858) 4(がつ)(ごろ)
板元(はんもと):蔦吉(つたきち)

広重(ひろしげ)(さい)晩年(ばんねん)制作(せいさく)されたシリーズの(ひと)つとして有名(ゆうめい)作品(さくひん)です。冨士三十六景(ふじさんじゅうろっけい)シリーズは三亭(さんてい)春馬(しゅんま)目録(もくろく)(づけ)全部(ぜんぶ)で37()となり、江戸(えど)南伝馬町(みなみでんまちょう)蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)から上梓(じょうし)されたもので、安政(あんせい)5(ねん)4(がつ)改印(かいいん)()翌年(よくねん)刊行(かんこう)されています。広重(ひろしげ)富士(ふじ)取材(しゅざい)した(そろい)(もの)は、嘉永(かえい)5(ねん)12(がつ)改印(かいいん)の「不二三十六景(ふじさんじゅうろっけい)」の(そろい)があるにすぎません。
そのどちらもあの有名(ゆうめい)な「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」の北斎(ほくさい)死後(しご)刊行(かんこう)されていることは、(かれ)北斎(ほくさい)敬意(けいい)(あらわ)し、また遠慮(えんりょ)したようにも(おも)えます。

この画面(がめん)()(しま)富士(ふじ)七里ガ浜(しちりがはま)(のぞ)袖ヶ浦(そでがうら)あたりです。手前(てまえ)(えが)かれている茶屋(ちゃや)は「出口(でぐち)茶屋(ちゃや)」と()ばれ、天保(てんぽう)9(ねん)(ごろ)紀行文(きこうぶん)冨士大山道中(ふじおおやまどうちゅう)雑記(ざっき)(つき)江之嶋(えのしま)鎌倉(かまくら)』にも「袖ヶ浦(そでがうら)茶屋(ちゃや)(あり)(この)(ところ)にて鎌倉(かまくら)絵図(えず)(ならびに)名所記(めいしょき)(など)(あきな)茶屋(ちゃや)婦人(ふじん)絵図(えず)講釈(こうしゃく)(いた)す」と(しる)されています。茶店(ちゃみせ)軒先(のきさき)には「蔦吉(つたきち)」、「日本(にっぽん)はし」、「(さかな)()し」などの(さつ)()られます。

歌川広重 冨士三十六景 相模七里が浜

冨士(ふじ)三十六景(さんじゅうろっけい) 相模(さがみ)七里(しちり)(はま)



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