ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワード:
作者不詳(さくしゃふしょう) 日本橋(にほんばし)を振(ふ)り出(だ)しに江(え)の島(しま)までの道中(どうちゅう)風俗(ふうぞく)を、37コマの双六(すごろく)にして歌(うた)を詠(よ)み込(こ)んだもの。「本芝(ほんしば)(品川区(しながわく))」「御林丁(おはやしちょう)(品川区(しながわく))」「川崎(かわさき) 川中島(かわなかじま)」「青木(あおき)(神奈川宿(かながわしゅく))」「実入丁(みいりちょう)」に「宿(しゅく) 」の印(しるし)が付(つ)いています。この作品(さくひん)の寄稿者(きこうしゃ)に画家(がか)の南瞑(なんめい)などがみられ、『江(え)の島(しま)詣(もう)で浜(はま)のさざ波(なみ)』(作者(さくしゃ)・平亭銀鶏(へいていぎんけい) 天保(てんぽう) 10 年(ねん):1839年(ねん)作(さく))にも書画(しょが)を寄(よ)せている人物(じんぶつ)が重(かさ)なり、江戸後期(えどこうき)の作(さく)と思(おも)われます。
江(え)のしま須(す)ご六(ろく)
尾関(おぜき)トヨ 明治(めいじ)期(き) 明治(めいじ)中期(ちゅうき)に作(つく)られた木版(もくはん)と銅板(どうばん)を併用(へいよう)して作(つく)られた双六(すごろく)です。内容(ないよう)としては、日本国内(にほんこくない)と世界(せかい)の名所(めいしょ)を巡(めぐ)る「飛(と)び双六(すごろく)」となっています。全(すべ)てのマスに名所(めいしょ)の簡単(かんたん)な紹介(しょうかい)文(ぶん)が書(か)かれています。明治(めいじ)4年(ねん)(1871)に落成(らくせい)した新橋(しんばし)の停車場(ていしゃじょう)が振(ふ)り出(だ)しとして描(えが)かれており、マスには「新橋(しんばし)停車(ていしゃ)場(じょう)汽車(きしゃ)轟(ごう)登(と)之(の)図(ず)」と題名(だいめい)があります。他(た)のマスには国内外(こくないがい)の名所(めいしょ)・主要(しゅよう)都市(とし)名(めい)(横浜(よこはま)、ニューヨーク、サンクト・ペテルブルグ等(とう))が書(か)かれています。上(あ)がりのマスには明治天皇(めいじてんのう)の一家(いっか)が描(えが)かれ、その右上(みぎうえ)のマスには江(え)の島(しま)が登場(とうじょう)します。 画(が)中(ちゅう)の線(せん)の細(ほそ)さから、主版(しゅばん)は銅板(どうばん)が使(つか)われ、色(いろ)版(ばん)は木版(もくはん)で摺(す)られたと思(おも)われます。発行者(はっこうしゃ)の尾関(おぜき)トヨは東京(とうきょう)日本橋(にほんばし)で地本(じもと)問屋(とんや)を営(いとな)みながら、銅版(どうはん)画家(がか)としても活躍(かつやく)しました。
万国(ばんこく)名所(めいしょ)寿語禄(すごろく)
三代(さんだい) 歌川広重(うたがわひろしげ) 政田屋(まさだや) 版(ばん) 明治(めいじ)3年(ねん)(1870) 文明開化(ぶんめいかいか)の象徴(しょうちょう)である「蒸気(じょうき)(機関(きかん))車(しゃ)」や「人力車(じんりきしゃ)」など、26種類(しゅるい)の多様(たよう)な「車(くるま)」が、振(ふ)り出(だ)しの「大砲車(たいほうしゃ)」から、上(あ)がりの「御所車(ごしょぐるま)」まで並(なら)べられた、廻(まわ)り双六(すごろく)です。 肩車(かたぐるま)や銭車(ぜにぐるま)など、「車(くるま)」でないものもありますが、そこはご愛敬(あいきょう)です。
流行(りゅうこう)車尽(くるまづく)し廻(まわり)双禄(すごろく)
歌川国貞(うたがわくにさだ)(三代(さんだい) 豊国(とよくに)) 弘化(こうか)‐嘉永(かえい)年間(ねんかん)(1844‐54)頃(ごろ) 絵(え)に添(そ)えられた俳句(はいく)と詞書(ことばがき)(ことばがき)(画(が)中(ちゅう)に記(しる)されている説明(せつめい)文(ぶん))から、それぞれの七福神(しちふくじん)のイメージを見立(みた)てたシリーズ作品(さくひん)の一(いち)図(ず)です。本(ほん)図(ず)では、手拭(てぬぐ)いを巻(ま)いて女性(じょせい)の頭(あたま)が長(なが)くなっているところから福禄寿(ふくろくじゅ)を連想(れんそう)させています。句(く)にみえる杉田(すぎた)(現(げん)横浜市磯子区(よこはましいそごく))は江戸時代(えどじだい)から梅(うめ)の名所(めいしょ)として知(し)られています。詞書(ことばがき)にみえる「亀(かめ)(かめ)の甲(こ)(こ)煎餅(せんべい)(せんべい)」は、神奈川宿(かながわしゅく)の名物(めいぶつ)で、図(ず)中(ちゅう)の駕籠(かご)(かご)の中(なか)にも描(えが)かれています。
誹諧(はいかい)七福神(しちふくじん)之(の)内(うち) 福禄寿(ふくろくじゅ)
歌川広重(うたがわひろしげ) 安政(あんせい)4年(ねん)(1857) 江戸時代(えどじだい)、道中双六(どうちゅうすごろく)は数多(かずおお)く作(つく)られました。特(とく)に多(おお)かったのが東海(とうかい)道中双六(どうちゅうすごろく)でした。この双六(すごろく)は、江戸(えど)から京都(きょうと)に向(む)かう途中(とちゅう)、伊勢神宮(いせじんぐう)に立(た)ち寄(よ)る経路(けいろ)で描(えが)かれています。右下(みぎした)が振(ふ)り出(だ)しの日本橋(にほんばし)、右(みぎ)上(うえ)が上(あ)がりの京都(きょうと)です。画(が)は実際(じっさい)の地理(ちり)とは異(こと)なるダイナミックな構図(こうず)を用(もち)い、東海道(とうかいどう)が富士山(ふじさん)を取(と)り囲(かこ)んでいるかのように強調(きょうちょう)されています。
参宮(さんぐう)上京(じょうきょう)道中(どうちゅう)一覧(いちらん)双六(すごろく)
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の道筋(みちすじ)をコンパクトにまとめた摺(す)りものです。全体(ぜんたい)を覆(おお)うように富士山(ふじさん)が大(おお)きく描(えが)かれています。左端(ひだりはし)の句(く)は「けふ(きょう)も見(み)え きのふ(きのう)みへ(見(み)え)けるふじの山(やま)」と書(か)かれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)道案内(みちあんない) 木曽(きそ)海道(かいどう)筋(すじ)
二代(にだい) 歌川広重(うたがわひろしげ)(重宣(しげのぶ)) 安政(あんせい)3年(ねん)(1856) 初代(しょだい)広重(ひろしげ)の「六十余州名所図会(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ)」の図(ず)を引用(いんよう)した双六(すごろく)です。元(もと)の図(ず)が大判(おおばん)錦絵(にしきえ)であるため、細(こま)かい部分(ぶぶん)は省略(しょうりゃく)されていますが、一(いち)画面(がめん)の中(なか)での構図(こうず)は元(もと)の図(ず)に忠実(ちゅうじつ)なものとなっています。
大日本(だいにっぽん)六十余州(ろくじゅうよしゅう) 名所(めいしょ)一覧(いちらん)振分(ふりわけ)双六(すごろく)
慶応(けいおう)元年(がんねん)(1865年(ねん)) 末広(すえひろ)(扇子(せんす))をマスに見立(みた)てた五十三次(ごじゅうさんつぎ)の道中双六(どうちゅうすごろく)です。右下(みぎした)の振(ふ)り出(だ)し・日本橋(にほんばし)の「東雲(しののめ)の景(けい)」から始(はじ)まって、すべて行列(ぎょうれつ)が描(えが)きこまれていますが、中央(ちゅうおう)の上(あ)がりの京(きょう)では、公家(くげ)装束(しょうぞく)の人物(じんぶつ)が三方(さんぽう)に乗(の)せたお墨付(すみつ)き(文(ぶん))をかしこまる武士(ぶし)に与(あた)えている画(え)で、徳川将軍(とくがわしょうぐん)家茂(いえもち)の上洛(じょうらく)、参内(さんだい)(宮中(きゅうちゅう)への参上(さんじょう))の絵(え)であることをほのめかしています。 藤沢宿(ふじさわしゅく)には、名所(めいしょ)であった「南湖(なんご)のまつ原(はら)」が描(えが)かれています。南湖(なんこ)は現在(げんざい)、茅ヶ崎(ちがさき)市域(しいき)になりますが、当時(とうじ)は藤沢宿(ふじさわしゅく)の延長(えんちょう)としてとらえられ、浮世絵(うきよえ)などには藤沢宿(ふじさわしゅく)の風景(ふうけい)の定番(ていばん)のひとつでした。
東海道(とうかいどう)末広(すえひろ)五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所(めいしょ)双六(すごろく)