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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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東海道(とうかいどう)の名所(めいしょ)を描(えが)いた道中双六(どうちゅうすごろく)です。作者(さくしゃ)「北溪(ほっけい)」の落款(らっかん)は、ふり出(だ)し「日本橋(にほんばし)」のコマの左下(ひだりした)に小(ちい)さく記(しる)されています。狂歌(きょうか)摺物(すりもの)を多(おお)く手掛(てが)けた北溪(ほっけい)による双六(すごろく)の作品(さくひん)は希少(きしょう)です。各(かく)コマの上部(じょうぶ)には狂歌(きょうか)が書(か)き込(こ)まれており、その下(した)の小(ちい)さな画面(がめん)には、人物(じんぶつ)や風景(ふうけい)がバランスよく配(はい)されています。 藤沢宿(ふじさわしゅく)のマスには、宿(やど)の五右衛門風呂(ごえもんぶろ)でくつろぐ旅人(たびびと)の姿(すがた)が描(えが)かれており、狂歌(きょうか)には春(はる)の江(え)の島(しま)詣(もうで)と夏(なつ)の大山(おおやま)詣(もうで)の季節(きせつ)に藤沢宿(ふじさわしゅく)が賑(にぎ)わったと詠(よ)まれています。
東海道中(とうかいどうちゅう)歌入(うたいり)双六(すごろく)
大阪(おおさか)の船着(ふなつ)き場(ば)「大坂(おおさか)八軒(はちけん)家(や)(屋(や))」を振(ふ)り出(だ)し、江戸(えど)を上(のぼ)りとする道中双六(どうちゅうすごろく)です。東海道(とうかいどう)の各(かく)宿(やど)の名所(めいしょ)・名物(めいぶつ)に所縁(しょえん)のある歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)や浪速(なにわ)と尾張(おわり)で活躍(かつやく)していた狂歌(きょうか)師(し)の詩歌(しか)が各(かく)マスに挿入(そうにゅう)されています。刊行(かんこう)情報(じょうほう)によると、この双六(すごろく)はお正月(しょうがつ)に販売(はんばい)するために改(あらた)めて彫(ほ)られたもので、心斎橋(しんさいばし)を住所(じゅうしょ)に持(も)つ版元(はんもと)が芳(よし)幾(いく)に依頼(いらい)したものだと思(おも)われます。 藤沢(ふじさわ)のマスは歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)の十一代目守田勘彌(じゅういちだいめもりたかんや)の「御(ご)病気(びょうき)のわざか 時々(ときどき)お休(やす)みも 藤沢(ふじさわ)寺(てら)へ 車(くるま)とどめる」という狂歌(きょうか)が記(しる)されています。藤沢(ふじさわ)寺(てら)は遊行寺(ゆぎょうじ)のことで、遊行寺(ゆぎょうじ)ゆかりの伝説(でんせつ)上(じょう)の人物(じんぶつ)「小栗判官(おぐりはんがん)」が病気(びょうき)のため土車(どしゃ)に乗(の)せられて熊野(くまの)へ向(む)かうストーリーを連想(れんそう)させます。
東海道(とうかいどう)宿々(しゅくしゅく)名所(めいしょ)名物(めいぶつ)寄(よせ)俳優(はいゆう)芸道(げいどう)細見図(さいけんず)
仮名垣魯文(かながきろぶん) 作(さく) 歌川国政(うたがわくにまさ) 画(え) 明治12年(めいじじゅうにねん)(1879) 第(だい)18代(だい)アメリカ大統領(だいとうりょう)ユリシーズ・S・グラントの幼少(ようしょう)から明治12年(めいじじゅうにねん)の日本(にっぽん)来訪(らいほう)までが集約(しゅうやく)されたものです。第(だい)三(さん)編(へん)では、インドや中国(ちゅうごく)を巡(めぐ)り、最終目的地(さいしゅうもくてきち)である日本(にっぽん)までの旅路(たびじ)とともに、来訪(らいほう)時(じ)に開催(かいさい)されたさまざまな行事(ぎょうじ)の様子(ようす)が紹介(しょうかい)されています。 明治(めいじ)には西洋人(せいようじん)を題材(だいざい)とした物語(ものがたり)が多(おお)く出版(しゅっぱん)されました。その内容(ないよう)は、偉人(いじん)の伝記(でんき)とともに文化(ぶんか)、地理(ちり)、政治(せいじ)・歴史(れきし)といった幅広(はばひろ)い要素(ようそ)が組(く)み込(こ)まれたものでした。「格蘭氏伝倭文賞(ぐらんどしでんやまとぶんしょう)」もそのひとつで、幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)初期(しょき)に活躍(かつやく)した戯作者(げさくしゃ)、仮名垣(かながき)魯文(ろぶん)によって書(か)かれました。
格蘭氏伝倭文賞(ぐらんどしでんやまとぶんしょう)
二代(にだい)歌川広重(うたがわひろしげ) 万延(まんえん)元年(がんねん)(1860) 江(え)の島(しま)詣(もうで)の女性(じょせい)たちでしょうか、七里ガ浜(しちりがはま)の海岸(かいがん)で貝(かい)拾(ひろ)いなどして楽(たの)しんでいる様子(ようす)です。画(が)中奥(なかおく)には、富士山(ふじさん)とその左側(ひだりがわ)に江(え)の島(しま)が描(えが)かれています。鎌倉市(かまくらし)の七里ガ浜(しちりがはま)から望(のぞ)める富士山(ふじさん)と江(え)の島(しま)という構図(こうず)は、浮世絵(うきよえ)に多(おお)く描(えが)かれました。当時(とうじ)から名所(めいしょ)として親(した)しまれていたことがうかがえます。
相州(そうしゅう)七里ヶ浜(しちりがはま) 江之島(えのしま)金亀山(きんきざん)遠景之図(えんえいのず)
月岡芳年(つきおかよしとし) 明治元年(めいじがんねん)(1868) 明治元年(めいじがんねん)(1868)に制作(せいさく)された作品(さくひん)で、振(ふ)り出(だ)しの「西京(さいきょう)(さいきょう)」(京都(きょうと))から、上(あ)がりの「東京府(とうきょうふ)」に至(いた)る明治天皇(めいじてんのう)の東(とう)(とう)幸(こう)(こう)の様子(ようす)が描(えが)かれています。東海道(とうかいどう)の各(かく)宿(やど)が、ひとコマずつ双六(すごろく)風(ふう)に描(えが)かれていますが、到着(とうちゃく)地点(ちてん)の「東京府(とうきょうふ)」のコマは、日本橋(にほんばし)ではなく江戸城(えどじょう)となっています。また人物(じんぶつ)は簡略(かんりゃく)化(か)され、全(すべ)てのコマが鳥瞰(ちょうかん)的(てき)な視点(してん)で描(えが)かれています。
東海道(とうかいどう)御幸(みゆき)之(の)図(ず)
歌川貞秀(うたがわさだひで) 文久(ぶんきゅう)2年(ねん)(1862) 横浜絵(よこはまえ)や鳥瞰図(ちょうかんず)で知(し)られる歌川貞秀(うたがわさだひで)が、開港(かいこう)間(ま)もない横浜(よこはま)を訪(おとず)れ、現地(げんち)の様子(ようす)を詳細(しょうさい)に記(しる)した版本(はんぽん)です。遠近法(えんきんほう)などの表現(ひょうげん)は西欧(せいおう)の銅版(どうはん)画(が)や石版(せきばん)画(が)を参考(さんこう)にしたと言(い)われています。外国人居留地(がいこくじんきょりゅうち)の他(ほか)、アメリカ、フランス、オランダ、ロシアなどの風俗(ふうぞく)についても幅広(はばひろ)く紹介(しょうかい)しています。
横浜(よこはま)開港(かいこう)見聞(けんぶん)誌(し) 初編(はつへん)・二編(にへん)
作者不詳(さくしゃふしょう) 嘉永(かえい)6年(ねん)(1853)頃(ころ) 嘉永(かえい)6年(ねん)(1853)6月(がつ)、米(べい)艦隊(かんたい)(黒船(くろふね))入津(にゅうしん)の模様(もよう)を記録(きろく)した墨書画(ぼくしょが)です。当時(とうじ)の記録(きろく)等(とう)を1巻(かん)にまとめたものであると思(おも)われます(横浜市歴史博物館(よこはましれきしはくぶつかん)蔵(ぞう)に類似(るいじ)の着彩(ちゃくさい)画(が)あり)。「アメリカ人(じん)栗(くり)(久里(くり))浜(はま)上陸行軍(じょうりくこうぐん)ノ図(ず)(惣(そう)人数(にんずう)五百余人(ごひゃくよにん))」の図(ず)中(ちゅう)、二角(にかく)帽子(ぼうし)をかぶって、下(した)に「惣(そう)大将(たいしょう)」と記(しる)されているのがペリー提督(ていとく)で、同行(どうこう)の童子(どうじ)が書翰(しょかん)を入(い)れた包(つつみ)を持(も)っています。巻末(かんまつ)には、「久里浜(くりはま)陣押(じんおし)(じんおし)、荒増(あらまし)(あらまし)之(の)図(ず)(惣(そう)人数(にんずう)一千百有余人(いっせんひゃくゆうよにん))」が記(しる)されていて、上陸(じょうりく)時(じ)の日本側(にっぽんがわ)の態勢(たいせい)も記録(きろく)されています。
相州(そうしゅう)浦賀(うらが)米国船(べいこくせん)入津之図(にゅうしんのず)
森島中良(もりしまちゅうりょう) 作(さく) 森島中良(もりしまちゅうりょう)・北尾政美(きたおまさよし)・大槻玄沢(おおつきげんたく) 画(が) 天明(てんめい)7年(ねん)(1787) 作者(さくしゃ)の森島中良(もりしまちゅうりょう)は、蘭学者(らんがくしゃ)で、戯作者(げさくしゃ)でもあった人(ひと)です。『紅毛雑話(こうもうざつわ)』は、御殿医(ごてんい)(江戸時代(えどじだい)、将軍(しょうぐん)や大名(だいみょう)に仕(つか)えた医師(いし)の俗称(ぞくしょう))であった兄(あに)の桂川甫周(かつらがわほしゅう)が、江戸(えど)参府(さんぷ)のオランダ人(じん)から聞(き)いた話(はなし)などを中良(なから)がまとめたもので、天明(てんめい)7年(ななねん)(1787)に刊行(かんこう)されました。蘭学(らんがく)知識(ちしき)を一般(いっぱん)向(む)けに解説(かいせつ)した啓蒙(けいもう)書(しょ)です。本図(もとず)は「ミコラスコービュン」(顕微鏡(けんびきょう))の図(ず)で、その仕組(しく)みや見方(みかた)の説明(せつめい)がついています。顕微鏡(けんびきょう)で見(み)た虫(むし)を描(えが)いた拡大(かくだい)図(ず)は有名(ゆうめい)で、ノミや蚊(か)、ぼうふらなども描(えが)かれています。西洋(せいよう)の飛行船(ひこうせん)やエレキテルといった目新(めあたら)しい事物(じぶつ)も紹介(しょうかい)されています。 江戸時代(えどじだい)の人々(ひとびと)が、鎖国(さこく)政策(せいさく)の中(なか)でも、海外(かいがい)の事物(じぶつ)に興味(きょうみ)を持(も)っていたことが伝(つた)わってきます。
紅毛雑話(こうもうざつわ) 巻之三(まきのさん)