ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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平成(へいせい)13年(ねん)(2001)2月(がつ)13日(にち)指定(してい)/江(え)の島(しま)八坂神社(やさかじんじゃ)で毎年(まいとし)7月(がつ)に行(おこな)われる天王祭(てんのうさい)で行(おこな)われる祭囃子(まつりばやし)です。その由来(ゆらい)は未詳(みしょう)ですが、江戸後期(えどこうき)までに江(え)の島(しま)に伝播(でんぱ)したのではないかと推定(すいてい)されています。江(え)の島(しま)囃子(ばやし)は楽器編成(がっきへんせい)に特徴(とくちょう)があり、笛(ふえ)、締太鼓(しめだいこ)、当り鉦(あたりかね)、大太鼓(おおだいこ)などのほか、チャルメラ、三味線(しゃみせん)、柄太鼓(えだいこ)、鼓(つづみ)、銅鑼(どら)などが用(もち)いられる囃子(はやし)もあります。現在(げんざい)広(ひろ)く行(おこな)われている祭囃子(まつりばやし)以前(いぜん)の古(ふる)い祭囃子(まつりばやし)の姿(すがた)を知(し)る上(うえ)で貴重(きちょう)と考(かんが)えられます。曲調(きょくちょう)は、しんみりと聞(き)かせるところが特色(とくしょく)となっています。所管(しょかん):江(え)の島(しま)囃子連合会(ばやしれんごうかい)
江(え)の島(しま)囃子(ばやし)
平成(へいせい)20年(ねん)(2008)2月5日(がついつか)指定(してい)/以前(いぜん)は「遠藤(えんどう)盆(ぼん)おどり」、「葛原(くずはら)盆(ぼん)おどり」として、個別(こべつ)に二団体(にだんたい)の芸能(げいのう)を市指定文化財(ししていぶんかざい)としていましたが、県内(けんない)の「ささら踊(おど)り」の継承(けいしょう)8団体(だんたい)(藤沢市(ふじさわし)2、厚木市(あつぎし)2、南足柄市(みなみあしがらし)1、綾瀬市(あやせし)1、海老名市(えびなし)1、秦野市(はだのし)1)を一括(いっかつ)して平成(へいせい)20年(ねん)(2008)に県指定(けんしてい)へ変更(へんこう)されました。相模平野(さがみへいや)の農村地帯(のうそんちたい)に広(ひろ)く分布(ぶんぷ)する「びんざさら」(ささら。30枚(まい)~50枚(まい)程度(ていど)の竹製(たけせい)の薄板(うすいた)を合(あ)わせてひもを通(とお)し、伸縮(しんしゅく)させながら叩(たた)いて音(おと)を出(だ)す楽器(がっき))と小太鼓(こだいこ)を使用(しよう)します。藤沢市(ふじさわし)の二団体(にだんたい)ほか輪踊(わおど)り(円形(えんけい)に行列(ぎょうれつ)して踊(おど)る)が多(おお)いです。継承(けいしょう)8団体(だんたい)が毎年一回(まいとしいっかい)一堂(いちどう)に会(かい)して輪番制(りんばんせい)の大会(たいかい)を開(ひら)いています。所管(しょかん):葛原芸能保存会(くずはらげいのうほぞんかい)・遠藤民俗芸能保存会(えんどうみんぞくげいのうほぞんかい)
相模(さがみ)のささら踊(おど)り
昭和(しょうわ)45年(ねん)(1970)11月(がつ)21日(にち)指定(してい)/西富(にしとみ)の諏訪神社祭礼(すわじんじゃさいれい)(8月(がつ)25-27日(にち))のお囃子(はやし)です。地名(ちめい)をつけて「西富(にしとみ)ばやし」と呼(よ)ばれていますが、囃子(はやし)の調子(ちょうし)はこの地方一帯(ちほういったい)に分布(ぶんぷ)している鎌倉(かまくら)ばやし系統(けいとう)のもので、市内(しない)で最(もっと)も優(すぐ)れた型(かた)を残(のこ)しています。構成(こうせい)は、大太鼓(おおだいこ)1・小太鼓(こだいこ)2・すり鉦(かね)1・笛(ふえ)1で、総(そう)リードは鉦(かね)が行(おこな)います。曲目(きょくもく)は「ショウデン」「カマクラ」「シチョウメ」「シンパヤシ」「ランビョウシ」で、獅子(しし)・ひょっとこ・おかめ・道化人(どうけにん)などのお面(めん)をつけた踊(おど)りが入(はい)ります。各種(かくしゅ)の行事(ぎょうじ)にも参加(さんか)しています。所管(しょかん):西富町囃子保存会(にしとみちょうはやしほぞんかい)
西富(にしとみ)ばやし
昭和(しょうわ)51年(ねん)(1976)4月(がつ)15日(にち)指定(してい)/川名(かわな)の御霊神社(ごりょうじんじゃ)の9月第(がつだい)2日曜日(にちようび)の祭礼(さいれい)で奉納(ほうのう)されるお囃子(はやし)です。鎌倉権五郎景政(かまくらのごんごろうかげまさ)の人形(にんぎょう)をのせた山車(だし)の屋台(やたい)でたたくテンポの早(はや)い囃子(はやし)で、鎌倉(かまくら)ぱやしの系統(けいとう)に入(はい)ります。構成(こうせい)は、大太鼓(おおだいこ)1、小太鼓(こだいこ)2、笛(ふえ)1、鉦(かね)1の5人(にん)で、曲目(きょくもく)は「ヤタイバヤシ」「ショウデン」「カンダマル」「カマクラ」「シチョウメ」「ランビョウシ」の6曲(きょく)です。現在(げんざい)に伝(つた)わる屋台(やたい)ばやしは明治維新(めいじいしん)を祝(いわ)う意味(いみ)で山車(だし)を新調(しんちょう)したのを機会(きかい)に土地(とち)の人(ひと)が中心(ちゅうしん)となり、つくり直(なお)したものです。村岡地区(むらおかちく)には数種類(すうしゅるい)の祭(まつり)ばやしが残(のこ)っています。所管(しょかん):川名屋台(かわなやたい)ばやし保存会(ほぞんかい)
川名(かわな)屋台(やたい)ばやし
昭和(しょうわ)51年(ねん)(1976)4月(がつ)15日(にち)指定(してい)/木遣(きや)りは、山(やま)から木材(もくざい)を運(はこ)び出(だ)す時(とき)、大勢(おおぜい)の人(ひと)の調子(ちょうし)を合(あ)わせるため生(う)まれた作業(さぎょう)の唄(うた)で、転(てん)じて祝(いわ)い唄(うた)ともなりました。唱(とな)え言的要素(ごとてきようそ)(危険(きけん)な作業(さぎょう)が多(おお)いため神々(かみがみ)の加護(かご)を祈(いの)る)と掛声的要素(かけごえてきようそ)(力(ちから)を一時(いちじ)に集中発揮(しゅうちゅうはっき)するための合図(あいず))があり、2つの要素(ようそ)が重(かさ)なった唄(うた)です。梯子(はしご)のりは、鳶職(とびしょく)の作業場(さぎょうば)から生(う)まれたもので、高度(こうど)での作業(さぎょう)にたえる技(わざ)が正月(しょうがつ)の仕事(しごと)はじめの行事(ぎょうじ)として披露(ひろう)されます。古(ふる)く江戸(えど)の鳶職(とびしょく)から伝(つた)えられたと考(かんが)えられます。纏(まとい)ふりは、江戸時代以降(えどじだいいこう)に生(う)まれたもので、火消(ひけ)しの各組(かくくみ)の標(しるし)が纏(まとい)です。木遣(きやり)の行列(ぎょうれつ)の露払(つゆはら)いをして纒(まとい)をふりながら歩(ある)きます。所管(しょかん):藤沢(ふじさわ)とび職組合連合会木遣保存会(しょくくみあいれんごうきやりほぞんかい)
藤沢(ふじさわ)とび職(しょく)木遣(きやり)(含梯子(ふくむはしご)のり、纏(まとい)ふり)
昭和(しょうわ)51年(ねん)(1976)4月(がつ)15日(にち)指定(してい)/練(ね)り歌(うた)「ヤレめでためでたの若松様(わかまつさま)よ/枝(えだ)も栄(さか)える/葉(は)も茂(しげ)る」。つき歌(うた)「江(え)の島(しま)前(まえ)で餅(もち)つけば/音(おと)のよさ/音(おと)のよさ岩(いわ)にひびける/江(え)の島(しま)前(まえ)で鳩(はと)がなく/なんとなく/江(え)の島(しま)御繁昌(ごはんじょう)となく」。この餅(もち)つき唄(うた)は、遠(とお)く元禄時代(げんろくじだい)、300年以上(ねんいじょう)も前(まえ)から、片瀬(かたせ)の年末行事(ねんまつぎょうじ)として行(おこな)われてきた民謡(みんよう)です。その節回(ふしまわ)しには、正月(しょうがつ)をひかえ、各家(かくいえ)で本家分家(ほんけぶんけ)の人(ひと)たちが大勢(おおぜい)集(あつ)まってにぎやかに行(おこな)われたであろう明(あか)かるさにあふれています。つき手(て)は4人(よにん)、テミズといって手(て)がえしをする1人(ひとり)の、5人(ごにん)が中心(ちゅうしん)となってつきます。所管(しょかん):片瀬餅(かたせもち)つき唄保存会(うたほぞんかい)
片瀬(かたせ)餅(もち)つき唄(うた)
平成(へいせい)8年(ねん)(1996)3月1日(がつついたち)指定(してい)/10月(がつ)28日(にち)の白旗神社祭礼(しらはたじんじゃさいれい)や8月(がつ)17日(にち)の皇大神宮祭礼(こうたいじんぐうさいれい)で継承(けいしょう)される神事芸能(しんじげいのう)です。湯立て(ゆたて)は、大釜(おおかま)に沸(わ)かした熱湯(ねっとう)に笹(ささ)を浸(ひた)して、舞(ま)いながら周囲(しゅうい)の人(ひと)に振(ふ)りかけて浄(きよ)める神事(しんじ)です。鎌倉神楽(かまくらかぐら)とも呼(よ)ばれるように、鎌倉(かまくら)の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の神楽男(かぐらおとこ)が伝承(でんしょう)し、次第(しだい)に近隣(きんりん)に定着(ていちゃく)したものと考(かんが)えられ、江戸中期(えどちゅうき)の創世(そうせい)とされています。現在(げんざい)、①打囃子(うちばやし)②初能(はつのう)③御祓(おはらい)④御幣招(ごへいまねき)⑤湯上(ゆのかみ)⑥中入(なかいり)⑦掻湯(かきゆ)⑧大散供(だいさんぐ)⑨笹の舞い(ささのまい)⑩弓祓(ゆみはらい)⑪剣舞(けんぶ)・毛止機(もどき)、が行(おこな)われます。所管(しょかん):藤沢湯立神楽保存会(ふじさわゆだてかぐらほぞんかい)(白旗神社(しらはたじんじゃ))
湯立神楽(ゆたてかぐら)
平成(へいせい)12年(ねん)(2000)7月7日(がつなのか)指定(してい)/この祭囃子(まつりばやし)は江戸時代(えどじだい)に始(はじ)まったと伝(つた)えられ、下土棚白山神社(しもつちだな はくさんじんじゃ)を中心(ちゅうしん)に継承(けいしょう)されています。構成(こうせい)は、総(そう)リードの笛1人(ふえひとり)・大太鼓1人(おおだいこひとり)・小太鼓2人(こだいこふたり)・すり鉦1人(かねひとり)の5人(にん)が基本(きほん)で、獅子舞(ししまい)(2人立(ふたりだ)ち)やおかめ・ひょっとこ等(とう)の面(めん)を使(つか)った踊(おど)りが伴(ともな)います。横浜(よこはま)のシタマチバヤシの系統(けいとう)と考(かんが)えられていますが、曲目(きょくもく)は「ハヤ」「カマクラ」「シチョウメ」「オカザキ」の他(ほか)、横浜(よこはま)ですでに滅(ほろ)んでいる「キリン」「カッコ」や難曲(なんきょく)とされる「カンダマル」を伝(つた)えています。現在(げんざい)は子供(こども)も加入(かにゅう)し、定期的(ていきてき)な練習(れんしゅう)で技術向上(ぎじゅつこうじょう)・後継者育成(こうけいしゃいくせい)をはかり、様々(さまざま)な行事(ぎょうじ)にも出演(しゅつえん)しています。所管(しょかん):下土棚白山神社獅子舞保存会(しもつちだなはくさんじんじゃししまいほぞんかい)
下土棚(しもつちだな)祭(まつり)ばやし