Fujisawa Net Museum

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制作(せいさく)時期(じき):不明(ふめい)
落款(らっかん)なし

泥絵(どろえ)とは、泥絵具(どろえのぐ)という粗悪(そあく)顔料(がんりょう)胡粉(ごふん)()ぜた絵具(えのぐ)(えが)いたもので、宝暦(ほうれき)(ごろ)最初(さいしょ)として、19世紀(せいき)前半(ぜんはん)(ごろ)まで職人(しょくにん)画工(がこう)()(つく)られた遠近法(えんきんほう)主体(しゅたい)とした洋風(ようふう)表現(ひょうげん)(つよ)()のことです。
眼鏡絵(めがねえ)として制作(せいさく)されたものが(おお)いので、銅版(どうはん)木版(もくはん)制作(せいさく)された作品(さくひん)以外(いがい)肉筆(にくひつ)眼鏡絵(めがねえ)泥絵(どろえ)(しょう)する場合(ばあい)もあります。この()左右(さゆう)(ぎゃく)(かげ)(えが)かれており、のぞき眼鏡(めがね)(よう)制作(せいさく)されたものであることがわかります。

作品(さくひん)としては、中国(ちゅうごく)やオランダから渡来(とらい)した「(のぞ)きからくり」のための()宝暦(ほうれき)年間(ねんかん)(1751-1764(ねん))に円山応挙(まるやまおうきょ)制作(せいさく)したのが最初(さいしょ)のものと()われています。

作者不詳 無題(江の島風景)

題名(だいめい)不詳(ふしょう)()(しま)風景(ふうけい)

忠臣蔵(ちゅうしんぐら)物語(ものがたり)(あつか)った『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の登場人物(とうじょうじんぶつ)が、人気役者(にんきやくしゃ)似顔(にがお)(えが)かれたシリーズのうちの(ひと)つです。(えが)かれた人物(じんぶつ)四代目(よんだいめ)瀬川路考(せがわろうこう)戸無瀬(となせ)初代(しょだい)瀬川仙女(せがわせんじょ)小浪(こなみ)という母娘(おやこ)で、二人(ふたり)東海道(とうかいどう)(とお)り、小浪(こなみ)許婚(いいなずけ)である大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)史実(しじつ)大石内蔵助(おおいしくらのすけ))の息子(むすこ)である大星力弥(おおぼしりきや)()いに()きます(八段目(はちだんめ)道行旅路嫁入(みちゆきたびじのよめいり)」)。物語物語中(ものがたりちゅう)では二人(ふたり)江の島(えのしま)()かうという設定(せってい)はありませんが、(たび)情景(じょうけい)(あらわ)すために東海道(とうかいどう)()(みち)として(おお)くの(ひと)(おとず)れた江の島(えのしま)背景(はいけい)(もち)いたと(かんが)えられます。

役者(やくしゃ)見立(みたて)忠臣蔵(ちゅうしんぐら)(はち)(だん)()()()

(あざ)やかな(あか)背景(はいけい)に「浜松屋(はままつや)」の一場面(いちばめん)(えが)かれます。「浜松屋(はままつや)」は弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)がもろ肌脱(はだぬ)ぎで名台詞(めいぜりふ)()べるのが見所(みどころ)場面(ばめん)です。
浜松屋(はままつや)」のあらすじは、呉服屋(ごふくや)浜松屋(はままつや)良家(りょうけ)令嬢(れいじょう)(あらわ)婚礼(こんれい)衣装(いしょう)()いに()ますが、万引(まんび)きしたとして(みせ)(もの)()(あらそ)いになります。しかし、その令嬢(れいじょう)(じつ)弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)で、(つみ)()せられたとして(みせ)から(かね)をゆすり()ろうとします。そこに日本駄右衛門(にっぽんだえもん)善人(ぜんにん)のふりをして(あらわ)れ、弁天小僧(べんてんこぞう)正体(しょうたい)(あば)きます。バレては仕方(しかた)ないと、弁天小僧(べんてんこぞう)着物(きもの)()ぎ、「()らざぁいって()かせやしょう」台詞(せりふ)へと(つな)がります。

題名(だいめい)不詳(ふしょう)(『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』より白浪(しらなみ)()(にん)(おとこ)

手前(てまえ)には、美男子(びだんし)であったと名高(なだか)八代目(はちだいめ)市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)(えん)じる松若丸(まつわかまる)画中(がちゅう)では松若(まつわか))が(えが)かれ、画題枠(がだいわく)には「戸塚藤沢宿間(とつかふじさわしゅくかん) 吉田橋(よしだばし)」と()かれていますが、背景(はいけい)には吉田橋(よしだばし)(えが)かれておりません。戸塚(とつか)吉田橋(よしだばし)柏尾川(かしおがわ)()かる(はし)で、東海道(とうかいどう)鎌倉(かまくら)へと()かう(みち)への分岐点(ぶんきてん)でもありました。吉田橋(よしだばし)松若丸(まつわかまる)(えが)かれた理由(りゆう)は、松若丸(まつわかまる)(きょう)公家(くげ)である「吉田家(よしだけ)」の子息(しそく)という設定(せってい)()るものです。松若丸(まつわかまる)謡曲(ようきょく)隅田川(すみだがわ)』をアレンジした「隅田川(すみだがわ)もの」歌舞伎(かぶき)において、悲劇(ひげき)()()げる少年(しょうねん)梅若丸(うめわかまる)」の双子(ふたご)(あに)として登場(とうじょう)します。

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 戸塚(とつか)藤沢(ふじさわ)(かん) 吉田橋(よしだばし) 松若(まつわか)

番付(ばんづけ)とは興行(こうぎょう)宣伝(せんでん)のために作成(さくせい)された印刷物(いんさつぶつ)です。その(うち)顔見世番付(かおみせばんづけ)」は毎年(まいとし)11(がつ)(おこな)われる顔見世興行(かおみせこうぎょう)(さい)して(つく)られ、市中(しちゅう)()()されました。顔見世興行(かおみせこうぎょう)とは興行主(こうぎょうぬし)()こう(いち)年間(ねんかん)所属契約(しょぞくけいやく)(むす)んだ役者(やくしゃ)狂言(きょうげん)作者(さくしゃ)歌舞伎(かぶき)劇作家(げきさっか))・囃子方(はやしがた)劇中(げきちゅう)音楽(おんがく)演奏(えんそう)する(ひと))などの出演者(しゅつえんしゃ)が、一座(いちざ)のメンバーを披露(ひろう)する公演(こうえん)(おこな)われ、その紹介(しょうかい)のために(つく)られました。
上段(じょうだん)には役者名(やくしゃめい)()()まれており、役者(やくしゃ)得意(とくい)とする役柄(やくがら)(しる)されています。下段(げだん)には鳥井派(とりいは)絵師(えし)により役者達(やくしゃたち)()役柄(やくがら)()わせて(えが)かれます。

市村座(いちむらざ)顔見世(かおみせ)番附(ばんづけ)



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