Fujisawa Net Museum

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三浦義明(みうらよしあき)は、平安時代末期(へいあんじだいまっき)相模国三浦郡衣笠城(さがみのくにみうらぐんきぬがさじょう)武将(ぶしょう)治承(じしょう)(ねん)(1180(ねん))に源義朝(みなもとのよしとも)遺児(いじ)源頼朝(みなもとのよりとも)挙兵(きょへい)すると、一族(いちぞく)()げてこれに合流(ごうりゅう)しようと居城(きょじょう)衣笠城(きぬかさじょう)出撃(しゅつげき)します。しかし、途中(とちゅう)石橋山(いしばしやま)(たたか)いにおける頼朝(よりとも)敗戦(はいせん)()き、()(かえ)して篭城(ろうじょう)。ほどなくして敵方(てきかた)参加(さんか)していた畠山重忠(はたけやましげただ)(ひき)いる軍勢(ぐんぜい)衣笠城合戦(きぬがさじょうかっせん)となり、一族郎党(いちぞくろうとう)(ひき)いて奮戦(ふんせん)しますが、最終的(さいしゅうてき)には刀折(かたなお)矢尽(やつ)(たたか)(ちから)()きてしまった状態(じょうたい))、一族(いちぞく)安房(あわ)(のが)した(のち)(ひと)(しろ)(まも)って戦死(せんし)しました。
享年(きょうねん)89(さい)江戸時代(えどじだい)には義理(ぎり)(あつ)老将(ろうしょう)としてよく()られていました。
背景(はいけい)(うた)は「()(おい)ぬ ゆくすえなかく つかえると ()をおもふ(みち)に きみを おもへ」

本朝(ほんちょう)名将(めいしょう)(かがみ) 三浦(みうら)大介(おおすけ)義明(よしあき)

製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14(ねん)(1843)~弘化(こうか)4(ねん)(1847)。
板元(はんもと):遠州屋又兵衛(えんしゅうやまたべえ)

 小田原(おだわら)平治(へいじ)(らん)(12世紀(せいき)(なか)ばの天皇(てんのう)周辺(しゅうへん)権力者(けんりょくしゃ)による闘争(とうそう))に(やぶ)れた 13(さい)源頼朝(みなもとのよりとも)が、伊豆(いず)(なが)されたのち、その土地(とち)(つま)となる北条(ほうじょう)()政子(まさこ)出会(であ)ったという物語(ものがたり)主題(しゅだい)となっています。

()()ると、前髪(まえがみ)(のこ)し(江戸時代(えどじだい)男性(だんせい)成人(せいじん)(さい)前髪(まえがみ)()った)振袖(ふりそで)()若々(わかわか)しい姿(すがた)頼朝(よりとも)が、(ゆき)(なか)政子(まさこ)()いに()場面(ばめん)(えが)かれています。平安(へいあん)末期(まっき)(ごろ)(はなし)ですが、頼朝(よりとも)政子(まさこ)江戸時代(えどじだい)風俗(ふうぞく)(えが)かれています。

このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)三代(さんだい)豊国(とよくに)国芳(くによし)の3(にん)当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)分担(ぶんたん)して(えが)いたものです。風景(ふうけい)(すく)なく人物(じんぶつ)(おも)とし、(した)3(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)史跡(しせき)著名(ちょめい)出来事(できごと)(など)(えが)き、(うえ)3(ぶん)の1に(した)()説明(せつめい)がなされています。

東海道五十三対 小田原

東海道(とうかいどう)()(じゅう)(さん)(つい) 小田原(おだわら)(えき)

製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)1414年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4(ねん)(1847)。
板元(はんもと):海老屋林之助(えびやりんのすけ)

詞書(ことばがき)には『曽我(そが)兄弟(きょうだい)仇討(あだう)ち』の(あに)曽我(そが)十郎(じゅうろう)祐成(すけなり)と、恋仲(こいなか)であった大磯(おおいそ)遊女(ゆうじょ)虎御前(とらごぜん)との関係(かんけい)について()かれています。
虎御前(とらごぜん)仇討(あだう)ちの(さい)()くなった十郎(じゅうろう)供養(くよう)(おこな)うため19(さい)出家(しゅっけ)し、その()諸国(しょこく)(めぐ)ったのち、71(さい)(とき)熊野(くまの)日本(にっぽん)聖地(せいち)のひとつ)で()くなったと(つた)えられています。

()には(やなぎ)()(した)()っていた十郎(じゅうろう)に、虎御前(とらごぜん)(うし)ろから(こえ)()けている様子(ようす)(えが)かれています。
本作(ほんさく)東海道(とうかいどう)もの浮世絵(うきよえ)(ひと)つですが、宿場(しゅくば)風景(ふうけい)(えが)いたものではなく、(かく)東海道(とうかいどう)宿場(しゅくば)(つた)わる説話(せつわ)や、歌舞伎(かぶき)浄瑠璃(じょうるり)江戸時代(えどじだい)より流行(りゅうこう)した人形劇(にんぎょうげき))を(もと)にした内容(ないよう)上部(じょうぶ)詞書(ことばがき)()かれ、それに関連(かんれん)した絵図(えず)下部(かぶ)(えが)かれた作品(さくひん)となっています。広重(ひろしげ)国芳(くによし)国貞(くにさだ)三代(さんだい)豊国(とよくに))という当時(とうじ)歌川派(うたがわは)人気(にんき)絵師(えし)(にん)による共筆(きょうひつ)(そろい)(ぶつ)(シリーズもの)である(てん)(めずら)しく、版元(はんもと)も6(にん)からの共同出版(きょうどうしゅっぱん)となっています。
本展(ほんてん)では広重(ひろしげ)国芳(くによし)作品(さくひん)出品(しゅっぴん)


このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)三代(さんだい)豊国(とよくに)国芳(くによし)の3(にん)当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)分担(ぶんたん)して(えが)いたものです。
風景(ふうけい)(すく)なく人物(じんぶつ)(おも)とし、(した)3分(さんぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)史跡(しせき)著名(ちょめい)出来事(できごと)(など)(えが)き、(うえ)3分(さんぶん)の1に(した)()説明(せつめい)がなされています。

東海道五十三対 大磯

東海道(とうかいどう)()(じゅう)(さん)(つい) 大磯(おおいそ)

製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14(ねん)(1843)~弘化(こうか)4(ねん)(1847)。
板元(はんもと):伊勢屋市兵衛(いせやいちべえ)

 落雷(らくらい)()れる(なみ)表現(ひょうげん)がダイナミックに(えが)かれた本作(もとさく)には、平塚(ひらつか)にある「馬入川(ばにゅうがわ)」の()由来(ゆらい)(かか)わる伝説(でんせつ)(しる)されています。

詞書(ことばがき)()むと「建久(けんきゅう)9(ねん)(1198)の12(がつ)稲毛(いなげ)三郎(さぶろう)相模川(さがみがわ)に(()(つま)のために(つく)った(はし)の)橋供養(はしくよう)(はし)完成(かんせい)した(とき)におこなう儀式(ぎしき))を(おこな)った。 源頼朝(みなもとのよりとも)もそれに参列(さんれつ)したが、その(さい)落雷(らくらい)により()っていた(うま)(かわ)(はい)()んでしまった。これにより馬入川(ばにゅうがわ)()ばれるようになった。」という内容(ないよう)になっています。

このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)三代(さんだい)豊国(とよくに)国芳(くによし)3人(さんにん)当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)分担(ぶんたん)して(えが)いたものです。風景(ふうけい)(すく)なく人物(じんぶつ)(おも)とし、(した)3(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)史跡(しせき)著名(ちょめい)出来事(できごと)(など)(えが)き、(うえ)3(ぶん)の1に(した)()説明(せつめい)がなされています。

東海道五十三対 平塚

東海道(とうかいどう)()(じゅう)(さん)(つい) 平塚(ひらつか)



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