三浦義明は、平安時代末期の相模国三浦郡衣笠城の武将。治承4年(1180年)に源義朝の遺児・源頼朝が挙兵すると、一族挙げてこれに合流しようと居城の衣笠城を出撃します。しかし、途中で石橋山の戦いにおける頼朝の敗戦を聞き、引き返して篭城。ほどなくして敵方に参加していた畠山重忠率いる軍勢と衣笠城合戦となり、一族郎党を率いて奮戦しますが、最終的には刀折れ矢尽(戦う力も尽きてしまった状態)、一族を安房に逃した後、独り城を守って戦死しました。
享年89歳。江戸時代には義理に厚い老将としてよく知られていました。
背景の歌は「身は老ぬ ゆくすえなかく つかえると 子をおもふ道に きみを おもへ」