Fujisawa Net Museum

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石橋(いしばし)(やま)合戦(かっせん)は、平安時代(へいあんじだい)末期(まっき)()(しょう)4(ねん)(1180)に源頼朝(みなもとのよりとも)大庭景親(おおばかげちか)平家(へいけ)一族(いちぞく)との(あいだ)(おこな)われた(たたか)いです。組討(くみうち)ちとは、戦場(せんじょう)(てき)(しょう)()()せてその(くび)()ることで、「武勇(ぶゆう)高名(こうみょう)組討(くみうち)(せん)」は中世(ちゅうせい)合戦(かっせん)物語(ものがたり)(なか)高名(こうみょう)な「組討(くみうち)」シーンを(えが)いたシリーズです。画面(がめん)(ひだり)頼朝(よりとも)(かた)真田(さなだ)義忠(よしただ)(みぎ)平家(へいけ)(かた)俣野(またの)景久(かげひさ)です。(たたか)いは一度(いちど)義忠(よしただ)有利(ゆうり)(はたら)きましたが、景久(かげひさ)加勢(かせい)にかけつけた長尾(ながお)新五(しんご)とその(おとうと)(しん)(ろく)()により()たれてしまいました。登場(とうじょう)する武将(ぶしょう)たちの名前(なまえ)本拠(ほんきょ)とした地名(ちめい)になっており、真田(さなだ)平塚市内(ひらつかしない)俣野(またの)横浜市戸塚区(よこはましとつかく)藤沢市(ふじさわし)(あたり)長尾(ながお)横浜市栄区(よこはましさかえく)(あたり)にあります。

武勇(ぶゆう)高名(こうみょう)組討(くみうち)(せん) 股野(またの)五郎(ごろう)景久(かげひさ) 真田(さなだ)与一(よいち)義忠(よしただ)

古今(ここん)合戦(かっせん)のうち36(けん)(えら)んで歌川国芳(うたがわくによし)(えが)いたシリーズの1(まい)です。宇治川(うじがわ)(たたか)いは、木曾義仲(きそよしなか)源義経(みなもとのよしつね)との(あいだ)(おこな)われた合戦(かっせん)です。その(なか)で、佐々木高綱(ささきたかつな)梶原景季(かじわらかげすえ)先陣(せんじん)(あらそ)いのエピソードがよく()られています。義経(よしつね)(ぜい)佐々木高綱(ささきたかつな)梶原景季(かじわらかげすえ)は、それぞれ源頼朝(みなもとのよりとも)から名馬(めいば)(たまわ)っており、(とも)戦地(せんち)一番乗(いちばんの)りの手柄(てがら)()てようと(いさ)んで(かわ)()(にゅう)ろうとします。その(とき)高綱(たかつな)が「(うま)腹帯(はらおび)(ゆる)んでいる、()(たま)え」と(かげ)(すえ)()げ、それを()()けた(かげ)(すえ)(うま)腹帯(はらおび)()(なお)している(ひま)に、高綱(たかつな)一番乗(いちばんの)りを()たしました。(かげ)(すえ)高綱(たかつな)手前(てまえ)には、水泳(すいえい)達人(たつじん)太子(おおごの)小橋(こきょう)()(えが)かれています。

(ゆう)(かい)(さん)(じゅう)(ろっ)合戦(かせん) ()梶原景季(かじわらかげすえ) 畠山重忠(はたけやましげただ) 佐々木高綱(ささきたかつな) 太子(おおごの)小橋(こきょう)())」

富士講(ふじこう)による富士(ふじ)(もうで)は、お伊勢参(いせまい)りや金比羅(こんぴら)(まい)りとともに「三大(さんだい)(まい)り」として江戸町(えどちょう)(みん)(した)しまれ、「江戸(えど)八百(はっぴゃく)八町(やちょう)に、八百(はっぴゃく)八講(やこう)講中(こうじゅう)(はち)(まん)(にん)」とも()われるほど隆盛(りゅうせい)しました。
(とく)に、庚申(こうしん)(ねん)にあたる万延(まんえん)元年(がんねん)(1860)は60(ねん)(いち)()御縁(ごえん)(ねん)富士山(ふじさん)申年(さるどし)誕生(たんじょう)したとされる)にあたり、庚申(こうしん)(ねん)登山(とざん)をすれば(さん)(じゅう)(さん)(かい)(のぼ)ったのと(おな)じご利益(りやく)()られるとされました。また、女人禁制(にょにんきんせい)結界(けっかい)緩和(かんわ)されたため、(おお)くの女性(じょせい)(とう)(はい)しました。()(ちゅう)にも、群衆(ぐんしゅう)(なか)女性(じょせい)(えが)かれています。
()上部(じょうぶ)には「冨士山(ふじさん)略記(りゃっき)」が(しる)されています。

庚申(こうしん)(ねん)冨士山(ふじさん)参詣(さんけい)群衆(ぐんしゅう)()()

歌舞伎(かぶき)曽我(そが)対面(たいめん)』の大切(おおきり)浄瑠璃(じょうるり)(いお)木瓜(りに)(はな)(えほう)(のふく)(びき)』です。大切(おおきり)浄瑠璃(じょうるり)とは、公演(こうえん)最後(さいご)(おこな)われる所作事(しょさごと)()します。
本図(ほんず)は、三枚(さんまい)浮世絵(うきよえ)変則的(へんそくてき)(なら)び、洒落(しゃれ)()のある構成(こうせい)です。左側(ひだりがわ)工藤(くどう)左衛門(さえもん)(すけ)(つね)遊女(ゆうじょ)手越(てごし)少将(しょうしょう)黄瀬川(きせがわ)(こし)()ろし、奴凧(やっこだこ)(たいら)()げる小林(こばやし)朝比奈(あさひな)様子(ようす)(なが)めています。「曽我物語(そがものがたり)」は、正月(しょうがつ)上演(じょうえん)される慣習(かんしゅう)があり、(たこ)()げる様子(ようす)から、正月(しょうがつ)意識(いしき)したおめでたい場面(ばめん)となっています。
外題(げだい)()けられている「(いおりに)木瓜(もっこう)」とは、工藤(くどう)(すけ)(つね)(しめ)し、工藤氏(くどうし)先祖(せんぞ)は「平将門の乱(たいらのまさかどのらん)平定(へいてい)(さい)に、朝廷(ちょうてい)より恩賞(おんしょう)として「工藤(くどう)(せい)と「(いおりに)木瓜(もっこう)木工(もっこう))」家紋(かもん)()けていました。

小林(こばやし)朝比奈(あさひな) 工藤(くどう)左衛門(さえもん)(すけ)(つね) 手越(てごし)黄瀬川(きせがわ) 奴凧(やっこたこ)(へい))



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