Fujisawa Net Museum

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(あざ)やかな(あか)背景(はいけい)に「浜松屋(はままつや)」の一場面(いちばめん)(えが)かれます。「浜松屋(はままつや)」は弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)がもろ肌脱(はだぬ)ぎで名台詞(めいぜりふ)()べるのが見所(みどころ)場面(ばめん)です。
浜松屋(はままつや)」のあらすじは、呉服屋(ごふくや)浜松屋(はままつや)良家(りょうけ)令嬢(れいじょう)(あらわ)婚礼(こんれい)衣装(いしょう)()いに()ますが、万引(まんび)きしたとして(みせ)(もの)()(あらそ)いになります。しかし、その令嬢(れいじょう)(じつ)弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)で、(つみ)()せられたとして(みせ)から(かね)をゆすり()ろうとします。そこに日本駄右衛門(にっぽんだえもん)善人(ぜんにん)のふりをして(あらわ)れ、弁天小僧(べんてんこぞう)正体(しょうたい)(あば)きます。バレては仕方(しかた)ないと、弁天小僧(べんてんこぞう)着物(きもの)()ぎ、「()らざぁいって()かせやしょう」台詞(せりふ)へと(つな)がります。

題名(だいめい)不詳(ふしょう)(『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』より白浪(しらなみ)()(にん)(おとこ)

(かさ)()()(なら)んだ五人男(ごにんおとこ)(えが)かれます。本作(ほんさく)(えが)かれた場面(ばめん)では、一人一人(ひとりひとり)台詞(せりふ)にのせ、自分(じぶん)来歴(らいれき)(かた)るのが見所(みどころ)です。着物(きもの)(がら)については作品番号(さくひんばんごう)51と忠信利平(ただのぶりへい)南郷力丸(なんごうりきまる)(おな)じですが、(こと)なるものも()られます。日本左右衛門(にっぽんざえもん)方位磁石(ほういじしゃく)(つな)(えが)かれ、五人男(ごにんおとこ)首領(しゅりょう)として舵取(かじとり)(やく)であったことにちなみます。弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)(きく)(はな)と、()(しま)弁才天(べんさいてん)眷属(けんぞく)である(へび)(はい)されています。赤星(あかぼし)十三(じゅうざ)(さくら)(にわとり)で、(にわとり)()(がた)()げる(とり)であることから、()(ぼし)赤星(あかぼし))という関連(かんれん)()るものです。

題名(だいめい)不詳(ふしょう)(『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』より白浪(しらなみ)()(にん)(おとこ)

製作時期(せいさくじき):慶応元年(けいおうがんねん)(1865)。
板元(はんもと)(しるし)なし

藤沢(ふじさわ)にあった(あい)宿(しゅく)宿場(しゅくば)(かん)休憩所(きゅうけいじょ))である「四ツ谷(よつや)立場(たてば)」を(えが)いた作品(さくひん)です。題字(だいじ) に「追分道(おいわけみち)」とあるのは、この()東海道(とうかいどう)から大山道(おおやまみち)分岐(ぶんき)しているためです。
二代広重(にだいひろしげ)初代広重(しょだいひろしげ)長女(ちょうじょ)との結婚(けっこん)以前(いぜん)重宣(しげのぶ)時代(じだい)二代広重(にだいひろしげ)時代(じだい)離婚後(りこんご)横浜(よこはま)()んでからの立祥(りゅうしょう)時代(じだい)(慶応元年(けいおうがんねん)明治二年(めいじにねん))のそれぞれの画銘(がめい)(とき)数点(すうてん)東海道(とうかいどう)シリーズを(のこ)しており、藤沢宿(ふじさわしゅく)立場(たてば)四ツ谷(よつや)(えが)いたこのシリーズでは、(まった)(おな)図柄(ずがら)で、二代広重(にだいひろしげ)時代(じだい)のものと立祥(りゅうしょう)()(あらた)めてからのものとの二種(にしゅ)存在(そんざい)します。
追分道(おいわけみち)」とあるのは、この()東海道(とうかいどう)から大山道(おおやまみち)分岐(ぶんき)しているためです。
茶屋(ちゃや)のにぎわいが()()れましょう。左端(ひだりはし)の「大山(おおやま)みち」と()かれた、不動明王像(ふどうみょうおうぞう)(いただ)いた道標(みちしるべ)は、現在(げんざい)同地(どうち)()っています。

東海道五拾三駅 藤沢 追分道

東海道(とうかいどう)五拾(ごじゅう)(さん)(えき) 藤沢(ふじさわ) 追分(おいわけ)(みち)



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