ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワード:
『桂川(かつらがわ)連理(れんりの)柵(しがらみ)』 の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)のお半(はん)が描(えが)かれています。劇中(げきちゅう)で帯屋(おびや)長右衛門(ちょうえもん)は、親子(おやこ)ほど年(とし)の離(はな)れた隣家(りんか)の信濃屋(しなのや)のお半(はん)という娘(むすめ)と関係(かんけい)を持(も)ってしまい、お半(はん)は身籠(みごも)ってしまいます。長右衛門(ちょうえもん)は本妻(ほんさい)を愛(あい)しつつも、最後(さいご)にはお半(はん)と桂川(かつらがわ)で心中(しんじゅう)(ほとんどの場合(ばあい)恋人(こいびと)同士(どうし)や家族(かぞく)が同意(どうい)のうえで一緒(いっしょ)に自殺(じさつ)すること)します。 お半(はん)を演(えん)じるのは三代目(さんだいめ)岩井粂三郎(いわいくめさぶろう)です。 背景(はいけい)は歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の保永(ほえい)堂(どう)版(ばん)東海道(とうかいどう)が背景(はいけい)に引用(いんよう)されています。
「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 石部(いしべ) おはん」(三代目(さんだいめ)岩井粂三郎(いわいくめさぶろう))
『桂川(かつらがわ)連理(れんりの)柵(しがらみ)』 の主人公(しゅじんこう)長右衛門(ちょうえもん)が描(えが)かれています。劇中(げきちゅう)で帯屋(おびや)長右衛門(ちょうえもん)は、親子(おやこ)ほど年(とし)の離(はな)れた隣家(りんか)の信濃屋(しなのや)のお半(はん)という娘(むすめ)と関係(かんけい)を持(も)ってしまい、お半(はん)は身籠(みごも)ってしまいます。長右衛門(ちょうえもん)は本妻(ほんさい)を愛(あい)しつつも、最後(さいご)にはお半(はん)と桂川(かつらがわ)で心中(しんじゅう)(ほとんどの場合(ばあい)恋人(こいびと)同士(どうし)や家族(かぞく)が同意(どうい)のうえで一緒(いっしょ)に自殺(じさつ)すること)します。 長右衛門(ちょうえもん)の役者(やくしゃ)は五代目(ごだいめ)沢村(さわむら)長十郎(ちょうじゅうろう)です。 背景(はいけい)は歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の保永(ほえい)堂(どう)版(ばん)東海道(とうかいどう)が背景(はいけい)に引用(いんよう)されています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 水口(みなくち) 長右衛門(ちょうえもん)(五代目(ごだいめ)沢村(さわむら)長十郎(ちょうじゅうろう))
『勢州(せいしゅう)阿漕(あこぎ)浦(がうら)』の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)阿漕(あこぎ)平治(へいじ)が描(えが)かれています。演(えん)じているのは、四代目(よだいめ)市(いち)川小(かわこ)団次(だんじ)です。 背景(はいけい)は歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の保永(ほえい)堂(どう)版(ばん)東海道(とうかいどう)を引用(いんよう)しています。 阿漕(あこぎ)平治(へいじ)は、母(はは)の病気(びょうき)を治(なお)すために殺生禁断(せっしょうきんだん)である阿漕(あこぎ)浦(がうら)にて漁(りょう)を行(おこな)い、偶然(ぐうぜん)宝剣(ほうけん)を手(て)に入(はい)れます。それを目撃(もくげき)した次郎蔵(じろぞう)に脅(おど)されますが、実(じつ)は次郎蔵(じろぞう)が平治(へいじ)の家来(けらい)筋(すじ)(次郎蔵(じろぞう)の家(いえ)が代々(だいだい)平治(へいじ)の家(いえ)に仕(つか)えていた)であることが発覚(はっかく)します。最後(さいご)には次郎蔵(じろぞう)は平治(へいじ)の身代(みが)わりとなって禁漁(きんりょう)の罪(つみ)をかぶります。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 土山(つちやま) 阿漕(あこぎ)平治(へいじ)(四代目(よんだいめ)市(いち)川小(かわこ)団次(だんじ))
『勢州(せいしゅう)阿漕(あこぎ)浦(がうら)』の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)平瓦(ひらがわら)の次郎蔵(じろぞう)が描(えが)かれています。演(えん)じているのは三代(さんだい)目関(めせき)三十郎(さんじゅうろう)です。 背景(はいけい)は歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の保永(ほえい)堂(どう)版(ばん)東海道(とうかいどう)を引用(いんよう)しています。 阿漕(あこぎ)平治(へいじ)が、母(はは)の病気(びょうき)を治(なお)すために殺生禁断(せっしょうきんだん)である阿漕(あこぎ)浦(うら)にて漁(りょう)を行(おこな)い、偶然(ぐうぜん)宝剣(ほうけん)を手(て)に入(はい)れます。それを目撃(もくげき)した次郎蔵(じろぞう)は脅(おど)しますが、実(じつ)は次郎蔵(じろぞう)は平治(へいじ)の元(もと)は家来(けらい)であることが発覚(はっかく)します。最後(さいご)には次郎蔵(じろぞう)は平治(へいじ)の身代(みが)わりとなって禁漁(きんりょう)の罪(つみ)をかぶります。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 坂之下(さかのした) 次郎蔵(じろぞう)
本作品(ほんさくひん)の背景(はいけい)には、宮(みや)の熱田神宮(あつたじんぐう)での祭事(さいじ)の様子(ようす)が描(えが)かれていますが、これは広重(ひろしげ)の作品(さくひん)から絵柄(えがら)を写(うつ)したものとなっています。手前(てまえ)に描(えが)かれた人物(じんぶつ)は、八代目(はちだいめ)市川(いちかわ)団十郎(だんじゅうろう)演(えん)じる景清(かげきよ)で、景清(かげきよ)は平家(へいけ)に仕(つか)えた勇猛(ゆうもう)な武士(ぶし)でした。宮(みや)には景清(かげきよ)が隠(かく)れ住(す)んでいたという伝説(でんせつ)があり、景清(かげきよ)を奉(たてまつ)った社(しゃ)もあるため、見立(みたて)として描(えが)かれたと思(おも)われます。また鳴海(なるみ)の人(ひと)丸(まる)は、景清(かげきよ)の娘(むすめ)として歌舞伎(かぶき)や謡曲(ようきょく)に登場(とうじょう)します。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 宮(みや) 景清(かげきよ)(八代(はちだい)目(め)市川(いちかわ)団十郎(だんじゅうろう))
『本朝(ほんちょう)廿(にじゅう) 四孝(しこう)』では対立(たいりつ)する武田家(たけだけ)と長尾(ながお)家(け)に将軍(しょうぐん)暗殺(あんさつ)の疑(うたが)いがかかり、両家(りょうけ)は嫡子(ちゃくし)の首(くび)を差(さ)し出(だ)さなければなりません。三段目(さんだんめ)で長尾(ながお)家(け)は嫡子(ちゃくし)の景勝(かげかつ)に似(に)ている軍師(ぐんし)山本勘助(やまもとかんすけ)の息子(むすこ)の横蔵(よこぞう)を身代(みが)わりにするため家来(けらい)にしようとします。横蔵(よこぞう)の老母(ろうぼ)は景勝(かげかつ)の家来(けらい)になるようにいいますが、実(じつ)はすでに武田(たけだ)方(かた)に仕(つか)えているため身代(みが)わりになれないと横蔵(よこぞう)は明(あ)かします。そして、三段目(さんだんめ)の終(お)わりに横蔵(よこぞう)は亡父(ぼうふ)の名(めい)山本勘助(やまもとかんすけ)を継(つ)ぎます。本図(ほんず)では四代目(よんだいめ)三枡大五郎(みますだいごろう)が演(えん)じる山本勘助(やまもとかんすけ)を描(えが)いています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 御油(ごゆ) 山本勘助(やまもとかんすけ)(四代目(よんだいめ)三桝(みます)大五郎(だいごろう))
本作品(ほんさくひん)の背景(はいけい)には、江戸(えど)湾(わん)に面(めん)する神奈川(かながわ)宿(しゅく)の風景(ふうけい)が、手前(てまえ)には五代目(ごだいめ)市川海老蔵(いちかわえびぞう)(七代目(ななだいめ)市川(いちかわ)団十郎(だんじゅうろう))演(えん)じる渡守(わたしもり)頓(とん)兵衛(べえ)が描(えが)かれています。頓(とん)兵衛(べえ)は、由良(ゆら)兵庫(ひょうご)、おふねと同様(どうよう)に歌舞伎(かぶき)『神霊(しんれい)矢口渡(やぐちのわたし)』の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)です。頓(とん)兵衛(べえ)とおふねは親娘(おやこ)の関係(かんけい)ですが、褒美(ほうび)のために新田(にった)義峰(よしみね)を捕(と)らえようとする強欲(ごうよく)な父(ちち)・「頓(とん)兵衛(べえ)と、自分(じぶん)の命(いのち)を犠牲(ぎせい)にして、好(す)きになった新田(にった)義峰(よしみね)を救(すく)おうとするおふねは、対照的(たいしょうてき)な二人(ふたり)として描(えが)かれます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 神奈川(かながわ)駅(えき) 渡守(わたしもり)頓(とん)兵衛(べえ)
鳴海(なるみ)(No.22)の背景(はいけい)には鳴海(なるみ)の名物(めいぶつ)有松絞(ありまつしぼり)を販売(はんばい)する店(みせ)を、宮(みや)(No.23)の背景(はいけい)には、熱田神宮(あつたじんぐう)での祭事(さいじ)の様子(ようす)が描(えが)かれていますが、これは歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の保永(ほえい)堂(どう)版(ばん)東海道(とうかいどう)を引用(いんよう)しています。No.23の手前(てまえ)に描(えが)かれた人物(じんぶつ)は、八代目(はちだいめ)市川(いちかわ)団十郎(だんじゅうろう)演(えん)じる景清(かげきよ)で、景清(かげきよ)は平家(へいけ)に仕(つか)えた勇猛(ゆうもう)な武士(ぶし)でした。宮(みや)には景清(かげきよ)が隠(かく)れ住(す)んでいたという伝説(でんせつ)があり、景清(かげきよ)を奉(たてまつ)った社(しゃ)もあるため、見立(みたて)として描(えが)かれたと思(おも)われます。No.22の人(ひと)丸(まる)は、景清(かげきよ)の娘(むすめ)として歌舞伎(かぶき)や謡曲(ようきょく)に登場(とうじょう)します。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 鳴海(なるみ) 人丸(ひとまる)