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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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本作(ほんさく)は、舟遊(ふなあそ)びしている女性(じょせい)たちを七福神(しちふくじん)に見立(みた)てた絵(え)(古典的(こてんてき)主題(しゅだい)を江戸時代(えどじだい)当時(とうじ)の風俗(ふうぞく)に置(お)き換(か)えて描(えが)かれた絵(え)・見立絵(みたてえ))です。 画面(がめん)の人物(じんぶつ)は九(きゅう)人(にん)ですが、2人(ふたり)の子(こ)どもを除(のぞ)いた七(なな)人(にん)の美人(びじん)と若者(わかもの)が、それぞれ七福神(しちふくじん)に当(あ)てはめられ、様々(さまざま)な縁起物(えんぎもの)と共(とも)に描(えが)かれています。 落款(らっかん)(絵師(えし)のサイン)を見(み)ると「歌麿(うたまろ)書初(かきぞめ)」とあり、新春(しんしゅん)に向(む)けて描(えが)かれた、おめでたい絵(え)であることが伝(つた)わってきます。
(題名(だいめい)不詳(ふしょう))見立(みたて)七福神(しちふくじん)舟遊(ふなあそ)び
狂歌(きょうか):送(おく)り来(く)る 旅(たび)の別(わかれ)も 親(おや)舟(ふね)を 見(み)かへりながら 過(すぎ)る品川(しながわ)(花前亭友頼) 手前(てまえ)に品川宿(しながわしゅく)を俯瞰的(ふかんてき)に描(えが)き、その右(みぎ)奥(おく)に漁師町(りょうしまち)と品川(しながわ)沖(おき)が広(ひろ)がっています。宿場(しゅくば)に描(えが)かれる人々(ひとびと)は旅人(たびびと)だけでなく、膳(ぜん)を運(はこ)ぶ人(ひと)や棒手振(ぼてふ)り(行商人(ぎょうしょうにん))、または客(きゃく)を運(はこ)ぶ駕籠(かご)かきなどが忙(せわ)しなく行(い)き交(か)っています。中(ちゅう)景(けい)の左(ひだり)には帆(ほ)をたたみ停泊(ていはく)する廻船(かいせん)が見(み)え、賑(にぎ)やかな宿場(しゅくば)と対照(たいしょう)に穏(おだ)やかな海(うみ)が描(えが)かれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 品川(しながわ)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):春霞(はるがすみ) ともに立(たち)出(で)て めをとばし わたりつるみの 心(こころ)のとけし(春園静枝) 六郷(ろくごう)川(がわ)を西側(にしがわ)(川崎(かわさき)側(がわ))の岸(きし)から見(み)た景色(けしき)です。六郷川(ろくごうがわ)を行(い)き交(か)う渡(わた)し舟(ぶね)には、多(おお)くの人(ひと)が乗(の)る様子(ようす)が見(み)え、川崎宿(かわさきしゅく)あたりの交通量(こうつうりょう)の多(おお)さがうかがえます。画面(がめん)左下(ひだりした)にみえる簡素(かんそ)な小屋(こや)は川(かわ)会所(かいしょ)で、川(かわ)を渡(わた)る人々(ひとびと)はここで料金(りょうきん)を払(はら)っていました。川岸(かわぎし)で舟(ふね)を待(ま)つ親子(おやこ)や、話(はな)し込(こ)むような女性(じょせい)の姿(すがた)など、街道(かいどう)をゆく人々(ひとびと)の情景(じょうけい)も描(えが)かれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 川崎(かわさき)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):双六(すごろく)の 旅(たび)もいろはの かな川(がわ)に あがるもたのし 春雨(はるさめ)の空(そら)(松本亭篶躬) 神奈川(かながわ)台(だい)のはずれにある簡素(かんそ)な茶屋(ちゃや)と、その後景(こうけい)に広(ひろ)がる神奈川(かながわ)沖(おき)が描(えが)かれています。神奈川(かながわ)沖(おき)の右(みぎ)奥(おく)に見(み)えるのは野毛(のげ)と本牧(ほんもく)です。海上(かいじょう)をすすむ帆船(はんせん)は遠(とお)くなるにつれて小(ちい)さく描(えが)かれ、画面(がめん)奥(おく)へと続(つづ)く広大(こうだい)な海(うみ)が表現(ひょうげん)されています。神奈川(かながわ)台(だい)の高台(たかだい)から海(うみ)を見渡(みわた)す風景(ふうけい)が評判(ひょうばん)となり、神奈川(かながわ)台(だい)には多(おお)くの茶屋(ちゃや)が軒(のき)を連(つら)ね賑(にぎ)わっていましたが、この画(が)ではその喧騒(けんそう)から離(はな)れてのどかな風景(ふうけい)が描(えが)かれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 神奈川(かながわ)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):諺(ことわざ)の まはるもはやき 双六(すごろく)や いそげばいそぐ 程(ほど)がやのえき(遊鶴亭千代子) 境木(さかいぎ)の立場(たてば)の情景(じょうけい)が描(えが)かれています。立場(たてば)の茶屋(ちゃや)からの景色(けしき)を楽(たの)しむ客(きゃく)や、店(みせ)の外(そと)で駕籠(かご)に乗(の)ったまま注文(ちゅうもん)する客(きゃく)、茶屋(ちゃや)のすぐ前(まえ)の街道(かいどう)を行(い)き交(か)う人々(ひとびと)などが描(えが)かれ、立場(たてば)の賑(にぎ)わいが伝(つた)わってきます。生(お)い茂(しげ)る松(まつ)の木(き)や色(いろ)味(み)を抑(おさ)えた背景(はいけい)に、色彩(しきさい)豊(ゆた)かな茶屋(ちゃや)の風景(ふうけい)が映(は)える作品(さくひん)です。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 保土ヶ谷(ほどがや) 境木(さかいぎ)立場(たてば)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):大磯(おおいそ)へ いそぐえき路(じ)の すゞ(ず)のねに いさむ馬入(ばにゅう)の 渡(わた)し船(ぶね)かな(芦原満邦) 馬入(ばにゅう)川(がわ)の渡(わた)し場(ば)が描(えが)かれています。画面(がめん)左(ひだり)奥(おく)の川岸(かわぎし)には平塚宿(ひらつかしゅく)の建物(たてもの)が連(つら)なっています。中(ちゅう)景(けい)には馬入川(ばにゅうがわ)の上流(じょうりゅう)へとすすむ帆船(はんせん)が見(み)え、さらに後景(こうけい)には雪(ゆき)を被(かぶ)った富士山(ふじさん)と、その右(みぎ)隣(となり)に大山(おおやま)が描(えが)かれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 平塚(ひらつか) 馬入(ばにゅう)川渡(がわわたし)舟(ふね)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):うかれ女(おんな)の 真心(まごころ)よりそ うそぶける とらといふ名(な)は いしに残(のこ)れり(富有亭満成) 大磯宿(おおいそしゅく)の街道(かいどう)とその奥(おく)に広(ひろ)がる相模湾(さがみわん)が俯瞰的(ふかんてき)に描(えが)かれています。遠景(えんけい)の海岸線(かいがんせん)上(じょう)に小(ちい)さく描(えが)かれた白(しろ)い帆(ほ)によって、画面(がめん)奥(おく)にみえる伊豆(いず)半島(はんとう)との距離感(きょりかん)が表現(ひょうげん)されています。大磯(おおいそ)には有名(ゆうめい)な仇討(あだうち)ち物(もの)語(がたり)である「曽我(そが)物語(ものがたり)」の登場人物(とうじょうじんぶつ)・大磯(おおいそ)の虎(とら)に縁(ゆかり)のある虎(とら)御石(ごいし)があり、江戸時代(えどじだい)から街道(かいどう)の名物(めいぶつ)となっていました。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 大磯(おおいそ)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):小田原(おだわら)の 沖(おき)の船(ふね)より 見(み)えつらん 霞(かすみ)の海(うみ)の 城(しろ)の鯱(しゃち)(繁の門雛昌) 小田原(おだわら)の海沿(うみぞ)いの街道(かいどう)の風景(ふうけい)です。画面(がめん)奥(おく)の海岸(かいがん)では漁師(りょうし)たちが地引網(じびきあみ)を引(ひ)いています。街道(かいどう)をゆく旅人(たびびと)の合羽(かっぱ)が風(かぜ)になびく様子(ようす)からは海風(うみかぜ)を感(かん)じさせます。遠景(えんけい)の水平線(すいへいせん)上(じょう)にみえる白(しろ)い帆(ほ)により海(うみ)が遥(はる)か遠(とお)くまで続(つづ)く描写(びょうしゃ)がなされ、画面(がめん)手前(てまえ)に大(おお)きな松(まつ)が描(えが)かれても圧迫(あっぱく)感(かん)を感(かん)じさせず、開放(かいほう)感(かん)のある作品(さくひん)となっています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 小田原(おだわら)(狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう))