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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)の台本(だいほん)である【浄瑠璃本(じょうるりぼん)】。 「鎌倉三代記(かまくらさんだいき)」とは、人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)および歌舞伎(かぶき)の演目(えんもく)のひとつ。全十段(ぜんじゅうだん)(もとは全九段(ぜんくだん))。明和(めいわ)7年(ねん)(1770年(ねん))5月(がつ)に大坂(おおさか)で初演(しょえん)されましたが、この時(とき)は「鎌倉三代記(かまくらさんだいき)」という外題(げだい)ではありませんでした。作者(さくしゃ)については不明(ふめい)ですが、近松半二(ちかまつはんじ)(近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の弟子(でし))その他(た)と推定(すいてい)されています。この本(ほん)は安永(あんえい)10年(ねん)の豊竹座(とよたけざ)(大坂道頓堀(おおさかどうとんぼり))の興業(こうぎょう)に使(つか)われたものです。
源頼家(みなもとのよりいえ) 源実朝(みなもとのさねとも) 鎌倉三代記(かまくらさんだいき) 十段(じゅうだん)続(つづき)
製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)1414年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。 板元(はんもと):海老屋林之助(えびやりんのすけ) 詞書(ことばがき)には『曽我(そが)兄弟(きょうだい)の仇討(あだう)ち』の兄(あに)、曽我(そが)十郎(じゅうろう)祐成(すけなり)と、恋仲(こいなか)であった大磯(おおいそ)の遊女(ゆうじょ)虎御前(とらごぜん)との関係(かんけい)について書(か)かれています。 虎御前(とらごぜん)は仇討(あだう)ちの際(さい)に亡(な)くなった十郎(じゅうろう)の供養(くよう)を行(おこな)うため19歳(さい)で出家(しゅっけ)し、その後(ご)諸国(しょこく)を巡(めぐ)ったのち、71歳(さい)の時(とき)に熊野(くまの)(日本(にっぽん)の聖地(せいち)のひとつ)で亡(な)くなったと伝(つた)えられています。 絵(え)には柳(やなぎ)の木(こ)の下(した)で待(ま)っていた十郎(じゅうろう)に、虎御前(とらごぜん)が後(うし)ろから声(こえ)を掛(か)けている様子(ようす)が描(えが)かれています。 本作(ほんさく)は東海道(とうかいどう)もの浮世絵(うきよえ)の一(ひと)つですが、宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)を描(えが)いたものではなく、各(かく)東海道(とうかいどう)の宿場(しゅくば)に伝(つた)わる説話(せつわ)や、歌舞伎(かぶき)・浄瑠璃(じょうるり)(江戸時代(えどじだい)より流行(りゅうこう)した人形劇(にんぎょうげき))を元(もと)にした内容(ないよう)が上部(じょうぶ)の詞書(ことばがき)に書(か)かれ、それに関連(かんれん)した絵図(えず)が下部(かぶ)に描(えが)かれた作品(さくひん)となっています。広重(ひろしげ)、国芳(くによし)、国貞(くにさだ)(三代(さんだい)豊国(とよくに))という当時(とうじ)の歌川派(うたがわは)の人気(にんき)絵師(えし)3人(にん)による共筆(きょうひつ)の揃(そろい)物(ぶつ)(シリーズもの)である点(てん)が珍(めずら)しく、版元(はんもと)も6人(にん)からの共同出版(きょうどうしゅっぱん)となっています。 (本展(ほんてん)では広重(ひろしげ)と国芳(くによし)の作品(さくひん)を出品(しゅっぴん)) このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。 風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(さんぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(さんぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。
東海道(とうかいどう)五(ご)十(じゅう)三(さん)対(つい) 大磯(おおいそ)
製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。 板元(はんもと):伊勢屋市兵衛(いせやいちべえ) 落雷(らくらい)や荒(あ)れる波(なみ)の表現(ひょうげん)がダイナミックに描(えが)かれた本作(もとさく)には、平塚(ひらつか)にある「馬入川(ばにゅうがわ)」の名(な)の由来(ゆらい)に関(かか)わる伝説(でんせつ)が記(しる)されています。 詞書(ことばがき)を読(よ)むと「建久(けんきゅう)9年(ねん)(1198)の12月(がつ)、稲毛(いなげ)三郎(さぶろう)が相模川(さがみがわ)に(亡(な)き妻(つま)のために作(つく)った橋(はし)の)橋供養(はしくよう)(橋(はし)が完成(かんせい)した時(とき)におこなう儀式(ぎしき))を行(おこな)った。 源頼朝(みなもとのよりとも)もそれに参列(さんれつ)したが、その際(さい)の落雷(らくらい)により乗(の)っていた馬(うま) が川(かわ)へ入(はい)り死(し)んでしまった。これにより馬入川(ばにゅうがわ)と呼(よ)ばれるようになった。」という内容(ないよう)になっています。 このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(さんにん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。
東海道(とうかいどう)五(ご)十(じゅう)三(さん)対(つい) 平塚(ひらつか)
護物(ごぶつ)(田喜庵(たきあん))編(へん) 渓斎英泉(けいさいえいせん)画(え) 諸国(しょこく)の名所(めいしょ)の絵図(えず)に当代諸家(とうだいしょか)(その時代(じだい)の俳諧(はいかい)グループに属(ぞく)している著名(ちょめい)な人(ひと)たち)の発句(ほっく)を配(はい)した【絵俳書(えはいしょ)】。 所収(しょしゅう)の名所(めいしょ)は、山城国嵐山(やましろのくにあらしやま)・摂津国桜の宮(せっつのくにさくらのみや)・武蔵国隅田川(むさしのくにすみだがわ)など21か所(しょ)で、相模国(さがみのくに)は江之島(えのしま)が描(えが)かれています。多(おお)くは無名(むめい)の俳人(はいじん)の句(く)ですが、久米逸淵(くめいつえん)・桜井梅室(さくらいばいしつ)など有名俳人(ゆうめいはいじん)の名(な)も見(み)えます。巻頭(かんとう)に男女(だんじょ)の集(つど)う俳諧会席(はいかいかいせき)を描(えが)いた「俳諧式会定の図(はいかいしきかいていのず)」が挿入(そうにゅう)されています。
名所(めいしょ)発(ほっ)句集(くしゅう)(名所(めいしょ)発句(ほっく)入(いり)諸国(しょこく)真景(しんけい))初(しょ)編(へん)
全(ぜん)48編(へん)に及(およ)ぶ長編(ちょうへん)【草双紙(くさぞうし)】。 安政(あんせい)2年(ねん)(1855)に刊行(かんこう)が開始(かいし)され明治(めいじ)16年(ねん)(1883)終刊(しゅうかん)。作者(さくしゃ)は45編(へん)からが種清(たねきよ)。絵師(えし)は、42-44編(へん)が二代国貞(にだいくにさだ)、45編(へん)が国明(くにあき)、46編(へん)以降(いこう)が吟光(ぎんこう)。 加賀騒動(かがそうどう)(加賀藩(かがはん)の相続騒動(そうぞくそうどう))に想(そう)をとり、悪美少年(あくびしょうねん)の妖術(ようじゅつ)使(つか)い由縁之丞(ゆかりのじょう)を中心(ちゅうしん)に艶情(えんじょう)と妖気(ようき)が入(い)り混(ま)じって展開(てんかい)する長編伝奇小説(ちょうへんでんきしょうせつ)です。歌舞伎(かぶき)では、明治(めいじ)9年(ねん)大阪中座(おおさかなかざ)、同(どう)14年(ねん)東京春木座(とうきょうはるきざ)で上演(じょうえん)されています。
北(ほく)雪(せつ)美談(びだん) 時代(じだい)加々見(かがみ)
製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。 板元(はんもと):海老屋林之助(えびやりんのすけ) 「川崎(かわさき)」で描(えが)かれた新田義興(にったよしおき)の最期(さいご)(訃報(ふほう))を、家臣(かしん)の篠塚(しのづか)八郎(はちろう)が故郷(こきょう)の城(しろ)で同(おな)じく義興(よしおき)の家臣(かしん)たちに告(つ)げています。画面(がめん)手前(てまえ)の八郎(はちろう)の所作(しょさ)が大胆(だいたん)に描(えが)かれており、人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)の人形(にんぎょう)の動(うご)きに見立(みた)てた表現(ひょうげん)となっています。 このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。
東海道(とうかいどう)五(ご)十(じゅう)三(さん)対(つい) 保土ヶ谷(ほどがや)
製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。 板元(はんもと):遠州屋又兵衛(えんしゅうやまたべえ) 画面(がめん)手前(てまえ)に海老(えび)を釣(つ)る女性(じょせい)が大(おお)きく描(えが)かれ、美人画(びじんが)のようでありますが、女性(じょせい)の着物(きもの)の柄(え)や櫛(くし)、手拭(てぬぐ)いの柄(え)には亀(かめ)があしらわれており、神奈川(かながわ)にゆかりのある浦島太郎(うらしまたろう)伝説(でんせつ)を示(しめ)しています。 このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。
東海道(とうかいどう)五(ご)十(じゅう)三(さん)対(つい) 神奈川(かながわ) 浦島(うらしま)の塚(つか)
柳亭種彦(りゅうていたねひこ)の未完(みかん)の長編(ちょうへん)【草双紙(くさぞうし)】。 挿絵(さしえ)は歌川国貞(うたがわくにさだ)。文政(ぶんせい)12年(ねん)(1829年(ねん)) - 天保(てんぽう)13年(ねん)(1842年(ねん))刊(かん)。大当(おおあ)たりし、14年(ねん)に渡(わた)って執筆(しっぴつ)し種彦(たねひこ)の代表作(だいひょうさく)となりましたが、作者(さくしゃ)の筆禍(ひっか)(当時(とうじ)の政治(せいじ)に対(たい)しての不満(ふまん)等(とう)を記(しる)し罰(ばっ)せられる意味(いみ))と死去(しきょ)により、第(だい)38編(へん)(152冊(さつ))までに終(お)わっています。紫式部(むらさきしきぶ)の『源氏物語(げんじものがたり)』を下敷(したじ)きにし、時代(じだい)を平安時代(へいあんじだい)から室町時代(むろまちじだい)へ移(うつ)して、将軍(しょうぐん)足利義政(あしかがよしまさ)の妾腹(しょうふく)の子(こ)・光氏(みつうじ)が、将軍位(しょうぐんい)を狙(ねら)う山名宗全(やまなそうぜん)を抑(おさ)えるため、光源氏(ひかるげんじ)的(てき)な好色遍歴(こうしょくへんれき)を装(よそお)いながら、宗全一味(そうぜんいちみ)をはかりごとで滅(ほろ)ぼした後(のち)、京都(きょうと)に戻(もど)り、将軍後見役(しょうぐんこうけんやく)となって栄華(えいが)を極(きわ)める、という内容(ないよう)です。
偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)