ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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狂歌(きょうか):此(この)ゆふべ 櫛(くし)やけつらむ 妹(いも)が髪(かみ) あけ油(あぶら)てふ 宿(やど)につく夜(よる)は(真米垣児春) 画面(がめん)右(みぎ)に宿場(しゅくば)の出入口(でいりぐち)を示(しめ)す牓(ぼう)示(じ)杭(くい)がみえることから、宿場(しゅくば)のはずれの景色(けしき)であるとうかがえます。橋(はし)を渡(わた)る人足(にんそく)が持(も)つ長持(ながもち)には、御幣(ごへい)や傘(かさ)などがつけられており、祝い事(いわいごと)の荷物(にもつ)を運(はこ)んでいるものと思(おも)われます。 このシリーズは図柄(ずがら)の中(なか)に狂歌(きょうか)が1首(しゅ)ずつ折(お)り込(こ)まれているために俗(ぞく)に「狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう)」と呼(よ)ばれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 御油(ごゆ)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):双六(すごろく)と ともにふり出(だ)す 髭(ひげ)奴(やっこ) 名(な)を赤坂(あかさか)の 宿(やど)にとゝ゛めて(鳴門静丸) 月夜(つきよ)に照(て)らされた赤坂宿(あかさかしゅく)と街道(かいどう)が描(えが)かれています。画面(がめん)上部(じょうぶ)のぼかしの中(なか)に浮(う)かぶ月(つき)は、「府中(ふちゅう)」の場面(ばめん)と共通(きょうつう)するものがあります。 このシリーズは図柄(ずがら)の中(なか)に狂歌(きょうか)が1首(しゅ)ずつ折(お)り込(こ)まれているために俗(ぞく)に「狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう)」と呼(よ)ばれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 赤坂(あかさか)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):行過(ゆきすぎ)る 旅人(たびびと)とめて 宿引(やどひき)の 袖(そで)にまつはる ふち川(がわ)の駅(えき)(常盤園繁躬) 藤川宿(ふじかわしゅく)の東(ひがし)のはずれにある山中村(やまなかむら)の風景(ふうけい)を描(えが)いています。画面(がめん)手前(てまえ)の馬(うま)に乗(の)った旅人(たびびと)がいる辺(あた)りで空間(くうかん)を区切(くぎ)ることにより、高い位置(たかいいち)から低(ひく)い位置(いち)へとつながる山道(やまみち)の傾斜(けいしゃ)を表現(ひょうげん)しています。 このシリーズは図柄(ずがら)の中(なか)に狂歌(きょうか)が1首(しゅ)ずつ折(お)り込(こ)まれているために俗(ぞく)に「狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう)」と呼(よ)ばれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 藤川(ふじかわ)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):宿(やど)毎(ごと)に 夕(ゆう)化粧(げしょう)して 客(きゃく)を待(ま)つ こころもせはし ぢょゝのぢょん女郎(じょろう)(千歳松彦) 矢作川(やはぎがわ)に架(か)かる矢作橋(やはぎばし)は東海道(とうかいどう)一(いち)の長(なが)さを誇(ほこ)る橋(はし)でした。橋(はし)の上(うえ)には、槍持(やりもち)を従(したが)えた武士(ぶし)の一行(いっこう)の姿(すがた)が見(み)えます。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 岡崎(おかざき) 矢(や)はぎのはし(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):た(誰(た))がぬ(縫(ぬ))ひし 梅(うめ)の笠寺(かさでら) 春(はる)さめに 旅(たび)うぐいすの 着(き)てや行(ゆく)らん(果報坊寝待) 名産(めいさん)の有松(ありまつ)絞(しぼ)りは、鳴海宿(なるみしゅく)の東(ひがし)にあった有松(ありまつ)村(むら)でつくられ、街道(かいどう)沿(ぞ)いの店(みせ)で売(う)られていました。店先(みせさき)には、色(いろ)とりどりの着物(きもの)が掛(か)けられ、旅人(たびびと)の足(あし)をひきとめています。画面(がめん)右(みぎ)手前(てまえ)の小高(こだか)い丘(おか)が、遠近法(えんきんほう)を用(もち)いて描(えが)かれた街並(まちな)みを遮(さえぎ)るように配(はい)されており、画面(がめん)に奥行(おくゆ)きが表現(ひょうげん)されています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 鳴海(なるみ) (狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):わたつみを 守(まも)れる神(かみ)の みやの船(ふね) なみち(波路(なみじ))ゆたかに こぎかへるみゆ(松の屋満俊) 熱田(あつた)湊(みなと)の船渡(ふなわたし)場(ば)が描(えが)かれています。画面(がめん)右(みぎ)手前(てまえ)には熱田神宮(あつたじんぐう)の浜(はま)の鳥居(とりい)、後景(こうけい)には伊勢湾(いせわん)が広(ひろ)がっています。宮宿(みやじゅく)から桑名宿(くわなしゅく)までは東海道(とうかいどう)唯一(ゆいいつ)の航路(こうろ)で、「七里(しちり)の渡(わたし)し」と言(い)われていました。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 宮(みや)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):乗(の)り合(あい)の ちいか雀(すずめ)の はなしには やき蛤(はまぐり)も 舌(した)をかくせり(楳の門鬼丸) 桑名宿(くわなしゅく)の西(にし)にある富田(とみた)の立場(たてば)が描(えが)かれています。街道(かいどう)沿(ぞ)いには名物(めいぶつ)の焼(や)き蛤(はまぐり)の店(みせ)が並(なら)び、店先(みせさき)では店(みせ)の女性(じょせい)が蛤(はまぐり)を焼(や)いています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 桑名(くわな) 富田(とみたの)立場(たてば)之(の)図(ず)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):石薬師(いしやくし) 瓦(かわら)と黄金(こがね) まく人(ひと)は 瑠璃(るり)の玉(たま)とも 光(ひか)る旅宿(たびやど)(友垣真連) 問屋場(といやば)での人馬(じんば)継(つぎ)立(たて)(荷駄(にだ)の引継(ひきつ)ぎ)の場面(ばめん)を描(えが)いています。各(かく)宿場(しゅくば)には問屋場(とんやば)が設(もう)けられ、人(ひと)や荷物(にもつ)や書状(しょじょう)を送(おく)り継(つ)ぐために、人足(にんそく)や駄(だ)馬(ば)を差配(さはい)していました。画(が)中(ちゅう)でも、駄馬(だば)に荷(に)を積(つ)みなおしたり、出立(しゅったつ)の準備(じゅんび)が整(ととの)ったであろう人足(にんそく)、荷(に)の引継(ひきつ)ぎを終(お)えて一息(ひといき)つく人足(にんそく)などの姿(すがた)が描(えが)かれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 石薬師(いしやくし) 問屋場(とんやば)ノ図(ず)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))