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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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曽我(そが)兄弟(きょうだい)の仇討(あだう)ちを題材(だいざい)とした「曽(そ)我物(がもの)」の歌舞伎(かぶき)演目(えんもく)に登場(とうじょう)する男伊達(おとこだて)の梅沢(うめざわ)小五郎(こごろ)兵衛(べえ)を描(えが)いています。扮(ふん)する役者(やくしゃ)は出版(しゅっぱん)時(じ)にはすでに故人(こじん)であった四代目(よだいめ)中村歌右衛門(なかむらうたえもん)です。 背景(はいけい)には大磯(おおいそ)宿(しゅく)と小田原(おだわら)宿(しゅく)の途(と)中(ちゅう)にあった間(あい)の宿(しゅく)の梅沢(うめざわ)(現在(げんざい)の神奈川県(かながわけん)二宮町(にのみやまち))です。当時(とうじ)は茶屋(ちゃや)が並(なら)ぶ休憩所(きゅうけいしょ)として繁栄(はんえい)していたそうです。
東海道(とうかいどう) 大磯(おおいそ) 小田原(おだわら)間(かん) 梅澤(うめさわ) 小吾郎(こごろ)兵衛(べえ)
描(えが)かれた役者(やくしゃ)は中村(なかむら)翫(かん)太郎(たろう)で、役(やく)はNo. 5のおこまと同(おな)じ嘉永(かえい)4年(ねん)(1851)『世界(せかいの)花(ばな)小栗(おぐり)外伝(がいでん)』の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)、有(あり)原屋(わらや)業平(なりひら)です。稀代(きたい)の美男子(びだんし)「在原業平(ありわらのなりひら)」になぞらえた名前(なまえ)になっていますが、こちらは“自称(じしょう)”美男子(びだんし)で、劇中(げきちゅう)に登場(とうじょう)する万屋(よろずや)という宿屋(やどや)の娘(むすめ)、お駒(こま)に恋慕(れんぼ)する道化(どうけ)役(やく)です。背景(はいけい)には茶屋(ちゃや)で一休(ひとやす)みしようとしている旅人(たびびと)など、平塚(ひらつか)ののどかな風景(ふうけい)が描(えが)かれております。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 平塚(ひらつか) 有(あり)原屋(わらや)業平(なりひら)
鬼王(おにおう)は、曽我(そが)兄弟(きょうだい)の仇討(あだう)ち物語(ものがたり)「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」に登場(とうじょう)する曽我(そが)兄弟(きょうだい)の忠臣(ちゅうしん)です。似顔(にがお)で描(えが)かれている二代(にだい)目関(めせき)三十郎(さんじゅうろう)は、刊行(かんこう)時(じ)には既(すで)に故人(こじん)であり、往年(おうねん)の名優(めいゆう)を描(えが)いた作品(さくひん)となっています。背景(はいけい)には曽我(そが)十郎(じゅうろう)の恋人(こいびと)・虎(とら)に縁(えん)のある化粧坂(けわいざか)が描(えが)かれています。また、画面(がめん)右上(みぎうえ)には険(けわ)しい山(やま)が見(み)えますが、実際(じっさい)の高麗山(こまやま)はなだらかな低(てい)山(ざん)でした。
東海道(とうかいどう) 平塚(ひらつか)大磯(おおいそ)間(かん) 化粧坂(けわいざか) 鬼王(おにおう)(二代目(にだいめ)関(せき)三十郎(さんじゅうろう))
『菅原(すがわら)伝授(でんじゅ)手習(てならい)鑑(かがみ)』において、菅丞相(かんしょうじょう)とは菅原道真(すがわらのみちざね)のことです。菅丞相(かんしょうじょう)は大変(たいへん)聡明(そうめい)で周囲(しゅうい)から尊敬(そんけい)されていましたが、菅丞相(かんしょうじょう)の養女(ようじょ)・苅屋(かりや)姫(ひめ)と帝(みかど)の弟(おとうと)・斎(さい)世(せい)親王(しんのう)が逢引(あいびき)していたことを利用(りよう)され、藤原時平(ふじわらのときひら)によって失脚(しっきゃく)させられます。ほかにも、演目(えんもく)中(ちゅう)には流罪(るざい)が決(き)まる前夜(ぜんや)に菅丞相(かんしょうじょう)が殺(ころ)されかけた時(とき)には、自(みずか)ら彫(ほ)った木像(もくぞう)が身替(みがわ)りとなり助(たす)かった話(はなし)など、モデルである菅原道真(すがわらのみちざね)に関(かん)する逸話(いつわ)が盛(も)り込(こ)まれています。 似顔(にがお)で描(えが)かれた役者(やくしゃ)は、余生(よせい)を京(きょう)から江戸(えど)へ移(うつ)り書(しょ)や茶道(さどう)を嗜(たしな)んだ三代目(さんだいめ)坂東彦三郎(ばんどうひこさぶろう)で、背景(はいけい)には京(きょう)と大津(おおつ)宿(しゅく)のあいだである大谷(おおたに)村(むら)が描(えが)かれています。 これは『役者見立東海道五十三駅(やくしゃみたてとうかいどうごじゅうさんつぎ)』というシリーズです。このシリーズは、全部(ぜんぶ)で一四〇点(ひゃくよんじゅってん)確認(かくにん)されています。作者(さくしゃ)は三代豊国(さんだいとよくに)、とても人気(にんき)の高(たか)かった絵師(えし)です。背景(はいけい)には宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)が描(えが)かれており、手前(てまえ)の人物(じんぶつ)は、宿場(しゅくば)と関(かか)わりのある歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)です。また人物(じんぶつ)は、有名(ゆうめい)な役者(やくしゃ)の似顔絵(にがおえ)で描(えが)かれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 大津(おおつ)京間(きょうかん)大谷村(おおたにむら) 菅丞相(かんじょうしょう)(三(さん)代目(だいめ)坂東彦三郎(ばんどうひこさぶろう))
幸右衛門(こうえもん)は『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)であり、実在(じつざい)した赤穂(あこう)浪士(ろうし) 四十七士(しじゅうしちし)の一人(ひとり)、小野寺(おのでら)幸右衛門(こうえもん)秀富(ひでとみ)でもあります。吉良(きら)邸(てい)討(う)ち入(い)りの際(さい)、幸右衛門(こうえもん)は真(ま)っ先(さき)に吉良(きら)邸内(ていない)に切(き)り込(こ)み、吉良(きら)家(いえ)の番(ばん)人(ひと)を切(き)り捨(す)てるなど勇猛果敢(ゆうもうかかん)な活躍(かつやく)で知(し)られています。描(えが)かれた役者(やくしゃ)は鼻(はな)の高(たか)さが特徴的(とくちょうてき)な三代(さんだい)目関(めせき)三十郎(さんじゅうろう)です。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 石部(いしべ)ノ二 幸右衛門(こうえもん)(三代(さんだい)目関(めせき)三十郎(さんじゅうろう))
No.40の関(せき)の小(しょう)まんと同(おな)じく『恋女房(こいにょうぼう)染分(そめわけ)手綱(たづな)』に登場(とうじょう)する伊達(だて)の与作(よさく)が描(えが)かれています。当(あ)てられた役者(やくしゃ)は本図(ほんず)出版(しゅっぱん)時(じ)には故人(こじん)であった三代(さんだい)目(め)沢村(さわむら)宗十郎(そうじゅうろう)です。与作(よさく)は丹波(たんば)国(くに)の大名(だいみょう)由留木(ゆるき)家(け)の家臣(かしん)でしたが、敵役(かたきやく)の鷲塚(わしづか)官(かん)大夫(たいふ)によって腰元(こしもと)重(じゅう)の井(い)との不義(ふぎ)密通(みっつう)が公(おおやけ)にされたため、勘当(かんどう)されて馬方(うまかた)になります。しかし、物語(ものがたり)の最後(さいご)には官(かん)大夫(たいふ)を討(う)ち果(は)たし、由留木(ゆるき)家(け)に帰参(きさん)します。 これは『役者見立東海道五十三駅(やくしゃみたてとうかいどうごじゅうさんつぎ)』というシリーズです。このシリーズは、全部(ぜんぶ)で一四〇点(ひゃくよんじゅってん)確認(かくにん)されています。作者(さくしゃ)は三代豊国(さんだいとよくに)、とても人気(にんき)の高(たか)かった絵師(えし)です。背景(はいけい)には宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)が描(えが)かれており、手前(てまえ)の人物(じんぶつ)は、宿場(しゅくば)と関(かか)わりのある歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)です。また人物(じんぶつ)は、有名(ゆうめい)な役者(やくしゃ)の似顔絵(にがおえ)で描(えが)かれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 関(せき) 伊達(だて)の与作(よさく)(三(さん)代目(だいめ)沢村(さわむら)宗十郎(そうじゅうろう))
鬼(き)人(じん)お松(まつ)は、実在(じつざい)しない伝説(でんせつ)上(じょう)の人物(じんぶつ)ですが、物語(ものがたり)や歌舞伎(かぶき)で様々(さまざま)な逸話(いつわ)が語(かた)り継(つ)がれてきました。(お松(まつ)は)夫(おっと)の敵(かたき)を討(う)つため夫(おっと)の仲間(なかま)に助(たす)けを求(もと)めたところ、言(い)い寄(よ)られたために思(おも)わず懐剣(かいけん)で刺(さ)してしまった出来事(できごと)から、性格(せいかく)がガラリと変(か)わり、略奪(りゃくだつ)を働(はたら)くようになります。 本(ぼん)図(ず)でお松(まつ)演(えん)じる役者(やくしゃ)は初代(しょだい)坂東(ばんどう)志(し)うかです。背景(はいけい)は歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の蔦屋(つたや)版(ばん)東海道(とうかいどう)の土山(つちやま)の図(ず)を引用(いんよう)しており、鈴鹿峠(すずかとうげ)の山道(やまみち)にある鈴鹿川(すずかがわ)が描(えが)かれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 坂之下(さかのした) 土山(つちやま)間(かん) 鈴鹿峠(すずかとうげ) 鬼神(きしん)於松(おまつ)(初代(しょだい)坂東(ばんどう)志(し)うか)
『恋女房(こいにょうぼう)染分(そめわけ)手綱(たづな)』の関(せき)の小万(こまん)を描(えが)いています。当(あ)てられた役者(やくしゃ)は本図(ほんず)出版(しゅっぱん)時(じ)には故人(こじん)であった七代目(ななだいめ)岩井半四郎(いわいはんしろう)です。小万(こまん)は京(きょう)祇園(ぎおん)の芸子(げいこ)でしたが、勘当(かんどう)されて馬方(うまかた)(馬(うま)をひいて人(ひと)や荷物(にもつ)を運(はこ)ぶことを職業(しょくぎょう)とした人(ひと)。となった伊達(だて)与作(よさく)を追(お)って、関宿(せきしゅく)の宿場(しゅくば)女(おんな)になります。 背景(はいけい)は歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の蔦屋(つたや)版(ばん)東海道(とうかいどう)を引用(いんよう)しています。東海道(とうかいどう)をすすむ行列(ぎょうれつ)が、一里塚(いちりづか)の横(よこ)を通(とお)り過(す)ぎる場面(ばめん)を描(えが)いています。一里塚(いちりづか)とは、街道(かいどう)の両脇(りょうわき)に一里(いちり)(約(やく)3.9km)ごとの目印(めじるし)として設置(せっち)された塚(つか)で、榎(えのき)や松(まつ)などが植(う)えられました。 これは『役者見立東海道五十三駅(やくしゃみたてとうかいどうごじゅうさんつぎ)』というシリーズです。このシリーズは、全部(ぜんぶ)で一四〇点(ひゃくよんじゅってん)確認(かくにん)されています。作者(さくしゃ)は三代豊国(さんだいとよくに)、とても人気(にんき)の高(たか)かった絵師(えし)です。背景(はいけい)には宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)が描(えが)かれており、手前(てまえ)の人物(じんぶつ)は、宿場(しゅくば)と関(かか)わりのある歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)です。また人物(じんぶつ)は、有名(ゆうめい)な役者(やくしゃ)の似顔絵(にがおえ)で描(えが)かれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 関(せき) 小(こ)まん(七代目岩井半四郎(しちだいめいわいはんしろう))