ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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狂歌(きょうか):鳴神(なるかみ)の 音(おと)にきこえし 大橋(おおはし)は 雲(くも)の上(うえ)ふむ こゝちこそすれ(鶴の屋松門) 鴨川(かもがわ)に架(か)かる三条(さんじょう)大橋(おおはし)を、茶筅(ちゃせん)売(う)りや絹(きぬ)被(か)衣(つぎ)の公家(くげ)の子女(しじょ)、日傘(ひがさ)をさす武士(ぶし)など様々(さまざま)な身分(みぶん)の人々(ひとびと)が行(い)き交(か)っています。遠近法(えんきんほう)を用(もち)いて中心(ちゅうしん)に描(えが)かれた三条大橋(さんじょうおおはし)の向(む)こうには京(きょう)の家(いえ)並(な)みと、遠景(えんけい)右(みぎ)の山(やま)の中腹(ちゅうふく)には清水寺(きよみずでら)が見(み)えます。遠景(えんけい)中央(ちゅうおう)に浮(う)かび上(あ)がるように描(えが)かれた山(やま)が、より画面(がめん)に奥行(おくゆ)きを感(かん)じさせます。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 京(きょう) 三条大橋(さんじょうおおはしの)ノ図(ず)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):おもひ立(たつ) さい先(さき)よしと いそ五十路(いそじ) こえてみやこを けふ三(み)つの空(そら)(紅翠亭郡子) このシリーズは京(きょう)が2図(ず)描(えが)かれています。この図(ず)では内裏(だいり)の南面(なんめん)正門(せいもん)である建(けん)礼門(れいもん)が描(えが)かれています。その手前(てまえ)を、束帯(そくたい)姿(すがた)の男性(だんせい)に日傘(ひがさ)を差(さ)し出(だ)す裃(かみしも)姿(すがた)の男性(だんせい)や、絹(きぬ)被(か)衣(つぎ)の公家(くげ)の子女(しじょ)など、様々(さまざま)な身分(みぶん)の人々(ひとびと)が往来(おうらい)しています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 京(きょう) 内裏(だいり)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
坂之下(さかのした)宿(しゅく/rt>)から土山宿(つちやましゅく)に向(む)かう道(みち)は、鈴鹿峠(すずかとうげ)(すずかとうげ)を通(とお)るため、峻厳(しゅんげん)な岩山(いわやま)が描(えが)かれます。この画(え)では、女性(じょせい)二人(ふたり)が鈴鹿峠(すずかとうげ)の絶景(ぜっけい)を楽(たの)しんでいます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 坂(さか)の下(した)
鳥瞰図(ちょうかんず)的(てき)な構図(こうず)に秀(ひい)でていた貞秀(さだひで)には、富士山(ふじさん)を描(えが)いた作品(さくひん)が数多(かずおお)くありますが、これは富士山(ふじさん)をほぼ火口(かこう)の真上(まうえ)から描(えが)いた図(ず)です。よくみると火口(かこう)にはもう一枚(いちまい)の紙(かみ)が折(お)り畳(たた)まれていて、引(ひ)っ張(ぱ)ると立体的(りったいてき)に立(た)ち上(あ)がる仕組(しく)みになっています。また画面(がめん)左(ひだり)の山麓(さんろく)辺(あた)りにはもう一枚(いちまい)紙(し)が張(は)ってあり、それをめくると洞窟(どうくつ)が現(あらわ)れ、胎内巡(たいないめぐ)りをする人々(ひとびと)が描(えが)かれています。これは富士登山(ふじとざん)の行程(こうてい)のひとつである「胎内巡(たいないめぐ)り」を描(えが)いたもので、当時(とうじ)の人気(にんき)の程(ほど)が伺(うかが)えます。
富士山(ふじさん)真景(しんけい)全(ぜん)図(ず)
中判(ちゅうばん)摺物(すりもの)1枚(まい) 縦(たて)19.9 横(よこ)26.8 板元(はんもと)印(しるし)なし 狂歌(きょうか)師(し)達(たち)が特別(とくべつ)な配(くば)り物(ぶつ)として作成(さくせい)した「摺物(すりもの)」と呼(よ)ばれる形式(けいしき)の作品(さくひん)です。波(なみ)、道(みち)、砂(すな)、富士(ふじ)の稜線(りょうせん)などに空摺(からず)りを入(い)れ、女性(じょせい)の帯(おび)の模様(もよう)には金泥(きんでい)・銀泥(ぎんでい)を使用(しよう)するなどの技巧(ぎこう)が施(ほどこ)されています。
題名(だいめい)不詳(ふしょう)(江(え)の島(しま)金亀(きんき)山(ざん))
半切(はんせつ)横(よこ)1枚(まい) 縦(たて)15.2 横(よこ)21.6 制作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)末期(まっき)。板元(はんもと)印(しるし)なし
相州(そうしゅう)名所(めいしょ) 江(え)之(の)嶋(しま)金亀(きんき)山(ざん)之(の)図(ず)
中(ちゅう)短冊(たんざく)1枚(まい) 縦(たて)25.3 横(よこ)12.6 制作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)年間(ねんかん)(1830~44)頃(ころ)。板元(はんもと)印(しるし)なし 短冊(たんざく)絵(え)の形式(けいしき)で、短冊(たんざく)には大(だい)短冊(たんざく)、中(ちゅう)短冊(たんざく)、小(しょう)短冊(たんざく)の三(さん)種類(しゅるい)があり、これは中(ちゅう)短冊(たんざく)にあたります。起源(きげん)は寛延(かんえい)、宝暦(ほうれき)頃(ころ)といわれ、盛(さか)んになるのは享和(きょうわ)以降(いこう)のことです。画題(がだい)としては花鳥風月(かちょうふうげつ)が多(おお)いようですし、広重(ひろしげ)は浮世絵師(うきよえし)の中(なか)で最(もっと)も多(おお)くの短冊(たんざく)絵(え)をつくっています。この作品(さくひん)には漢詩(かんし)が添(そ)えられていて「楽山楽水(らくざんらくすい)情(じょう)末(まつ)休(きゅう)、清風明月(せいふうめいげつ)是(ぜ)悠々(ゆうゆう)」とあります。浮世絵(うきよえ)というより筆(ふで)で描(えが)く山水画(さんすいが)の形式(けいしき)を踏襲(とうしゅう)していて、構図(こうず)としては右手(みぎて)に岩屋(いわや)に至(いた)る江(え)の島(しま)の一部(いちぶ)を描(えが)き、その手前(てまえ)に打(う)ち寄(よ)せる大波(おおなみ)がアクセントをつくり、遠景(えんけい)の島々(しまじま)ははるかにかすみ、舟(ふね)の表現(ひょうげん)と共(とも)に水墨画(すいぼくが)の味(あじ)わいを画面(がめん)から感(かん)じさせてくれます。
相州(そうしゅう)江之島(えのしま)
泥絵(どろえ) 縦(たて)31.7 横(よこ)45.2 制作(せいさく)時期(じき):不明(ふめい)。落款(らっかん)なし 泥絵(どろえ)には初期(しょき)のものに落款(らっかん)のあるものがありますが、量産(りょうさん)されるようになった天保(てんぽう)期(き)以後(いご)のものには無(む)落款(らっかん)のものがほとんどです。泥絵(どろえ)とは、絵(え)として鑑賞(かんしょう)するものではなく、のぞき眼鏡(めがね)やのぞきからくりのレンズを通(とお)して新奇(しんき)の世界(せかい)を覗(のぞ)くことに主題(しゅだい)があり、絵(え)の上手(じょうず)・下手(へた)はあまり問題(もんだい)にされなかったようです。また、泥絵(どろえ)の特徴(とくちょう)としてあげられるものに、青(あお)の色彩(しきさい)があります。これはオランダ渡(わた)りのペレインブラーワで、1704年(ねん)に化学者(かがくしゃ)ディッペルが創製(そうせい)した色素(しきそ)で、その地名(ちめい)からプロシャの青(あお)、ペルリンの青(あお)と呼(よ)ばれ日本(にっぽん)ではこれをベロ藍(あい)またはベロリン藍(あい)となまって使用(しよう)されます。このあざやかな青(あお)は文政(ぶんせい)以後(いご)浮世絵(うきよえ)版画(はんが)にも使用(しよう)されるようになります。左右(さゆう)逆(ぎゃく)影(かげ)に描(えが)かれており、のぞき眼鏡(めがね)用(よう)に制作(せいさく)されたものであることがわかります。
題名(だいめい)不詳(ふしょう)(江(え)の島(しま)岩屋(いわや))