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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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中判横1枚(ちゅうばんよこいちまい) 縦(たて)18.4 横(よこ)25.0 製作時期(せいさくじき):万延元年(まんえん)(1860)。板元(はんもと):當世屋(とうせいや)(品川屋久助(しながわやきゅうすけ)) このシリーズは大(だい)ヒットした十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』を摸(も)して作(つく)られています。各宿(かくやど)には弥次(やじ)さん、北(きた)さんが登場(とうじょう)し、芳幾(よしいく)が二人(ふたり)のくりひろげる道中(どうちゅう)模様(もよう)をユーモラスに描(えが)き、魯文(ろぶん)が各宿(かくやど)のテーマとなる文章(ぶんしょう)、狂歌一句(きょうかいっく)と二人(ふたり)の会話(かいわ)をおもしろおかしく記(しる)しています。
東海道(とうかいどう)中(ちゅう)栗毛(くりげ)彌次馬(やじうま) 藤枝(ふじえだ)
当時(とうじ)人気(にんき)の役者(やくしゃ)を、各宿場(かくしゅくば)にちなんだ物語(ものがたり)や風俗(ふうぞく)に見立(みた)て、背景(はいけい)にを配(はい)したシリーズ。藤枝(ふじえだ)と言(い)えば直実(なおざね)で、浄瑠璃(じょうるり)「一ノ谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」の主従(しゅうじゅう)つながりということで、義経(よしつね)が描(えが)かれています。 これは『役者見立東海道五十三駅(やくしゃみたてとうかいどうごじゅうさんつぎ)』というシリーズです。このシリーズは、全部(ぜんぶ)で一四〇点(ひゃくよんじゅってん)確認(かくにん)されています。作者(さくしゃ)は三代豊国(さんだいとよくに)、とても人気(にんき)の高(たか)かった絵師(えし)です。背景(はいけい)には宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)が描(えが)かれており、手前(てまえ)の人物(じんぶつ)は、宿場(しゅくば)と関(かか)わりのある歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)です。また人物(じんぶつ)は、有名(ゆうめい)な役者(やくしゃ)の似顔絵(にがおえ)で描(えが)かれています 。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 藤枝(ふじえだ) 源義経(みなもとのよしつね)
当時(とうじ)人気(にんき)の役者(やくしゃ)を、各宿場(かくしゅくば)にちなんだ物語(ものがたり)や風俗(ふうぞく)に見立(みた)て、背景(はいけい)にを配(はい)したシリーズ。佐藤忠信(さとうただのぶ)は、浄瑠璃(じょうるり)「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」で鼓(つづみ)の皮(かわ)になった親狐(おやぎつね)(お袋(ふくろ))を慕(した)い人(ひと)の姿(すがた)になって、その鼓(つづみ)を持(も)つ静御前(しずかごぜん)を守(まも)る子狐(こぎつね)。お袋(ふくろ)の連想(れんそう)から、袋井(ふくろい)の画(え)に登場(とうじょう)しています。 これは『役者見立東海道五十三駅(やくしゃみたてとうかいどうごじゅうさんつぎ)』というシリーズです。このシリーズは、全部(ぜんぶ)で一四〇点(ひゃくよんじゅってん)確認(かくにん)されています。作者(さくしゃ)は三代豊国(さんだいとよくに)、とても人気(にんき)の高(たか)かった絵師(えし)です。背景(はいけい)には宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)が描(えが)かれており、手前(てまえ)の人物(じんぶつ)は、宿場(しゅくば)と関(かか)わりのある歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)です。また人物(じんぶつ)は、有名(ゆうめい)な役者(やくしゃ)の似顔絵(にがおえ)で描(えが)かれています 。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 袋井(ふくろい) 忠信(ただのぶ)(三代目嵐璃寛(さんだいめあらしりかん))
当時(とうじ)人気(にんき)の役者(やくしゃ)を、各宿場(かくしゅくば)にちなんだ物語(ものがたり)や風俗(ふうぞく)に見立(みた)て、背景(はいけい)にを配(はい)したシリーズ。見附(みつけ)は袋井(ふくろい)の隣(となり)の宿(やど)で、忠信(ただのぶ)つながりで静御前(しずかごぜん)が画題(がだい)となっています。 これは『役者見立東海道五十三駅(やくしゃみたてとうかいどうごじゅうさんつぎ)』というシリーズです。このシリーズは、全部(ぜんぶ)で一四〇点(ひゃくよんじゅってん)確認(かくにん)されています。作者(さくしゃ)は三代豊国(さんだいとよくに)、とても人気(にんき)の高(たか)かった絵師(えし)です。背景(はいけい)には宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)が描(えが)かれており、手前(てまえ)の人物(じんぶつ)は、宿場(しゅくば)と関(かか)わりのある歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)です。また人物(じんぶつ)は、有名(ゆうめい)な役者(やくしゃ)の似顔絵(にがおえ)で描(えが)かれています 。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 見附(みつけ) 志(し)づか(初代(しょだい)坂東志(ばんどうし)うか)
大判(おおばん)3枚(まい) 「富士(ふじ)の人穴(ひとあな)」の話(はなし)は「明治座新狂言(めいじざしんきょうげん)(歌舞伎(かぶき))」にも取(と)り上(あ)げられたようで、歌川芳員(うたがわよしかず)が描(えが)いた図(ず)が、芝居(しばい)の一場面(いちばめん)として「組上絵(くみあげえ)」のかたちで再現(さいげん)されています。 組上絵(くみあげえ)とは、組上燈籠(くみあげどうろう)とも呼(よ)ばれ、江戸時代(えどじだい)から明治(めいじ)にかけて親(した)しまれていた浮世絵(うきよえ)の「おもちゃ絵(え)」の一種(いっしゅ)で、切(き)りぬいて遊(あそ)ぶ. ペーパークラフトのことです。組立(くみた)てると立体的(りったいてき)な紙(かみ)のジオラマとなりました。
組(くみ)上絵(あげえ) 明治座(めいじざ)新(しん)狂言(きょうげん) 富士(ふじ)の人穴(ひとあな)
源頼朝(みなもとのよりとも)による「富士の牧(巻)狩(ふじのまきがり)」は史書(ししょ)の『吾妻鏡(あずまかがみ)』(鎌倉時代(かまくらじだい)の歴史書(れきししょ))にも記(しる)されていますが、頼朝(よりとも)が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)たる権威(けんい)を誇示(こじ)するためや軍事演習(ぐんじえんしゅう)などの目的(もくてき)があったとされています。国久(くにひさ)の描(えが)く「牧狩の図(まきがりのず)」では、特(とく)に中央(ちゅうおう)に描(えが)かれた新田(にった)(仁田(にった))四郎忠常(しろうただつね)の猪退治(いのししたいじ)が強調(きょうちょう)されています。この勇猛(ゆうもう)な仁田四郎(にたんしろう)のイメージが、のちの「人穴(ひとあな)」探検譚(たんけんたん)に結(むす)びついていったようです。
源頼朝(みなもとのよりとも)公(こう)富士裾野(ふじすその)牧(まき)狩(がり)之(の)図(ず)
本作品(ほんさくひん)は『役者見立東海道五十三駅(やくしゃみたてとうかいどうごじゅうさんつぎ)(The series Fifty-three Stations of the Tokaido)』の絵柄(えがら)を、各宿場(かくしゅくば)のマスに描(えが)いた双六(すごろく)です。一(ひと)つ一(ひと)つは小(ちい)さい絵(え)ながら、頭髪(とうはつ)等(とう)の彫(ほ)りも丁寧(ていねい)になされており、大判(おおばん)作品(さくひん)の絵柄(えがら)が見事(みごと)に再現(さいげん)されています。「上(あが)リ」の京都(きょうと)に描(えが)かれているのは、石川五右衛門(いしかわごえもん)と真柴久吉(ましばしさよし)(羽柴秀吉(はしばひでよし))で、「絶景(ぜっけい)かな、絶景(ぜっけい)かな」の台詞(せりふ)で知(し)られる「楼門五山桐(さんもんごさんのきり)」の一場面(いちばめん)となっています。
五(ご)十三駅(じゅうさんつぎ)看(み)立(たて)双六(すごろく)
将軍(しょうぐん)家茂(いえもち)による上洛(じょうらく)の二年後(にねんご)に作(つく)られた作品(さくひん)で、東海道(とうかいどう)の道(みち)のりが一(ひと)つの画面(がめん)に収(おさ)められた双六(すごろく)です。旗(はた)の立(た)っている場所(ばしょ)が行列(ぎょうれつ)の通(かよ)っている目印(めじるし)となっています。 七番目(ななばんめ)のマスである藤沢宿(ふじさわしゅく)には旅籠(はたご)と思(おも)われる建物(たてもの)が立(た)ち並(なみ)でいます。その左上(ひだりうえ)の江の島(えのしま)には、島(しま)入(い)り口(ぐち)の鳥居(とりい)や江戸時代(えどじだい)には存在(そんざい)していた三重塔(さんじゅうのとう)といった、細部(さいぶ)に至(いた)る描写(びょうしゃ)がみられます。
新版(しんぱん)東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)行列(ぎょうれつ)双六(すごろく)