Fujisawa Net Museum

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古今(ここん)合戦(かっせん)のうち36(けん)(えら)んで歌川国芳(うたがわくによし)(えが)いたシリーズの1(まい)です。宇治川(うじがわ)(たたか)いは、木曾義仲(きそよしなか)源義経(みなもとのよしつね)との(あいだ)(おこな)われた合戦(かっせん)です。その(なか)で、佐々木高綱(ささきたかつな)梶原景季(かじわらかげすえ)先陣(せんじん)(あらそ)いのエピソードがよく()られています。義経(よしつね)(ぜい)佐々木高綱(ささきたかつな)梶原景季(かじわらかげすえ)は、それぞれ源頼朝(みなもとのよりとも)から名馬(めいば)(たまわ)っており、(とも)戦地(せんち)一番乗(いちばんの)りの手柄(てがら)()てようと(いさ)んで(かわ)()(にゅう)ろうとします。その(とき)高綱(たかつな)が「(うま)腹帯(はらおび)(ゆる)んでいる、()(たま)え」と(かげ)(すえ)()げ、それを()()けた(かげ)(すえ)(うま)腹帯(はらおび)()(なお)している(ひま)に、高綱(たかつな)一番乗(いちばんの)りを()たしました。(かげ)(すえ)高綱(たかつな)手前(てまえ)には、水泳(すいえい)達人(たつじん)太子(おおごの)小橋(こきょう)()(えが)かれています。

(ゆう)(かい)(さん)(じゅう)(ろっ)合戦(かせん) ()梶原景季(かじわらかげすえ) 畠山重忠(はたけやましげただ) 佐々木高綱(ささきたかつな) 太子(おおごの)小橋(こきょう)())」

歌舞伎(かぶき)曽我(そが)対面(たいめん)』の大切(おおきり)浄瑠璃(じょうるり)(いお)木瓜(りに)(はな)(えほう)(のふく)(びき)』です。大切(おおきり)浄瑠璃(じょうるり)とは、公演(こうえん)最後(さいご)(おこな)われる所作事(しょさごと)()します。
本図(ほんず)は、三枚(さんまい)浮世絵(うきよえ)変則的(へんそくてき)(なら)び、洒落(しゃれ)()のある構成(こうせい)です。左側(ひだりがわ)工藤(くどう)左衛門(さえもん)(すけ)(つね)遊女(ゆうじょ)手越(てごし)少将(しょうしょう)黄瀬川(きせがわ)(こし)()ろし、奴凧(やっこだこ)(たいら)()げる小林(こばやし)朝比奈(あさひな)様子(ようす)(なが)めています。「曽我物語(そがものがたり)」は、正月(しょうがつ)上演(じょうえん)される慣習(かんしゅう)があり、(たこ)()げる様子(ようす)から、正月(しょうがつ)意識(いしき)したおめでたい場面(ばめん)となっています。
外題(げだい)()けられている「(いおりに)木瓜(もっこう)」とは、工藤(くどう)(すけ)(つね)(しめ)し、工藤氏(くどうし)先祖(せんぞ)は「平将門の乱(たいらのまさかどのらん)平定(へいてい)(さい)に、朝廷(ちょうてい)より恩賞(おんしょう)として「工藤(くどう)(せい)と「(いおりに)木瓜(もっこう)木工(もっこう))」家紋(かもん)()けていました。

小林(こばやし)朝比奈(あさひな) 工藤(くどう)左衛門(さえもん)(すけ)(つね) 手越(てごし)黄瀬川(きせがわ) 奴凧(やっこたこ)(へい))

富士山(ふじさん)見上(みあ)げて(なが)めるように(えが)かれているのは西行法師(さいぎょうほうし)です。平安時代(へいあんじだい)末期(まっき)から鎌倉時代(かまくらじだい)初期(しょき)にかけての僧侶(そうりょ)で、歌人(かじん)でもあります。奥州(おうしゅう)へと(たび)()るその(みち)すがら富士山(ふじさん)についての和歌(わか)(かぜ)になびく富士(ふじ)(けむり)(そら)()えてゆくへも()らぬわが(おも)ひかな)を()んでいます。
西行法師(さいぎょうほうし)視線(しせん)(さき)には富士山(ふじさん)()られますが、その手前(てまえ)には(おお)きな(まつ)()があります。吉原宿(よしわらしゅく)手前(てまえ)(まつ)(なみ)()()から左手(ひだりて)(がわ)()える富士山(ふじさん)が「左富士(ひだりふじ)」として有名(ゆうめい)であったことから(えら)ばれたのでしょう。江戸(えど)から(きょう)()かう(みち)自分(じぶん)左側(ひだりがわ)富士山(ふじさん)()える場所(ばしょ)()ヶ所(かしょ)しかありませんでした。(もう(いち)ヶ所(かしょ)南湖(なんご)立場(たてば)です)まるでその()(ある)いているかのような臨場(りんじょう)(かん)()たせる演出(えんしゅつ)です。

(そう)(ひつ)五十三次(ごじゅうさんつぎ) 吉原(よしわら)



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