ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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『暫(しばらく)』は市川家(いちかわけ)の「歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)」の一(ひと)つに数(かぞ)えられる演目(えんもく)で、悪役(あくやく)が善人(ぜんにん)を今(いま)にも斬(き)ろうとするところに鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)が「しばらく」と声(こえ)をかけて花道(はなみち)より登場(とうじょう)し、超人的(ちょうじんてき)な力(ちから)を持(も)って悪人(あくにん)たちを成敗(せいばい)するという筋書(すじが)きです。主人公(しゅじんこう)の鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)は鎌倉周辺(かまくらしゅうへん)の領主(りょうしゅ)であった平家(へいけ)の武将(ぶしょう)で、藤沢(ふじさわ)の地域(ちいき)を開発(かいはつ)したことが伝(つた)えられており、藤沢(ふじさわ)にゆかりのある人物(じんぶつ)です。
暫(しばらく)(しばらく) 十八番(じゅうはちばん)之(の)内(うち)壱(いち) 鎌倉権五郎(かまくらごんごろう)景政(かげまさ)
浪花講(なにわこう)とは、文化元年(ぶんかがんねん)(1804)に大阪(おおさか)の商人(しょうにん)が創設(そうせつ)した旅(たび)の講中(こうじゅう)です。旅人(たびびと)に安心(あんしん)して宿泊(しゅくはく)できる旅籠(はたご)を提供(ていきょう)するため、主要街道(しゅようかいどう)にある優良(ゆうりょう)な旅籠(はたご)を指定(してい)し、組合(くみあい)に入(はい)ってもらい、その旅籠(はたご)には目印(めじるし)の看板(かんばん)が掲(かか)げられました。 この折帖(おりじょう)は、指定(してい)した旅籠(はたご)が一覧(いちらん)できるよう道順(みちじゅん)に並(なら)べたもので、田村(たむら)通(どお)り大山道(おおやまみち)の経路(けいろ)は、藤沢(ふじさわ)‐四ツ谷(よつや)‐一の宮(いちのみや)‐田村(たむら)‐伊勢原(いせはら)‐子安(こやす)‐大山(おおやま)となっています。
改正(かいせい)浪花(なにわ)講(こう)
白浪五人男(しらなみごにんおとこ)の背景(はいけい)には江の島(えのしま)と富士山(ふじさん)が見(み)え、稲村ヶ崎(いなむらがさき)より海路(かいろ)遠州灘(えんしゅうなだ)を通(とお)って追(お)っ手(て)から逃(のが)れようとする場面(ばめん)を描(えが)いています。空(そら)の鮮(あざ)やかな赤(あか)や、着物(きもの)の紫(むらさき)といった明治(めいじ)の浮世絵(うきよえ)を象徴(しょうちょう)する色(いろ)が目(め)を引(ひ)く、ダイナミックな作品(さくひん)となっています。
横(よこ)島田(しまだ)鹿子(かのこの)振袖(ふりそで)
広重(ひろしげ)は、名所絵(めいしょえ)で有名(ゆうめい)ですが、花鳥画(かちょうが)も多(おお)く描(えが)いています。藤(ふじ)は藤沢市(ふじさわし)の市花(しか)でもあり、昔(むかし)から日本人(にほんじん)の多(おお)くに愛(あい)された花(はな)です。
藤(ふじ)に燕(つばめ)
日本橋(にほんばし)の向(む)こうに毛槍(けやり) (けやり)(先端(せんたん)に羽毛(うもう)の飾(かざ)りをつけた儀仗(ぎじょう)用(よう)の槍(やり)。この毛槍(けやり)を持(も)った奴(やっこ)(やっこ)が大名行列(だいみょうぎょうれつ)の先頭(せんとう)を歩(ある)く)の先端(せんたん)が見(み)えていることから、大名行列(だいみょうぎょうれつ)が近(ちか)づいている場面(ばめん)であることが分(わ)かります。足早(あしばや)に通(とお)り過(す)ぎようとする者(もの) や、足(あし)をとめて見(み)ている 者(もの)など、橋(はし)の手前(てまえ)にいる人々(ひとびと)のざわめきも伝(つた)わってくるような臨場(りんじょう)感(かん)あふれる作品(さくひん)です。
東海道(とうかいどう) 日本橋(にほんばし)
将軍(しょうぐん)が座(ざ)す御前(ごぜん)で、勢子(せこ)(せこ)(狩猟(しゅりょう)の際(さい)に、獲物(えもの)を追(お)い込(こ)む役目(やくめ)の人夫(にんぷ))が追(お)い立(た)てた猪(いのしし)や鹿(しか)などが、崖(がけ)から逆(さか)落(お)としになっています。猟師(りょうし)たちの動(うご)きや表情(ひょうじょう)には、北斎(ほくさい)(ほくさい)漫画(まんが)(まんが)的(てき)な描写(びょうしゃ)が見(み)られ、自身(じしん)も絵(え)(え)手本(てほん)(てほん)をよく出(だ)した暁斎(きょうさい)の興味(きょうみ)の幅広(はばひろ)さが出(で)ています。画(が)中(ちゅう)にある「惺々(せいせい)(せいせい)周(ちか)(ちか)麿(まろ)(まろ)」とは、「暁斎(きょうさい)」と改(あらた)める以前(いぜん)の画(が)号(ごう)です。
東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)之(の)内(うち) 箱根(はこね)山中(さんちゅう)猪狩(ししがり)
権太坂(ごんたざか)(ごんたざか)は、東海道(とうかいどう)で江戸(えど)を発(た)ってから最初(さいしょ)に出会(であ)う上(のぼ)り坂(ざか)の難所(なんしょ)として知(し)られています。後景(こうけい)には権太坂(ごんたざか)を上(のぼ)る旅人(たびびと)の姿(すがた)が薄暗(うすぐら)く描(えが)かれている一方(いっぽう)、画面(がめん)手前(てまえ)の茶屋(ちゃや)の風景(ふうけい)は色鮮(いろあざ)やかに描(えが)かれているのが対照的(たいしょうてき)です。
東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)之(の)内(うち) 権太坂(ごんたざか)
馬(うま)と共(とも)に武者(むしゃ)を描(えが)いたシリーズで、小栗判官(おぐりはんがん)の愛馬(あいば)としては鬼(おに)鹿毛(かげ)(おにかげ)のエピソードが紹介(しょうかい)されています。 上部(じょうぶ)に書(か)かれた詞書(ことばがき)を読(よ)むと、「小栗判官(おぐりはんがん)が山賊(さんぞく)に毒(どく)の酒(さけ)を飲(の)まされそうになったものの、酔(よ)った振(ふ)りをして逃(に)げた。山賊(さんぞく)は鬼(おに)鹿毛(かげ)を奪(うば)い三河(みかわ)(みかわ)まで走(はし)るが、その後(ご)小栗(おぐり)に討(う)たれた。」ということが書(か)かれています。なお、説教(せっきょう)節(ぶし)では鬼(おに)鹿毛(かげ)は人(ひと)を食(く)らう恐(おそ)ろしい馬(うま)とされており、小栗(おぐり)はその鬼(おに)鹿毛(かげ)を乗(の)りこなしたという逸話(いつわ)が有名(ゆうめい)です。遊行寺(ゆぎょうじ)には鬼(おに)鹿毛(かげ)のお墓(はか)もあります。
武英(ぶえい)名馬(めいば)競(くらべ) 小栗(おぐり)小次郎(こじろう)助重(すけしげ)