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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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日本橋(にほんばし)の向(む)こうに毛槍(けやり) (けやり)(先端(せんたん)に羽毛(うもう)の飾(かざ)りをつけた儀仗(ぎじょう)用(よう)の槍(やり)。この毛槍(けやり)を持(も)った奴(やっこ)(やっこ)が大名行列(だいみょうぎょうれつ)の先頭(せんとう)を歩(ある)く)の先端(せんたん)が見(み)えていることから、大名行列(だいみょうぎょうれつ)が近(ちか)づいている場面(ばめん)であることが分(わ)かります。足早(あしばや)に通(とお)り過(す)ぎようとする者(もの) や、足(あし)をとめて見(み)ている 者(もの)など、橋(はし)の手前(てまえ)にいる人々(ひとびと)のざわめきも伝(つた)わってくるような臨場(りんじょう)感(かん)あふれる作品(さくひん)です。
東海道(とうかいどう) 日本橋(にほんばし)
将軍(しょうぐん)が座(ざ)す御前(ごぜん)で、勢子(せこ)(せこ)(狩猟(しゅりょう)の際(さい)に、獲物(えもの)を追(お)い込(こ)む役目(やくめ)の人夫(にんぷ))が追(お)い立(た)てた猪(いのしし)や鹿(しか)などが、崖(がけ)から逆(さか)落(お)としになっています。猟師(りょうし)たちの動(うご)きや表情(ひょうじょう)には、北斎(ほくさい)(ほくさい)漫画(まんが)(まんが)的(てき)な描写(びょうしゃ)が見(み)られ、自身(じしん)も絵(え)(え)手本(てほん)(てほん)をよく出(だ)した暁斎(きょうさい)の興味(きょうみ)の幅広(はばひろ)さが出(で)ています。画(が)中(ちゅう)にある「惺々(せいせい)(せいせい)周(ちか)(ちか)麿(まろ)(まろ)」とは、「暁斎(きょうさい)」と改(あらた)める以前(いぜん)の画(が)号(ごう)です。
東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)之(の)内(うち) 箱根(はこね)山中(さんちゅう)猪狩(ししがり)
権太坂(ごんたざか)(ごんたざか)は、東海道(とうかいどう)で江戸(えど)を発(た)ってから最初(さいしょ)に出会(であ)う上(のぼ)り坂(ざか)の難所(なんしょ)として知(し)られています。後景(こうけい)には権太坂(ごんたざか)を上(のぼ)る旅人(たびびと)の姿(すがた)が薄暗(うすぐら)く描(えが)かれている一方(いっぽう)、画面(がめん)手前(てまえ)の茶屋(ちゃや)の風景(ふうけい)は色鮮(いろあざ)やかに描(えが)かれているのが対照的(たいしょうてき)です。
東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)之(の)内(うち) 権太坂(ごんたざか)
馬(うま)と共(とも)に武者(むしゃ)を描(えが)いたシリーズで、小栗判官(おぐりはんがん)の愛馬(あいば)としては鬼(おに)鹿毛(かげ)(おにかげ)のエピソードが紹介(しょうかい)されています。 上部(じょうぶ)に書(か)かれた詞書(ことばがき)を読(よ)むと、「小栗判官(おぐりはんがん)が山賊(さんぞく)に毒(どく)の酒(さけ)を飲(の)まされそうになったものの、酔(よ)った振(ふ)りをして逃(に)げた。山賊(さんぞく)は鬼(おに)鹿毛(かげ)を奪(うば)い三河(みかわ)(みかわ)まで走(はし)るが、その後(ご)小栗(おぐり)に討(う)たれた。」ということが書(か)かれています。なお、説教(せっきょう)節(ぶし)では鬼(おに)鹿毛(かげ)は人(ひと)を食(く)らう恐(おそ)ろしい馬(うま)とされており、小栗(おぐり)はその鬼(おに)鹿毛(かげ)を乗(の)りこなしたという逸話(いつわ)が有名(ゆうめい)です。遊行寺(ゆぎょうじ)には鬼(おに)鹿毛(かげ)のお墓(はか)もあります。
武英(ぶえい)名馬(めいば)競(くらべ) 小栗(おぐり)小次郎(こじろう)助重(すけしげ)
「鴫(しぎ)立澤(たつざわ)」と刻(こく)された碑(ひ)の前(まえ)を行列(ぎょうれつ)が通(とお)っています。平安時代(へいあんじだい)の歌人(かじん)である西行(さいぎょう)(さいぎょう)は、この辺(あた)りの海岸(かいがん)を見(み)て歌(うた)を詠(よ)みました。その後(ご)、歌(うた)が詠(よ)まれた当時(とうじ)の面影(おもかげ)を残(のこ)す景色(けしき)の良(よ)い場所(ばしょ)に碑(いしぶみ)が建(た)てられました。画(が)中(ちゅう)でも、画面(がめん)右(みぎ) の碑(ひ)の前(まえ)に、俳人(はいじん)らしき人物(じんぶつ) が行列(ぎょうれつ)に土下座(どげざ)をしている姿(すがた)が見(み)えます。
東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)之(の)内(うち) 鴫(しぎ)立澤(たつざわ)
梅澤(うめざわ)(うめざわ)は、山西(やまにし) 村(むら)(現在(げんざい)の二宮町(にのみやまち))にあった東海道(とうかいどう)の立場(たてば)(たてば)()です。次(つぎ)の小田原宿(おだわらしゅく)との間(あいだ)を流(なが)れる酒匂川(さかわがわ)(さかわがわ)が、たびたび増水(ぞうすい)し川留(かわど)(かわど)め(通行(つうこう)禁止(きんし)となること)となるので、この梅澤(うめざわ)で休憩(きゅうけい)する旅人(たびびと)で賑(にぎ)わったそうです。
東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)之(の)内(うち) 梅澤(うめざわ)
徒歩(かち)渡(わた)し(かちわたし)が行(おこな)われている酒匂川(さかわがわ)に橋(はし)が架(か)けられています 。後景(こうけい)には箱根(はこね)の二子山(ふたごやま)(ふたごやま)がみえます。
東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)之(の)内(うち) 酒匂川(さかわがわ)
波(なみ)が大(おお)きなうねりを上(あ)げている 海沿(うみぞ)いの街道(かいどう)を行列(ぎょうれつ)が通(とお)っています。画面(がめん)左(ひだり)奥(おく)の箱根山(はこねやま)のふもとには、松(まつ)の木(き)の間(あいだ)から小田原城(おだわらじょう)が見(み)えます。
東海道(とうかいどう) 小田原(おだわら)