ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワード:
池田(いけだ)遙邨(ようそん)(いけだようそん)(1895-1988)は岡山県(おかやまけん)で生(う)まれ、はじめ大阪(おおさか)で洋画(ようが)を学(まな)び、のち日本画(にほんが)を竹内栖鳳(たけうちせいほう)(たけうちせいほう)に師事(しじ)しました。 種田山頭火(たねださんとうか)(たねださんとうか)に傾倒(けいとう)し、山頭火(さんとうか)の姿(すがた)で旅(たび)をして回(まわ)り、各地(かくち)の風景(ふうけい)をスケッチに残(のこ)しました。歌川広重(うたがわひろしげ)に影響(えいきょう)を受(う)け、徒歩(とほ)による東海道(とうかいどう)の写生(しゃせい)旅行(りょこう)を行(おこな)い、何度(なんど)となく東海道(とうかいどう)を題材(だいざい)にした作品(さくひん)を描(えが)いています。本作(ほんさく)もそういった作品(さくひん)の一(ひと)つであると思(おも)われます。
題名(だいめい)不詳(ふしょう)(遊行寺(ゆぎょうじ)図(ず))
義経(よしつね)の武勇(ぶゆう)の逸話(いつわ)は多(おお)くありますが、その一(ひと)つ、一ノ谷(いちのたに)の逆(さか)落(お)としは、勇壮(ゆうそう)な構図(こうず)として格好(かっこう)の題材(だいざい)でした。
義経(よしつね)之(の)軍兵(ぐんぺい)一ノ谷(いちのたに)逆落(さかおと)し之(の)図(ず)
義経(よしつね)の幼名(ようみょう)は、牛若丸(うしわかまる)と言(い)い、義経記(ぎけいき)(ぎけいき)などの物語(ものがたり)によると幼少期(ようしょうき)の義経(よしつね)は、京都(きょうと)の鞍馬寺(くらまでら)で学問(がくもん)に精進(しょうじん)したとされます。そして「鞍馬(くらま)=天狗(てんぐ)」という発想(はっそう)から天狗(てんぐ)のもとで修行(しゅぎょう)したいう逸話(いつわ)が生(う)まれ画(が)中(ちゅう)でもカラス天狗(てんぐ)と剣術(けんじゅつ)の稽古(けいこ)をした場面(ばめん)が描(えが)かれています。
牛若丸(うしわかまる)
牛若丸(うしわかまる)時代(じだい)の義経(よしつね)の逸話(いつわ)では、京(きょう)の五条大橋(ごじょうおおはし)でのとの出会(であ)いがあります。画(え)は、弁慶(べんけい)を避(さ)けてふわりと飛(と)び上(あ)がる牛若丸(うしわかまる)の姿(すがた)。これを契機(けいき)に義経(よしつね)と弁慶(べんけい)は主従関係(しゅじゅうかんけい)を結(むす)びます。
月(つき)百(ひゃく)姿(し) 五條(ごじょう)の橋(はし)の月(つき)
一(いち)の谷(たに)の戦(たたか)いに勝利(しょうり)し、後白河法皇(ごしらかわほうおう)から検非違使(けびいし)、左衛門(さえもん)少尉(しょうい)(判官(ほうがん))に任(にん)ぜられた義経(よしつね)が、臣下(しんか)を集(あつ)めて西国(さいごく)へ出陣(しゅつじん)するが描(えが)かれています。
義経(よしつね)十九(じゅうく)臣(しん)
於(おいて)瑠璃(るり)峯(みね)万(まん)福寺(ふくでら)源義経(みなもとのよしつね)起請文(きしょうもん)(義経(よしつね)腰越状(こしごえじょう))
鎌倉(かまくら)入(い)りを拒否(きょひ)された義経(よしつね)は京都(きょうと)に戻(もど)り、伊予(いよの)守(もり)に任(にん)ぜられます。画(え)は伝説(でんせつ)的(てき)英雄(えいゆう)にふさわしく、衣装(いしょう)や甲冑(かっちゅう)は豪華(ごうか)に描(えが)かれています。
九郎(くろう)冠者(かじゃ)伊予(いよ)守(かみ)源義経(みなもとのよしつね)
加賀(かが)国安(くにあ)宅(たけ)の新関(しんせき)にて義経(よしつね)主従(しゅじゅう)、富樫(とがし)左衛門(ざえもん)に見(み)とかめられしを東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつでん)建立(こんりゅう)の験者(げんじゃ)と偽(いつわ)り、弁慶(べんけい)即(そく)智(ち)を以(もちい)て勧進帳(かんじんちょう)を読上(よみあ)げて危難(きなん)を遁(にげ)給(たま)ふ