Fujisawa Net Museum

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製作(せいさく)時期(じき):万延(まんえん)元年(がんねん)(1860)。
板元(はんもと):當世屋(とせや)(品川屋久助(しながわやきゅうすけ))

藤沢宿(ふじさわしゅく)旅籠(はたご)で、二人(ふたり)(きつね)(けん)(きょう)じています。狐拳(きつねけん)とは、じゃんけんに()遊戯(ゆうぎ)で、(きつね)庄屋(しょうや)猟師(りょうし)(かたち)をとります。画中(がちゅう)では、(みぎ)弥次(やじ)さんは「(きつね)」(()(あたま)(よこ)()く)、(ひだり)喜多(きた)さんは「猟師(りょうし)」(鉄砲(てっぽう)をかまえる仕草(しぐさ))なので、この場合(ばあい)喜多(きた)さんの()ちです。

このシリーズは(だい)ヒットした十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』を()して(つく)られています。(かく)宿(やど)には弥次(やじ)さん、喜多(きた)さんが登場(とうじょう)し、芳幾(よしいく)二人(ふたり)のくりひろげる道中(どうちゅう)模様(もよう)をユーモラスに(えが)き、魯文(ろぶん)(かく)宿(やど)のテーマとなる文章(ぶんしょう)狂歌(きょうか)一句(いっく)二人(ふたり)会話(かいわ)をおもしろおかしく(しる)しています。


東海道中栗毛彌次馬 藤沢

東海道(とうかいどう)(ちゅう)栗毛(くりげ)彌次馬(やじうま) 藤沢(ふじさわ)

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

東海(とうかい)名所(めいしょ)改正(かいせい)道中記(どうちゅうき)」の目録(もくろく)です。目録(もくろく)は、初代(しょだい)歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)弟子(でし)である歌川(うたがわ)重房(しげふさ)(えが)いています。重房(しげふさ)は、(さん)(だい)歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)とは同門(どうもん)弟子(でし)同士(どうし)です。人力車(じんりきしゃ)()まる旅籠(はたご)店先(みせさき)()したような()(ちゅう)をよく()ると、(まね)きや看板(かんばん)東海道(とうかいどう)(かく)宿場(しゅくば)名前(なまえ)(しる)されています。 三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治前期(めいじぜんき)東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

東海名所 改正五十三駅(目次)

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)()十三駅(じゅうさんえき)目録(もくろく)

文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)に出版(しゅっぱん)された道中(どうちゅう)案内(あんない)()です。蝦夷地(えぞち)(北海道(ほっかいどう))の松前(まつまえ)から九州(きゅうしゅう)まで日本(にほん)全国(ぜんこく)街道(かいどう)(えが)かれています。五街道(ごかいどう)などの主要(しゅよう)(みち)だけでなく、金比羅(こんぴら)参詣(さんけい)ルートや西国(さいこく)巡礼(じゅんれい)(みち)(かい)(どう)沿()宿場町(しゅくばまち)(あいだ)距離(きょり)なども詳細(しょうさい)記入(きにゅう)されているのが特徴(とくちょう)です。海上(かいじょう)には(ふね)海路(かいろ)(えが)かれています。出版(しゅっぱん)(もと)絵図(えず)()庄八(しょうはち)は、奈良(なら)東大寺(とうだいじ)大仏殿(だいぶつでん)(まえ)(みせ)(かま)える書物(しょもつ)()でした。道中(どうちゅう)案内(あんない)()は、江戸時代(えどじだい)のガイドブックで、江戸時代(えどじだい)後期(こうき)大量(たいりょう)出版(しゅっぱん)されており、当時(とうじ)(たび)(さか)んな様子(ようす)がうかがえます。本図(ほんず)天保(てんぽう)13(ねん)(1842)の初版(しょはん)以来(いらい)人気(にんき)(たか)(はん)(かさ)ねました。

大日本(だいにっぽん)早引(はやびき)細見(さいけん)絵図(えず)



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