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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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清水寺(きよみずでら)を臨(のぞ)む坊(ぼう)から、女性(じょせい)たちが景色(けしき)を楽(たの)しんでいる様子(ようす)が描(えが)かれています。画面(がめん)右(みぎ)奥(おく)には清水寺(きよみずでら)と五重塔(ごじゅうのとう)(八坂(やさか)の塔(とう))があり、その下(した)には桜(さくら)が咲(さ)き乱(みだ)れています。(坊(ぼう)は僧(そう)の住居(じゅうきょ)のこと。ここでは精進料理(しょうじんりょうり)を出(だ)す料亭(りょうてい)も兼(か)ねた坊(ぼう)であるため、女性(じょせい)が客(きゃく)として来(き)ている) 東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の終点(しゅうてん)である京都(きょうと)の名所(めいしょ)である清水寺(きよみずでら)(きよみずでら)が描(えが)かれています。多数(たすう)の絵師(えし)が描(えが)いた東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の中(なか)でもあまり例(れい)の無(な)い場所(ばしょ)です。屋根(やね)の軒(のき)の印象(いんしょう)的(てき)な提灯(ちょうちん)の「う・か・む」は浮瀬(うかぶせ)亭(てい)(うかぶせてい)有名(ゆうめい)な茶屋(ちゃや)の店名(てんめい)です。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 清水(きよみず)
押絵(おしえ)は布(ぬの)細工(ざいく)による貼(は)り絵(え)の一種(いっしゅ)で、しばしば浮世絵(うきよえ)作品(さくひん)にならって作(つく)られました。明治時代(めいじじだい)頃(ごろ)までは、手芸(しゅげい)のたしなみとして筆頭(ひっとう)にあげられていたようです。押絵(おしえ)は羽子板(はごいた)などによく使(つか)われる技法(ぎほう)で、布地(ぬのじ)で薄(うす)く綿(わた)を包(つつ)んで作(つく)られた各(かく)部品(ぶひん)を重(かさ)ねて作(つく)った絵(え)のことです。この作品(さくひん)は、木(きの)板(いた)に江の島(えのしま)と富士山(ふじさん)の風景(ふうけい)が描(えが)かれ、その上(うえ)に押絵(おしえ)の人物(じんぶつ)があしらわれています。図柄(ずがら)は歌川貞虎(うたがわさだとら)の「鎌倉(かまくら)七里ヶ浜(しちりがはま)ヨリ江(え)の嶌(しま)遠見(とおみ)ノ図(ず)」を参考(さんこう)に作成(さくせい)され、旅(たび)姿(すがた)の女性(じょせい)や海女(あま)、海(うみ)に向(む)かって銭(ぜに)を投(な)げる女性(じょせい)とそれを取(と)ろうと海(うみ)に入(はい)る子供(こども)、従者(じゅうしゃ)を連(つ)れて牛(うし)に乗(の)り鎌倉(かまくら)へ向(む)かう女性(じょせい)など、さまざまな人々(ひとびと)の情景(じょうけい)が描(えが)かれています。
江嶋(えのしま)図(ず)押絵(おしえ)額(がく)
室町時代(むろまちじだい)後期(こうき)、太田道灌(おおたどうかん)は武蔵(むさし)守護代(しゅごだい)扇谷(おうぎがやつ)上杉(うえすぎ)(おうぎがやつうえすぎ)家(け)の家宰(かさい)として家政(かせい)を取(と)り仕切(しき)り、文明(ぶんめい)8-12年 (1476-80)の長尾景春(ながおかげはる)の乱(らん)などで活躍(かつやく)した武将(ぶしょう)です。江戸城(えどじょう)を築(きず)いたことで有名(ゆうめい)で、大庭城(おおばじょう)を築城(ちくじょう)したとの伝説(でんせつ)もあります。武将(ぶしょう)としても学者(がくしゃ)としても一流(いちりゅう)という定評(ていひょう)がありましたが、謀殺(ぼうさつ)された悲劇(ひげき)の武将(ぶしょう)としても有名(ゆうめい)です。伊勢原市内(いせはらしない)に首塚(くびづか)があり、伊勢原市役所(いせはらしやくしょ)前(まえ)には銅像(どうぞう)が立(た)っています。 この作品(さくひん)は、武蔵国(むさしのくに)での道灌(どうかん)の故事(こじ)が描(えが)かれています。鷹(たか)狩(が)りの最中(さいちゅう)に俄雨(にわかあめ)に降(ふ)られた道灌(どうかん)は近(ちか)くの農家(のうか)を訪(たず)ねて蓑(みの)(みの)を借(か)りようとしましたが、家(いえ)の娘(むすめ)が差(さ)し出(だ)したのは蓑(みの)ではなく一輪(いちりん)の山吹(やまぶき)の花(はな)でした。怒(おこ)って帰(かえ)った道灌(どうかん)はその夜(よる)、娘(むすめ)が本当(ほんとう)は蓑(みの)もない貧(まず)しさを実(み)の(蓑(みの))ならない山吹(やまぶき)に例(たと)えたことに気(き)づき、自(みずか)らを恥(は)じます。この日(ひ)を境(さかい)に道灌(どうかん)は歌道(かどう)に精進(しょうじん)するようになったといいます。画面(がめん)上(じょう)には富士山(ふじさん)と江戸城(えどじょう)が描(えが)かれています。
雪月花(せつげっか) 武蔵(むさし) 高田(たかだの)花(はな) 太田道灌(おおたどうかん) 山吹(やまぶき)乃(の)古事(こじ)
湯(ゆ)あがりと思(おも)われる女性(じょせい)を手前(てまえ)に、後景(こうけい)には箱根(はこね)の山(やま)と湯治場(とうじば)の全景(ぜんけい)が描(えが)かれています。二代(にだい)国貞(くにさだ)が手前(てまえ)の女性(じょせい)を、二代(にだい)広重(ひろしげ)が背景(はいけい)を手掛(てが)けたと思(おも)われます。行列(ぎょうれつ)は、箱根(はこね)の山並(やまな)みの中(なか)の街道(かいどう)を進(すす)んでいます。
東海道(とうかいどう) ハコネ 湯治(とうじ)
京(きょう)の四条(しじょう)(しじょう)河原(かわら)(かわら)の川床(かわどこ)(かわどこ)で、将軍(しょうぐん)を迎(むか)える宴(うたげ)が催(もよお)されているようです。画面(がめん)手前(てまえ)には華(はな)やかな装(よそお)いの芸妓(げいぎ)(げいぎ)と禿(かむろ)(かむろ)の少女(しょうじょ)が描(えが)かれています。
東海道(とうかいどう) 京都(きょうと)名所(めいしょ)之(の)内(うち) 四条河原(しじょうがわら)
『曽我物語(そがものがたり)』に登場(とうじょう)する兄弟(きょうだい)の兄(あに)・曽我(そが)(そが)十郎(じゅうろう)(じゅうろう)祐(すけ)(すけ)成(なり)(なり)と弟(おとうと)・五郎(ごろう)(ごろう)時宗(ときむね)(ときむね)が描(えが)かれています。曽我物語(そがものがたり)には、小田原(おだわら)や箱根(はこね)など相模(さがみ)にゆかりのある話(はなし)が多(おお)く残(のこ)っています。歌舞伎(かぶき)でも人気(にんき)の演目(えんもく)として、「曽我(そが)もの」という一大(いちだい)ジャンルがあるほどです。 本図(ほんず)は「柱絵(はしらえ)」といって、柱(はしら)に飾(かざ)ったり、柱(はしら)の節(ふし)を隠(かく)すために、細長(ほそなが)い判型(はんがた)でつくられた浮世絵(うきよえ)の形式(けいしき)で描(えが)かれています。作者(さくしゃ)の磯田(いそだ)(いそだ)湖(こ)(こ)龍(りゅう)(りゅう)斎(さい)(さい)(1735-?)は活動(かつどう)時期(じき)が柱絵(はしらえ)の流行(りゅうこう)とちょうど重(かさ)なったため、浮世絵(うきよえ)界(かい)でもっとも多(おお)くの柱絵(はしらえ)を手掛(てが)けた人物(じんぶつ)として知(し)られています。
題名(だいめい)不詳(ふしょう)(曽我(そが)兄弟(きょうだい))
鮑(あわび)(あわび)をとる海女(あま)(あま)たちと、その様子(ようす)を眺(なが)める江の島(えのしま)詣(もうで)(もうで)の旅(たび)姿(すがた)の女性(じょせい)たちが描(えが)かれています。地形(ちけい)から見(み)て、江の島(えのしま)の岩屋(いわや)あたりの場面(ばめん)と思(おも)われます。歌麿(うたまろ)は同(どう)時期(じき)に江の島(えのしま)詣(もうで)を題材(だいざい)にした作品(さくひん)を刊行(かんこう)しており、開帳(かいちょう)による参詣(さんけい)ブームを見込(みこ)んで制作(せいさく)されたものと思(おも)われ、江戸(えど)における江の島(えのしま)浮世絵(うきよえ)の人気(にんき)ぶりがうかがえる作品(さくひん)となっています。
題名(だいめい)不詳(ふしょう)(鮑(あわび)取(と)り)
本朝(ほんちょう)名将(めいしょう)鏡(かがみ) 北條(ほうじょう)左京大夫(さきょうのだいぶ)氏康(うじやす)