ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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藤川宿(ふじかわしゅく)の東(ひがし)のはずれにある山中村(やまなかむら)(やまなかむら)の風景(ふうけい)を描(えが)いています。画面(がめん)中央(ちゅうおう)の馬(うま)に乗(の)った旅人(たびびと)がいる辺(あた)りで空間(くうかん)を区切(くぎ)ることにより、高い位置(たかいいち)から低(ひく)い位置(いち)へとつながる山道(さんどう)の傾斜(けいしゃ)を表現(ひょうげん)しています。 画面(がめん)奥(おく)には雪(ゆき)深(ふか)い山間部(さんかんぶ)の街道(かいどう)が続(つづ)き、その両側(りょうがわ)には店(みせ)が立(た)ち並(なら)んでいる様子(ようす)が描(えが)かれています。山中村(やまなかむら)は、麻(あさ)の一(いっ)種(しゅ)である苧(からむし)(からむし)を用(もち)いて作(つく)った道具(どうぐ)類(るい)が名物(めいぶつ)として知(し)られていました。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 藤川(ふじかわ)
後景(こうけい)に、矢作川(やはぎがわ)(やはぎがわ)に架(か)かる矢作橋(やはぎばし)(やはぎばし)を描(えが)いています。矢作橋(やはぎばし)は、東海道(とうかいどう)随一(ずいいち)ともいわれる長(なが)さ二(に)〇(ひゃく)八(はち)間(けん)(けん)(約(やく)374m)を有(ゆう)していました。画(が)中(ちゅう)では、東海道(とうかいどう)随一(ずいいち)の長(なが)さを誇(ほこ)った矢作橋(やはぎばし)のその長(なが)さは伝(つた)わりにくいが、川(かわ)の中州(なかす)に群生(ぐんせい)する葦(あし)や、木材(もくざい)を運(はこ)ぶ筏(いかだ)(いかだ)、川(かわ)で布(ぬの)をさらす女性(じょせい)たちなど、土地(とち)の風俗(ふうぞく)が描(えが)かれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 岡崎(おかざき)
江戸時代(えどじだい)には池鯉鮒(ちりゅう)と表記(ひょうき)されることが多(おお)くありましたが、現在(げんざい)は知立(ちりゅう)と書(か)かれます。 師(し)の初代(しょだい)広重(ひろしげ)の保永(ほえい)堂(どう)版(ばん)では、宿場(しゅくば)郊外(こうがい)の馬市(うまいち)の様子(ようす)や、八(や)つ橋(はし)むらの杜若(かきつばた)(かきつばた)など取(と)り上(あ)げていますが、この画(え)では特(とく)になくのんびりとした風景(ふうけい)です。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) ちりゅう
名産(めいさん)の有松(ありまつ)(ありまつ)絞(しぼ)(しぼ)りは、鳴海宿(なるみしゅく)の東(ひがし)にあった有松(ありまつ)村(むら)でつくられ、街道(かいどう)沿(ぞ)いの店(みせ)で売(う)られていました。店先(みせさき)には、色(いろ)とりどりの着物(きもの)が掛(か)けられ、旅人(たびびと)の足(あし)をひきとめています。画面(がめん)右(みぎ)手前(てまえ)の小高(こだか)い丘(おか)が、遠近法(えんきんほう)を用(もち)いて描(えが)かれた街並(まちな)みを遮(さえぎ)るように配(はい)されており、画面(がめん)に奥行(おくゆ)きが表現(ひょうげん)されています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 鳴海(なるみ)
熱田(あつた)湊(みなと)(あつた(みなと)の船渡(ふなわたし)場(ば)が描(えが)かれています。画面(がめん)右(みぎ)手前(てまえ)には熱田神宮(あつたじんぐう)の浜(はま)の鳥居(とりい)(とりい)、後景(こうけい)には伊勢湾(いせわん)が広(ひろ)がっています。宮宿(みやじゅく)から桑名宿(くわなしゅく)までは東海道(とうかいどう)唯一(ゆいいつ)の航路(こうろ)で、「七里(しちり)(しちり)の渡(わた)し」(一里(いちり)は約(やく)3.9km)と呼(よ)ばれていました。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) みや
四日市宿(よっかいちしゅく)(よっかいちしゅく)の西(にし)に位置(いち)する日永(ひなが)(ひなが)の追分(おいわけ)(おいわけ)の場面(ばめん)を描(えが)いています。この場所(ばしょ)で、東海道(とうかいどう)と伊勢(いせ)(いせ)街道(かいどう)(かいどう)にわかれます。画面(がめん)中央(ちゅうおう)には、伊勢神宮(いせじんぐう)の二(に)(に)の鳥居(とりい)(とりい)と常夜燈(じょうやとう)(じょうやとう)が見(み)え、多(おお)くの旅人(たびびと)が行(い)き交(か)い、賑(にぎ)わいある追分(おいわけ)の雰囲気(ふんいき)が表現(ひょうげん)されています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 四日市(よっかいち)
画面(がめん)中央(ちゅうおう)の両(りょう)脇(わき)に、石垣(いしがき)の土台(どだい)の上(うえ)に土盛(ども)りがされ、さらに頂(ちょう)部(ぶ)には柵(さく)が設(もう)けられている構造物(こうぞうぶつ)が見(み)えます。これは見付(みつけ)(みつけ)という宿場(しゅくば)の入口(いりぐち)に設(もう)けられたもので、元来(がんらい)は見張(みは)りの番兵(ばんぺい)などを置(お)いた軍事施設(ぐんじしせつ)のことをいいました。東海道(とうかいどう)が整備(せいび)された江戸(えど)初期(しょき)には、街道(かいどう)や宿場(しゅくば)が軍事(ぐんじ)的(てき)な性質(せいしつ)をもっていたことが伺(うかが)えます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 石薬師(いしやくし)
街道(かいどう)を駆(か)け抜(ぬ)ける早(はや)駕籠(かご)(はやかご)と早飛脚(はやびきゃく)(はやびきゃく)が描(えが)かれています。街道(かいどう)脇(わき)で農作業(のうさぎょう)をする人々(ひとびと)の穏(おだ)やかな「静(せい)」の風景(ふうけい)と対比(たいひ)して、駕籠(かご)かきの「動(どう)」のスピード感(かん)がより強調(きょうちょう)されています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 庄野(しょうの)