Fujisawa Net Museum

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制作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)5年(ねん)(1858) 4月(がつ)頃(ごろ)。
板元(はんもと):蔦吉(つたきち)

広重(ひろしげ)の最(さい)晩年(ばんねん)に制作(せいさく)されたシリーズの一(ひと)つとして有名(ゆうめい)な作品(さくひん)です。冨士三十六景(ふじさんじゅうろっけい)シリーズは三亭(さんてい)春馬(しゅんま)の目録(もくろく)付(づけ)で全部(ぜんぶ)で37部(ぶ)となり、江戸(えど)南伝馬町(みなみでんまちょう)の蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)から上梓(じょうし)されたもので、安政(あんせい)5年(ねん)4月(がつ)に改印(かいいん)を受(う)け翌年(よくねん)に刊行(かんこう)されています。広重(ひろしげ)の富士(ふじ)に取材(しゅざい)した揃(そろい)物(もの)は、嘉永(かえい)5年(ねん)12月(がつ)改印(かいいん)の「不二三十六景(ふじさんじゅうろっけい)」の揃(そろい)があるにすぎません。
そのどちらもあの有名(ゆうめい)な「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」の北斎(ほくさい)の死後(しご)に刊行(かんこう)されていることは、彼(かれ)が北斎(ほくさい)に敬意(けいい)を表(あらわ)し、また遠慮(えんりょ)したようにも思(おも)えます。

この画面(がめん)は江(え)の島(しま)と富士(ふじ)、七里ガ浜(しちりがはま)を望(のぞ)む袖ヶ浦(そでがうら)あたりです。手前(てまえ)に描(えが)かれている茶屋(ちゃや)は「出口(でぐち)の茶屋(ちゃや)」と呼(よ)ばれ、天保(てんぽう)9年(ねん)頃(ごろ)の紀行文(きこうぶん)『冨士大山道中(ふじおおやまどうちゅう)雑記(ざっき)附(つき)江之嶋(えのしま)鎌倉(かまくら)』にも「袖ヶ浦(そでがうら)茶屋(ちゃや)有(あり)、此(この)所(ところ)にて鎌倉(かまくら)絵図(えず)并(ならびに)名所記(めいしょき)等(など)商(あきな)ふ茶屋(ちゃや)の婦人(ふじん)、絵図(えず)講釈(こうしゃく)を致(いた)す」と記(しる)されています。茶店(ちゃみせ)の軒先(のきさき)には「蔦吉(つたきち)」、「日本(にっぽん)はし」、「魚(さかな)可(か)し」などの札(さつ)が見(み)られます。

歌川広重 冨士三十六景 相模七里が浜

冨士(ふじ)三十六景(さんじゅうろっけい) 相模(さがみ)七里(しちり)か浜(はま)

万延(まんえん)元年(がんねん) (1860)
本作(ほんさく)は、東海道(とうかいどう)と甲州街道(こうしゅうかいどう)の各(かく)両道(りょうどう)から富士山(ふじさん)への行程(こうてい)がわかるように描(えが)かれています。主(おも)に黄札(きふだ)は甲州街道(こうしゅうかいどう)の各(かく)場所(ばしょ)を、青札(あおふだ)は東海道(とうかいどう)の各(かく)宿場(しゅくば)、そして赤札(あかふだ)は霊場(れいじょう)や寺社(じしゃ)の名前(なまえ)が記(しる)されています。本作(ほんさく)も富士山(ふじさん)の御縁年(ごえんねん)に合(あ)わせて刊行(かんこう)されたと思(おも)われます。
画(が)中(ちゅう)左下(ひだりした)の藤沢(ふじさわ)には、「遊行寺(ゆぎょうじ)」や「江(え)の島(しま)一(いち)ノ鳥居(とりい)」、の文字(もじ)とともに、鳥居(とりい)と大鋸橋(だいぎりばし)(現(げん)遊行寺橋(ゆぎょうじばし))が緻密(ちみつ)に描(えが)かれています。また、藤沢(ふじさわ)の隣(となり)にある四(よ)ツ谷(や)は「大山(おおやま)一(いち)ノ鳥居(とりい)」の文字(もじ)と鳥居(とりい)が描(えが)かれ、当時(とうじ)四(よ)ツ谷(や)の交差点(こうさてん)(現在(げんざい)の藤沢市(ふじさわし)城南(じょうなん)辺(あた)り)に立(た)つ鳥居(とりい)が、大山道(おおやまみち)の起点(きてん)として認識(にんしき)されていたことがうかがえます。

富士山(ふじさん)両(りょう)道中(どうちゅう)一覧(いちらん)之(の)図(ず)



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