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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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描(えが)かれている人物(じんぶつ)は、『曽我(そが)物語(ものがたり)』に登場(とうじょう)する曽我(そが)十郎(じゅうろう)祐成(すけなり)で、歌舞伎(かぶき)役者(やくしゃ)の十三代目(じゅうさんだいめ)市村(いちむら)羽左衛門(うざえもん)(五代目(ごだいめ)尾上菊五郎(おのえきくごろう))が演(えん)じています。 本(ぼん)図(ず)では、祐成(すけなり)のトレードマークである「千鳥(ちどり)」と市村(いちむら)羽左衛門(うざえもん)の定紋(じょうもん)である「根上(ねあ)がり橘(たちばな)」が着物(きもの)にあしらわれています。背景(はいけい)は大磯(おおいそ)宿(しゅく)で、祐成(すけなり)の恋人(こいびと)である大磯(おおいそ)の虎(とら)が大磯(おおいそ)の遊女(ゆうじょ)であったことにちなんでいます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 大磯(おおいそ) 十郎(じゅうろう)祐成(すけなり)(十三代目(じゅうさんだいめ)市村(いちむら)羽左衛門(うざえもん))
「五十三駅(ごじゅうさんえき)看(み)立(たて)双六(すごろく)」と同年(どうねん)に刊行(かんこう)された「役者(やくしゃ)見立(みたて)東海道(とうかいどう)」と呼(よ)ばれるシリーズのうちの一図(いちず)で、双六(すごろく)のマスに描(えが)かれた絵(え)と本図(ほんず)は連動(れんどう)しています。 本図(ほんず)に描(えが)かれているのは、日本(にほん)の物語(ものがたり)や伝説(でんせつ)で最(もっと)も有名(ゆうめい)な盗賊(とうぞく)、石川五右衛門(いしかわごえもん)です。石川五右衛門(いしかわごえもん)に関(かん)する逸話(いつわ)は、人形(にんぎょう)浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎(かぶき)などでも人気(にんき)がありました。
東海道(とうかいどう) 浜松(はままつ) 舞坂(まいさか)間(かん) 鳥居(とりい)縄手(なわて) 五右衛門(ごえもん)(四代目(よだいめ)市(いち)川小(かわこ)団次(だんじ))
本作品(ほんさくひん)には、浜名湖(はまなこ)が広(ひろ)がる濱松(はままつ)の風景(ふうけい)が描(えが)かれ、手前(てまえ)には五代目(ごだいめ)市川海老蔵(いちかわえびぞう)(七代目(ななだいめ)市川(いちかわ)団十郎(だんじゅうろう))演(えん)じる、海賊(かいぞく)の毛剃(けそり)九右衛門(くえもん)が描(えが)かれています。小町屋(こまちや)宗七(そうしち)と博多(はかた)小(こ)女郎(じょろう)は同(おな)じ物語(ものがたり)の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)で、小(こ)女郎(じょろう)は九右衛門(くえもん)の馴染(なじ)みの遊女(ゆうじょ)、宗七(そうしち)は小(こ)女郎(じょろう)と恋仲(こいなか)という関係(かんけい)です。五代目(ごだいめ)市川海老蔵(いちかわえびぞう)は、文化(ぶんか)~安政(あんせい)年間(ねんかん)において活躍(かつやく)した名優(めいゆう)で、最(もっと)も多(おお)く浮世(うきよ)絵(え)に描(か)かれた役者(やくしゃ)でした。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 浜松(はままつ) 毛剃(けそり)九右衛門(くえもん)(五代目(ごだいめ)市川海老蔵(いちかわえびぞう))
『博多(はかた)小(しょう)女郎(じょろう)波枕(なみまくら)』に登場(とうじょう)する京(きょう)の商人(しょうにん)小町屋(こまちや)宗七(そうしち)が描(えが)かれています。演(えん)じる役者(やくしゃ)は本図(ほんず)刊行(かんこう)時(じ)にはすでに故人(こじん)であった十二代目(じゅうにだいめ)市村(いちむら)羽左衛門(うざえもん)です。宗七(そうしち)は海賊船(かいぞくせん)とは気(き)づかずに乗(の)り合(あ)わせた船(ふね)で密輸(みつゆ)の現場(げんば)を目撃(もくげき)してしまったことから海賊(かいぞく)の頭(かしら)の毛剃(けぞり)九右衛門(くえもん)に海(うみ)に投(な)げ込(こ)まれます。奇跡的(きせきてき)に一命(いちめい)をとりとめ、博多(はかた)で恋人(こいびと)の小(こ)女郎(じょろう)と再会(さいかい)しますが、小(こ)女郎(じょろう)と夫婦(ふうふ)となるために毛剃(けぞり)の海賊(かいぞく)の仲間(なかま)に入(はい)ることになってしまいます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 舞坂(まいさか) 小町屋(こまちや)宗七(そうしち)(十二代目(じゅうにだいめ)市村(いちむら)羽左衛門(うざえもん))
『五拾(ごじゅう)三次(さんつぎ)景色(けしき)入(いり)女(おんな)画(え)』全(ぜん)作品(さくひん)を、まとめて販売(はんばい)した際(さい)に使(つか)った袋(ふくろ)の一部(いちぶ)と考(かんが)えられます。中央(ちゅうおう)に大(おお)きく題名(だいめい)が配(はい)され、その左(ひだり)には「香(こう)蝶(ちょう)楼(ろう)国貞(くにさだ)画(が)」とあります。この“香(こう)蝶(ちょう)楼(ろう)”とは国貞(くにさだ)の斎(さい)号(ごう)のひとつで、絵師(えし)の英一蝶(はなぶさいっちょう)に私淑(ししゅく)したことにより“蝶(ちょう)”の字(じ)を用(もち)いたとされています。 本作(ほんさく)は複数(ふくすう)の版元(はんもと)による共同出版(きょうどうしゅっぱん)の作品(さくひん)のため、「東都(とうと)(江戸(えど)のこと) 芝(しば)神明町(しんめいちょう)喜鶴(きかく)堂(どう)(版元(はんもと)の佐野屋喜兵衛(さのやきへえ)馬喰町(ばくろちょう)二丁目(にちょうめ) 錦(きん)森堂(しんどう)(版元(はんもと)の森屋治兵衛(もりやじへえ)合板(ごうはん)」と記(しる)されています。 ※合板(ごうはん)=共同出版(きょうどうしゅっぱん)のこと
五拾(ごじゅう)三次(さんつぎ)景色(けしき)入(いり)女(おんな)画(え) 袋(ふくろ)
江の島(えのしま)弁財天(べんざいてん)を描(えが)いた掛(か)け軸(じく)です。本図(ほんず)上部(じょうぶ)の宝珠(ほうしゅ)に「相州(そうしゅう)」「江嶋(えのしま)」「下宮(しものみや)」の文字(もじ)が見(み)えます。本図(ほんず)と非常(ひじょう)によく似(に)た構図(こうず)と寸法(すんぽう)の江の島(えのしま)下之宮(しものみや)弁財天(べざいてん)のお札(ふだ)が存在(そんざい)しています。 弁財天(べんざいてん)の右(みぎ)に大黒天(だいこくてん)(だいこくてん)、左(ひだり)には毘沙門天(びしゃもんてん)(びしゃもんてん)、そして、その下(した)には眷属(けんぞく)である十五(じゅうご)童子(どうじ)が描(えが)かれています。大黒天(だいこくてん)と毘沙門天(びしゃもんてん)も、弁財天(べんざいてん)と同様(どうよう)に財(ざい)福(ふく)を司(つかさど)る神(かみ)として親(した)しまれています。
相州(そうしゅう)江之島(えのしま)下之宮(しものみや)
金華山(きんかざん)往来(おうらい)
鎌倉時代(かまくらじだい)、沼津(ぬまづ)宿(しゅく)と三島(みしま)宿(しゅく)の間(あいだ)に流(なが)れる黄瀬(きせ)川(かわ)に絡(から)めた亀鶴(かめつる)という遊女(ゆうじょ)を題材(だいざい)としています。傾城(けいせい)とは美人(びじん)や遊女(ゆうじょ)を表(あらわ)しています。実在(じつざい)する川(かわ)は「黄瀬(きせ)川(かわ)」の字(じ)ですが、歌舞伎(かぶき)演目(えんもく)『寿(ことぶき)曽我(そがの)対面(たいめん)』では「喜瀬川(きせがわ)」となっており、喜瀬川(きせがわ)亀鶴(きかく)という役名(やくめい)の遊女(ゆうじょ)が登場(とうじょう)し、この画(え)と関連付(かんれんづ)けられています。物語(ものがたり)では、亀鶴(きかく)は美(うつく)しく賢(かしこ)いと評判(ひょうばん)で、曽我(そが)兄弟(きょうだい)の父(ちち)の敵(かたき)である工藤祐経(くどうすけつね)の宴(うたげ)に招待(しょうたい)される立場(たちば)でした。また、背景(はいけい)に描(えが)かれた黄瀬(きせ)川(がわ)は亀鶴(きかく)が最期(さいご)に身(み)を投(な)げた場所(ばしょ)ともいわれています。似顔(にがお)で描(えが)かれた五代目(ごだいめ)瀬川菊之丞(せがわきくのじょう)は、この画(え)の刊行(かんこう)時(じ)には既(すで)に故人(こじん)であり、往年(おうねん)の名優(めいゆう)が描(えが)かれた作品(さくひん)となっています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 三嶋(みしま) 沼津(ぬまづ)間(かん) 喜瀬川(きせがわ) 喜瀬川(きせがわ)(五代目(ごだいめ)瀬川菊之丞(せがわきくのじょう))