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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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夕暮(ゆうぐ)れ時(どき)、帆船(はんせん)が続々(ぞくぞく)と港(みなと)に戻(もど)る様子(ようす)が描(えが)かれています。画面(がめん)下(した)の橋(はし)は瀬戸橋(せとばし)で、橋(はし)を渡(わた)った所(ところ)にある建物(たてもの)は旅館(りょかん)の「東屋(あずまや)」と思(おも)われ、室内(しつない)では宴会(えんかい)の様子(ようす)も垣間見(かいまみ)えます。
名所(めいしょ)八景(はっけい) 金沢(かなざわ)帰帆(きはん)従(ならび)瀬戸橋(せとばしより)野嶋(のじま)之(の)図(ず)
この作品(さくひん)は、武蔵(むさし)と相模(さがみ)の名所風景(めいしょふうけい)の八ヶ所(はちかしょ)を選(えら)び、描(えが)いています。この形式(けいしき)は「八景(はっけい)」ものと呼(よ)ばれ、中国(ちゅうごく)で生(う)まれ発展(はってん)したものです。この作品(さくひん)のほかの7景(けい)は、1.大山(おおやま)夜雨(やう)、2.冨士(ふじ)暮雪(ぼせつ)、3.三保落雁(みほらくがん)、4.玉川秋月(たまがわしゅうげつ)、5.熱海名照(あたみめいしょう)、6.江島晴嵐(えのしませいらん)、7.金沢帰帆(かなざわきはん)があります。 この鎌倉(かまくら)の画(え)には「鶴(つる)ヶ(が)岡(おか)より房州(ぼうしゅう)の山(やま)の図(ず)」と、手前(てまえ)の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)境内(けいだい)から、海岸(かいがん)を挟(はさ)んだ房総(ぼうそう) (現(げん)・千葉県(ちばけん))の山々(やまやま)を見渡(みわた)す構図(こうず)となっています。
名勝(めいしょう)八景(はっけい) 鎌倉(かまくら)晩鐘(ばんしょう)
製作時期(せいさくじき):慶応元年(けいおうがんねん)(1865)。 板元(はんもと)印(しるし)なし 二代広重(にだいひろしげ)は初代広重(しょだいひろしげ)長女(ちょうじょ)との結婚以前(けっこんいぜん)の重宣時代(しげのぶじだい)、二代広重(にだいひろしげ)時代(じだい)、離婚後(りこんご)横浜(よこはま)に住(す)んでからの立祥時代(りゅうしょうじだい)(慶応元年(けいおうがんねん)~明治二年(めいじにねん))のそれぞれの画銘(がめい)の時(とき)に数点(すうてん)の東海道(とうかいどう)シリーズを残(のこ)しています。
東海道(とうかいどう)五拾(ごじゅう)三(さん)駅(えき) 藤川(ふじかわ)
東海道(とうかいどう)五拾(ごじゅう)三(さん)駅(えき) 浜松(はままつ) ざゝんざ松(まつ)
東海道(とうかいどう)五拾(ごじゅう)三(さん)駅(えき) 吉田(よしだ) 豊川橋(とよかわばし)遠景(えんけい)
東海道(とうかいどう)五拾(ごじゅう)三(さん)駅(えき) 掛川(かけがわ) 秋葉(あきば)追分(おいわけ)
製作時期(せいさくじき):慶応元年(けいおうがんねん)(1865)。板元(はんもと)印(しるし)なし 原宿(はらしゅく)は富士(ふじ)を見(み)る名所(めいしょ)として、東海道(とうかいどう)ものの作品(さくひん)では富士(ふじ)が大(おお)きく配(はい)されることが多(おお)く、本作(ほんさく)も富士(ふじ)が存在感(そんざいかん)をもって描(えが)かれます。 題(だい)の富士沼(ふじぬま)は浮島沼(うきしまぬま)とも呼(よ)ばれ、その周囲(しゅうい)は浮島ヶ原(うきしまがはら)という湿地帯(しっちたい)で、現在(げんざい)も水田(すいでん)が残(のこ)っています。 二代広重(にだいひろしげ)は初代広重(しょだいひろしげ)長女(ちょうじょ)との結婚以前(けっこんいぜん)の重宣時代(しげのぶじだい)、二代広重(にだいひろしげ)時代(じだい)、離婚後(りこんご)横浜(よこはま)に住(す)んでからの立祥時代(りゅうしょうじだい)(慶応元年(けいおうがんねん)~明治二年(めいじにねん))のそれぞれの画銘(がめい)の時(とき)に数点(すうてん)の東海道(とうかいどう)シリーズを残(のこ)しています。
東海道(とうかいどう)五拾(ごじゅう)三(さん)駅(えき) 原(はら) 富士沼(ふじぬま)
東海道(とうかいどう)五拾(ごじゅう)三(さん)駅(えき) 加奈川(かながわ) 横浜(よこはま)